自然好きなシニアの部屋

近くの野山を歩いて、植物・虫などを観察し、写真に撮っています。

蒲原平野の自然 8月31日

2020-08-31 13:11:13 | 日記

 コロナウイルス感染騒動や不安定な天候などに悩ませられながらも、今日で蒲原平野の8月は終わる。先日、武田中部大学教授が「世の中変われど自然は変わりなくそのまんまである」と言っていた。確かに私の子供の頃から弥彦・角田山系と蒲原平野は変わりなく、そのまんまである。高校の校歌にも「越の国原(ここでは蒲原平野を言う)は瑞穂の波のよるところであり、千古揺るがぬいやひこ(ここでは弥彦山を言う)の勇姿をともに仰ぎつつ…………」とある。今も昔も蒲原平野は堂々として我々の目の前にある。30日には一部、稲刈りが始まった。8月の後半は青空と30度を超す真夏日が続き、稲の生育にも挽回の機会が与えられたようだ。そこで今回は8月30日現在の蒲原の空を紹介したい。

正面左の角田山の空は日が沈み、夏から秋の雲が夕日に照らされていた。空には飛行機雲が見られた。ここは、成田からソ連周りのヨーロッパへ行く空の行路に当たるようだ。

弥彦山からは黒い雲がわき出ていたが、その左側には夕日に照らされていた雲と9月15日ころに満月となる月がデートをしていた。初秋の空にはこのような雲が多く、入道雲もまだまだ健在だ。この頃は夕方から夜にかけて遠雷がよく聞こえる。秋の遠雷は蒲原では「稲光:いなびかり」と呼ばれ、稲刈の時期を教えつつ豊作の前触れとも言われる。雲と雲の間に光が走る現象で本来の雷とは少し違うらしい。

 月とあかね雲、蒲原平野の初秋の空の風景だ。わずか10分ほど前の空の景色は、下の画像である。

 これは前の画像の少し前の状況だが、わずかの時間であかね色に変わったいた。10分も経っていなかっただろうか。

 今回は蒲原平野の夕方の空を紹介したが、しばらくの間コロナウイルス騒動を忘れるほどの心温まる空の風景だった。

  


蒲原平野の自然 8月下旬

2020-08-26 22:15:26 | 日記

 蒲原平野は初秋に向かって朝晩が涼しくなってきた。平野部は黄色を呈してイネの収穫が始まりつつあり、稲穂が撓わに頭を垂れている。今年の夏は後半になって結構天気に恵まれているが、収穫量を如何であろうか。さて、西蒲原もコロナウイルスが押し寄せて、私の周りにも感染者が出ている。マスクでは防げないが手洗いとうがいで頑張っている。このような状況はいつまで続くのであろうか?日本人として新潟県民として、そして蒲原の人間として現状をしっかりと確認して前向きに歩んでいこうと思っている。しかし、自然は例年と全く変化なく、いつのも顔を見せてくれており、有り難い存在であると心から思う。

イネの収穫は間近にせまっている。田んぼは黄色を呈し、稲穂は頭をしっかりと垂れている。天候不順な年というが、見る限りは平年並みの収穫が期待されている。

8月21日新潟へ行く用事があって、海岸線を走ってみた。快晴で日本海は穏やかで、きれいな青色を見せてくれていた。

 蒲原平野には、弥彦・角田山系の前に広がる稲作に適した沖積土の平野部と山系に連なる角田浜や越前浜の砂丘地がある。海岸線の道路添えにある砂丘地帯には昔からスイカ・メロン・長芋・大根等の野菜類やタバコ、チューリップなどの球根類の栽培が盛んだ。上の写真はタバコ栽培の様子であるが、左が収穫の終わった株で右がこれから収穫する株だ。最近の禁煙ブームでタバコの消費量が激減し、栽培面積も減少傾向だ。下の写真は、スイカやメロンの収穫が終わった後作として大根栽培畑である。砂地であるため耕土深くて長くて白い大根が秋に収穫される。

最近砂丘地も水田と同じく、休耕地が目立ち上の写真にあるように牛の放牧地として利用されている所もある。写真を撮る私を後ろの牛がじっと見つめていた。前の牛は微動だにしないで前を見ていた。何か感ずるものがあった。それが何かはわからないが。その道路脇にはテッポウユリが咲いていた。夏も終わりに近づいている。

海岸線の道路脇には、花の香りを大気中に漂わせているセンニンソウ(上)と秋の象徴であるススキ(下)が立派な穂を風になびかせていた。蒲原ももうすぐ秋です。なお、センニンソウはボタンヅルと花が似ているが、葉を見ると簡単に判別できる。なお、センニンソウの名前の由来は、実の先に着く白いひげを仙人のヒゲに見立てて名付けたと言われるが、面白い植物ですね。

海岸線の道路脇には、ヌルデが意外と多く、きれいな花ではないが上の写真にあるように花盛りであった。ヌルデは葉にさわると肌がかぶれるウルシに似ており、秋には赤く紅葉するため時として見分けにくい。しかし、下の写真にあるように葉枝に翼があるのですぐに見分けることができる。ウルシには翼がない。


蒲原平野の自然 2020年8月

2020-08-08 21:25:15 | 日記

 8月も上旬を過ぎようとしている。わが故郷新潟県西蒲原も今は緑色から少し黄緑色に変わりつつある平野部が目の前に広がる。稲穂はまだ若く頭を垂れつつあるが、それも早いものでは今月下旬から収穫が始まり、遅くとも9月の20日頃には収穫が終わる。つい最近田植えが始まったと思ったらもう収穫の時期が迫って来ている。日本人の主食としては本当に効率の良い作物であるとつくづく思う。水田の人間に与える効用は、主食としての米の生産だけではない。緑豊かな稲苗は、光合成作用により大気に酸素を供給し、田んぼは水を貯える貯水池の役目を果たして洪水から家を守る。そして最も有り難いのが、我々人間に緑の大地を提供し、心を和ませてくれるのである。

 ただ今年は少し様子が違う。コロナウイルスだ。新潟県も7月の下旬までは感染数が80名台だったが、8月に入り、第2派が始まり現在は128名となってる。お盆も近いのに祖先のお墓参りもままならない状態だ。私もアクアパーク新潟へ行く他は行動制限をして全く外出していない。そんな中、久しぶりに高速道路脇を走ってみたので、その様子を紹介したいと思う。

若い稲穂が頭をたれて(上)収穫に向かって頑張っている。蒲原は8月3日に梅雨があけて夏空で(下:巻自動車学校前から撮る)蒸し暑さが後期高齢の我が身にこたえる。

 8月上旬に認知症検査と高齢者向けの自動車講習を巻自動車学校で受ける。認知症検査は前回よりも少し良くて90点をとり、何とかクリアーしたが、視力検査の動態検査や判断力で衰えが目立った。運転には十分注意して行かねばならないと感じた次第だ。

上の写真は現在稲穂で一杯だが、ここは私の子供の頃、鎧潟といって水を満々と湛えていた湖のような潟であった。がツボやジュンサイ、ヒシ等の水草が生い茂り、水の底にはフナ・雷魚・ナマズ・ウナギ・カエル等の水性動物が沢山生育していた自然のかたまりであった。食糧増産のためその自然はなくったため、それを忘れないために下の写真ににあるように記念碑が建立されている。越後平野はその昔は、海の底であった。多くの年月を経て水が引き、低地に水たまりが残って潟になったのである。越後平野部にはこの鎧潟や上堰潟、北蒲原の福島潟など多くに潟がある。新潟の潟という文字もここから来たのではないかと思われる。

 高速道路脇の法面では、夏の植物が盛りだ。ヤマハギ(上)、シモツケ(下)が花盛りで道路脇を覆っていた。

 また、法面では葉の裏が銀色を呈しているアキグミも多い。アキグミは名の通り秋に実が熟するが今は下の写真にもあるように枝の付け根に小さな褐色の幼果が沢山付いていた。秋には真っ赤に熟するがこれを収穫してグミ酒を作るつもりだ。

 夏の法面は、ススキ(上)とクズ(下)にも覆われる。ススキは前年の枯れ枝がまだ残っているが細い葉を空に向けて勢いを伸ばしていた。9月から10月には穂が出て秋の風情を醸し出してくれるだろう。クズは紫の花が終わりつつあった。

 春に花盛りを呈していたフジ(上)とハリエンジュ「別名ニセアカシア」(下)には、若い実が沢山付いていた。高速道路脇法面での見慣れた風景だ。

 ヘクソカズラ(上)がどこでも見られた。金網柵などにへばりついて花盛りをほこっていた。ヘクソとは屁糞に似た嫌な匂いがすることからつけれたと思われるが本当であろうか、それならかわいそうだ。アベリア(下)は本来道路脇の街路樹として植えられているものであるが、ここにはそこから逃げ出した来て繁殖したのであろうか。法面では意外と多く生えている。

8月の法面ではマテバシイ(上)は実がつきはじめ、ネムノキ(下)は花盛りだ。マテバシイの実はドングリで、この他どんぐりになる木には、クヌギ・ミズナラ・コナラ・アカガシ・スダジイ等たくさんある。この中でスダジイは別名「シイノキ」として有名であり。昔は米一升とシイの実一升と交換できたと言われるほど貴重な食料源であった。神社や屋敷内に多く植えられており、その名残を見ることができる。このシイノキに待てばなれるということからマテバシイと名付けられたと言われが定かではない。このドングリの実は美味しくなく食べる人はいないようだ。