8月も上旬を過ぎようとしている。わが故郷新潟県西蒲原も今は緑色から少し黄緑色に変わりつつある平野部が目の前に広がる。稲穂はまだ若く頭を垂れつつあるが、それも早いものでは今月下旬から収穫が始まり、遅くとも9月の20日頃には収穫が終わる。つい最近田植えが始まったと思ったらもう収穫の時期が迫って来ている。日本人の主食としては本当に効率の良い作物であるとつくづく思う。水田の人間に与える効用は、主食としての米の生産だけではない。緑豊かな稲苗は、光合成作用により大気に酸素を供給し、田んぼは水を貯える貯水池の役目を果たして洪水から家を守る。そして最も有り難いのが、我々人間に緑の大地を提供し、心を和ませてくれるのである。
ただ今年は少し様子が違う。コロナウイルスだ。新潟県も7月の下旬までは感染数が80名台だったが、8月に入り、第2派が始まり現在は128名となってる。お盆も近いのに祖先のお墓参りもままならない状態だ。私もアクアパーク新潟へ行く他は行動制限をして全く外出していない。そんな中、久しぶりに高速道路脇を走ってみたので、その様子を紹介したいと思う。
若い稲穂が頭をたれて(上)収穫に向かって頑張っている。蒲原は8月3日に梅雨があけて夏空で(下:巻自動車学校前から撮る)蒸し暑さが後期高齢の我が身にこたえる。
8月上旬に認知症検査と高齢者向けの自動車講習を巻自動車学校で受ける。認知症検査は前回よりも少し良くて90点をとり、何とかクリアーしたが、視力検査の動態検査や判断力で衰えが目立った。運転には十分注意して行かねばならないと感じた次第だ。
上の写真は現在稲穂で一杯だが、ここは私の子供の頃、鎧潟といって水を満々と湛えていた湖のような潟であった。がツボやジュンサイ、ヒシ等の水草が生い茂り、水の底にはフナ・雷魚・ナマズ・ウナギ・カエル等の水性動物が沢山生育していた自然のかたまりであった。食糧増産のためその自然はなくったため、それを忘れないために下の写真ににあるように記念碑が建立されている。越後平野はその昔は、海の底であった。多くの年月を経て水が引き、低地に水たまりが残って潟になったのである。越後平野部にはこの鎧潟や上堰潟、北蒲原の福島潟など多くに潟がある。新潟の潟という文字もここから来たのではないかと思われる。
高速道路脇の法面では、夏の植物が盛りだ。ヤマハギ(上)、シモツケ(下)が花盛りで道路脇を覆っていた。
また、法面では葉の裏が銀色を呈しているアキグミも多い。アキグミは名の通り秋に実が熟するが今は下の写真にもあるように枝の付け根に小さな褐色の幼果が沢山付いていた。秋には真っ赤に熟するがこれを収穫してグミ酒を作るつもりだ。
夏の法面は、ススキ(上)とクズ(下)にも覆われる。ススキは前年の枯れ枝がまだ残っているが細い葉を空に向けて勢いを伸ばしていた。9月から10月には穂が出て秋の風情を醸し出してくれるだろう。クズは紫の花が終わりつつあった。
春に花盛りを呈していたフジ(上)とハリエンジュ「別名ニセアカシア」(下)には、若い実が沢山付いていた。高速道路脇法面での見慣れた風景だ。
ヘクソカズラ(上)がどこでも見られた。金網柵などにへばりついて花盛りをほこっていた。ヘクソとは屁糞に似た嫌な匂いがすることからつけれたと思われるが本当であろうか、それならかわいそうだ。アベリア(下)は本来道路脇の街路樹として植えられているものであるが、ここにはそこから逃げ出した来て繁殖したのであろうか。法面では意外と多く生えている。
8月の法面ではマテバシイ(上)は実がつきはじめ、ネムノキ(下)は花盛りだ。マテバシイの実はドングリで、この他どんぐりになる木には、クヌギ・ミズナラ・コナラ・アカガシ・スダジイ等たくさんある。この中でスダジイは別名「シイノキ」として有名であり。昔は米一升とシイの実一升と交換できたと言われるほど貴重な食料源であった。神社や屋敷内に多く植えられており、その名残を見ることができる。このシイノキに待てばなれるということからマテバシイと名付けられたと言われが定かではない。このドングリの実は美味しくなく食べる人はいないようだ。