自然好きなシニアの部屋

近くの野山を歩いて、植物・虫などを観察し、写真に撮っています。

弥彦角田山系と平野部の自然 2022年10月

2022-10-21 14:21:39 | 日記

 平野部も10月も後半になると朝晩は寒いくらいの日々となる。そんな中でコロナウイルス感染者も結構いるが、最近はあまり話題にもならない。平野部はイネの収穫が終わり、冬を迎える準備に入っている。上旬から中旬にかけて旧西蒲原郡の海岸部を撮影がてらドライブしたので紹介したい。旧西蒲原郡の集落のある海岸部は、大雑把に言うと6か所ある。新潟市に近いところから見ると、内野浜•四郷屋浜•越前浜•角田浜•五ヶ浜•間瀬浜である。今回は、間瀬を3つに分け、集落のない小浜を加えて合計9つの海岸の写真を紹介する。わずか1時間ほどの時間内で、かつ夕方近くて海も比較的荒れており、スモホの画像でもあるので満足のいく海岸を紹介できないのが残念である。

 内野町は西蒲原郡の中で新潟市に最も近くて、ここには旧巻農業高校の内野分校があった。その後新潟商業高校の内野分校となり、現在は廃校となっている。海岸には内野漁港•内野海水浴場や新川河口排水機場があり、排水機場は現在も平野部の水源管理に寄与している。実は上の写真だけは今年の1月に撮ったものであり、10月のものではない。

 内野から下ると四ツ郷屋浜がある。この浜は、旧西蒲原郡赤塚村の海岸部にあり、陸側は砂丘地帯でスイカ•メロン•タバコ•ダイコンの産地である。この集落は赤塚村に所属せず旧巻町に属していた。

 次に越前浜海岸が四ツ郷屋浜の隣にある。ここも赤塚村や四ツ郷屋と同じく砂丘地作物の大産地となっている。私の子供の頃は、この越前浜と角田浜に海水浴に行き、楽しんだことを思い出す。

 越前浜と並んで子供の頃から親しんできた角田浜である。角田浜には灯台があり、昔から沢山の浜茶屋で賑わっていたことを思い出す。現在は浜茶屋も少なく、寂しい雰囲気だが、先月海岸にはラーメン屋が新規オープンして賑わっている。

 唯一集落のない小浜が角田浜と五ヶ浜の間にある。子供の頃ここには角田浜から海岸部を歩いてきたものだが、今ではシーサイドラインができて車で数分で来ることができる。この陸地側は岩ユリの産地で、5月から6月頃岩場や岩の隙間の厳しい条件下で可憐な花を見せてくれる。

 五ヶ浜は、巻町からは五箇峠を越えて来なければならず、少し不便であった。しかし現在はシーサイドラインや五福トンネルができたおかげで車で瞬く間に来ることができる。上の写真の左側に突き出た部分があるが、実はこの手前にかっては角海浜があり、角海集落があった。東北電力巻原発の予定地になったため全ての住民は移転され、現在では集落自体もなくなり、無人の浜となっている。入ることが禁止されているので、この浜は撮影できなかったのは残念だった。昔はよくここにも行ったものだ。

 五ヶ浜から海岸線をはずれていくつかのトンネルを越えると間瀬海岸部に着く。ここにはかって十数軒の浜茶屋があり、賑わいを見せてくれていたが、何年か前に大火事があり、現在では一•二軒しか営業していないようだ。この浜の陸側には日本海サーキット場があり、現在でも利用されているようだ。

 間瀬海水浴場から間瀬漁港を通って来ると、間瀬集落の海岸部がある。下の写真の右遠くに間瀬海岸公園が見えるが、散歩や海岸でサーフィンをする若者に出会うことがある。私もよくここを散歩する。

 旧西蒲原郡最後の海岸部はここ白岩のあるところだ。上の写真にあるように岩が白いのだ。これは凝灰岩という岩で、ここ一帯が県の天然記念物に指定されている。ここより下ると野積や寺泊海岸に行きつき、三島郡に入る。今は合併して長岡市となり、新潟市と長岡市の境となっている。角田浜から間瀬海岸にかけては、弥彦角田山の裏側に当たり、平野部と同じく長い海岸線が素晴らしい。旧西蒲原郡の海岸線は本当に長く美しいものだとつくづく自然の恵みに感謝している。

 


弥彦角田山系と平野部の自然 2022年9月

2022-09-26 16:45:16 | 日記

 我が故郷も実りの秋となり、イネをはじめとする秋の農作物の収穫期に入った。9月の初めに収穫が始まったイネは9月20日頃には殆どが終えている。これからは角田山麓部の越王柿や角田や越前浜の砂丘地の大根などの収穫が待っている。ただ今年の秋はコロナウイルス感染者が最も多くなり、我が平野部も多い時には1日に100人も越えた時もある。9月下旬だいぶ落ち着いたが、それでも10人から30人の感染者を出している。私は体調はあまりよくないが、僅かの外出時にスマホで撮った写真で9月の様子を紹介したい。

 9月10日頃には平野部の3分の1位(上の写真)のイネの収穫が終えていたが、9月20日過ぎに(下の写真)は殆ど終えていた。下旬には稲刈りの終わった切り株から既に緑の芽が盛んに出て写真のように田植え時に似た様相を呈している。また、田んぼを走る道路脇には彼岸花が最盛期に入っていた(西蒲区新谷)。

 中旬に峠を越えて、間瀬海岸を少し歩いた。海は穏やかで陽の光に反射して綺麗だった(上)。間瀬海岸公園の少し小高く土を持った高台に東家風の休憩所(下)があり、ここからの海は穏やかで佐渡もハッキリと見えて綺麗だった。

 公園の砂浜にはハマニガナ(下)が今は盛りと黄色い花を見せてくれていた。また反対側の弥彦山麓側には秋の象徴であるススキ(上)が穂をなびかせていた。

 平野部の松野尾地区に上堰潟公園がある。この写真はこの公園が作られた頃の初期の画像であるが、私にとっては実は懐かしいところである。この公園ができる前は、上堰潟といって佐潟や鎧潟などと同じ平野部の潟の一つであった。私が子供の頃この潟の近くに実家があり、高校生の頃まで休みになる度に、魚釣りに出かけたものである。フナやナマズ、雷魚、時にはウナギもつれたものである。特にフナは入れ食い状態であった。潟の広さも大きくて現在の新潟寺泊線のバス道路脇まで水があったものである。ここから見る角田山はどっしりしていて公園になった今でもその姿は私の好きな風景である。

 今は公園として埋め立てられて春の菜の花や秋のコスモス畑となり(下)、半分は水が張って水鳥の楽園となっている(上)。

 埋め立てられた所には、菜の花やコスモスの他に夏から秋にかけて藁アート展が開かれることもある。今年は、上の麒麟や下の招き猫などが展示されていた。


弥彦角田山系と平野部の自然 2022年8月

2022-08-30 14:33:10 | 日記

 8月も残すところあと2日となった。8月は体調悪く外出が出来ず、写真を撮ることが殆ど出来なかった。そこで少しだけ撮った写真と秋に向けての自然を紹介したい。今年の8月は西蒲区もコロナウイルス感染者が、連日50人から100人と過去最高を更新している。田舎の平野部も安心していられない状況だ。しかし自然は微動たもせず例年の姿を見せてくれる。ありがたいことだ。

8月下旬の平野部の様子です。稲穂は垂れ下がり収穫まじかで、早生の品種は既に始まっている。ただ今年は雨が多く品質に問題がないか心配だ。

 8月のお盆過ぎ、新潟へ定期検診を受けた帰りに角田浜に寄った。海は穏やかでマダラであるが海水浴をしている家族を見ることができた。灯台は少し改修が行われており、私が子供の頃と同じ姿で海の安全に寄与している。この灯台の上をシーサイドラインが走っており、中には洞窟が通っている。久しぶりに洞窟を歩いてみたが、子供の子と同じで懐かしがこみ上げた。洞窟を通り抜けると灯台下の岩場に出る。残念ながら写真を撮り忘れたので画像はないが、ここに奥州路に向かう源義経が逃げ隠れという船隠しがある。父から聞いた逸話であるが懐しく思い出した。

 さて、今回は青空に映える秋の木の実を少しだけ紹介したい。写真は、弥彦山頂上付近のトチの実で、秋に熟すると3つに裂けて1〜2個の栗に似た球形の果実を見ることができる。トチモチに利用される。

 岩室の種月寺の山門にそびえ立つモミの木の若い実である。6〜10センチ位の大きさで最初は写真のように緑色であるが10月頃に灰褐色になり種子が抜け落ちる。神聖な木で神社に植えられている。主に使える家来を臣(おみ)というが、これが転じてモミと言われ、神社を守る神聖なる木として植えられている。

 写真は左がラカンマキ(松野尾)、右上マツ(角田)と右下がドイツトウヒ(角田山)である。ラカンマキは赤い部分は食べられるが、黒い部分や若い実は食べられない。松の実はマツボックリと言われ、卵型で翌年秋に熟し、翼状の種子を散布する。ドイツトウヒは10から20センチの巨大のマツボックリで細長く垂れ下がる。モミと同じくクリスマスツリーに利用される。

 上ヤマボウシ、下はアクグミの赤い実である。ヤマボウシは過去にも紹介したので説明は避けるが、9月〜10月頃熟し、食べられる。ヤマボウシ酒としても利用される。アキグミも以前紹介したので説明は省くが、食べられ、アキグミ酒としても利用される。弥彦角田山系のグミの仲間にはトウグミもあるが、これは6〜7月頃熟す。

 


弥彦•角田産系と平野部の自然 2022年7月

2022-07-06 15:45:21 | 日記

 7月に入り、蒸し暑い日々が続いている。西蒲区のコロナウイルス感染者もポツリポツリと出ているが、割と安定している方だ。さて、3月から外出できない状態がまだ続いている。従って、このブログの7月の画像は、過去に撮ったものが多いのでご承知願いたい。

我が家の裏の田んぼの7月の稲の生育状況です。今月下旬には開花と結実が見られると思う。たが例年と違うことは、6月に梅雨が明けてしまって、7月の水不足が懸念されることです。

 この写真は、7月の田んぼで10年くらい前、昔の稲作作りを人形などを使って田んぼに設置したものだ。西蒲区新谷集落の人達が設置したもので、当時はこのパホーマンスが話題になったものだ。

 下の画像は五箇峠の7月、車で越えて海岸方面に向かう所だ。緑が濃く、7月の山を感じさせる風景だ。上の画像は、五箇峠を越えて海岸道路を左折し、五ヶ浜と間瀬海岸の中間にある小さな入江で、ここでよく砂浜の植物を観察したものだ。

 6月下旬から7月いっぱいにかけて、海岸道路や山にユリの盛りを見ることができる。クルマユリ(上右)、コオニユリ(上左)、ヤマユリ(下)。クルマユリは林縁などで良く見られ、少し小ぶりで葉が同じところから放射状に出ている。コオニユリは林縁でも海岸道路を走ると沢山見ることが出来る。ヤマユリは百合の女王で大きくて白い花が林内や弥彦山の頂上などで咲いている。

 このユリは7月ではなく、6月に咲くイワユリである。角田浜から五ヶ浜の海岸道路に、通称小浜と呼ばれている所があり、この岩場に生育している。絶滅に瀕したこともあり、巻総合高校でバイオ技術で増やして一時新聞でも報道されて話題になったこともある。海岸付近以外の山の中では私は見たことがない。

 エゾアジサイ(上)、クマノミズキ(下)も6月から7月の木の花だ。弥彦角田山系の林内で沢山見ることが出来る。弥彦角田山生育するアジサイの仲間にはには、花の色が白いツルアジサイやノリウツギ等が見られるが、数は少ない。クマノミズキとそっくりなミズキがあるが、これは1ヶ月ほど早く咲き、葉っぱの出方に違いがあるので見分けられる。ミズキは互生でクマノミズキは対生です。ミズキの由来は、若い木を切ると水が出てくることからとのこと。

 ネムノキ(上)、リョウブ(下)。ネムノキはご存じの方が多いと思うが、高速道路脇の法面や山中に多く見られる。リョウブも7月の花だ。香水のようないい香りがして、木下を歩くとうっとりする匂いが漂う。この由来は、昔救荒植物として、令(命令やリョウ)で植えられたことによるといわれる。

 最後に7月の昆虫を紹介する。オオヤブキリ(上)とフキバッタ(下)。オオヤブキリは名前の通り、藪の中にいるキリギリスの仲間で噛まれると痛い。フキバッタはこれが成虫で、羽が退化してイナゴの幼虫のようだ。トノサマバッタやしょうリョウバッタの仲間である。フキを好んで食べることからこの名があるが、クズなども食する。弥彦角田の山々の暑い夏から秋にかけては直翅類の昆虫(バッタやイナゴ、キリギリス、カマキリなど)の王国となる。

 


弥彦•角田山系と平野部 2022年6月その2

2022-06-20 16:10:54 | 日記

 6月も下旬となり、今が一年の中で最も日の長い季節だ。この2〜3日西蒲区のコロナウイルス感染者が出ていないので何故か落ち着く。さて、相変わらずの外歩きが出来ないので、今回は家の庭に遊びにきているアマガエルについて話してみたい。

 上はバラの花のゆりかごでゆっくりと休んでいるアマガエル。下は獲物を狙ってるアマガエル。いずれも6月下旬から7月にかけてのものである。さて、5月上旬に田植えと同時に平野部ではアマガエルの合唱が響いていた。鳴いているのは雄だけで、繁殖のため雌を呼んでいたのだ。その合唱が今では田んぼから聞こえることもなく、いつのまにか姿を消してしまった。アマガエルは一体どこに行ったのだろうか?我が家の庭に沢山見ることがある。彼らは田んぼから人間の住む住宅街や木々の上などに移動して、そこで生活して冬の冬眠まで過ごすのだ。生きるために小さな虫やクモなどを捕食する。よく夏に灯りに集まってくる虫を窓ガラスに張り付いて食べている所を見た人もおられると思う。画像下はイナゴの幼虫を狙っているアマガエルだが、時としてこんなに大きな昆虫も捕食する。口に入らず吐き出すこともある。このようにして夏や秋を過ごして冬になると土の中で冬眠に入る。彼らの寿命は5〜6年と言われている。たくましく厳しい自然の中で生きるアマガエルにエールを送って稿を綴じたい。