鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

モモの専用トイレが完成

2024-05-11 19:53:55 | 日記

我が家の猫モモが庭に出て用足しをする際に、せっかく菜園を耕して畝を作り、種を蒔いたり苗を植えたりするかしないかの内に、「あたしのトイレだ」と誤認してちょいちょいとほじくり返すので困っている。

そうはさせないために、ニガウリやキュウリなどのつる植物用の太目のグリーンネットを整地した畝全体に覆ったりするのだが、それでもネットの間の12センチ角という隙間に手を入れて、うまい具合に用を足してしまう。

敵ながらあっぱれだが、もう何年もこんな具合で、綺麗に耕したのを掻き乱されるとかっとする場面もしばしばだ。

そこでモモ専用のトイレを菜園の片隅に設置することにした。

菜園の東側に乙女椿が4本生えているのだが、その真ん中の2本の間に直径20セントほどの木の幹を囲いとして置き、その中に腐葉土をいれて整地した。

幅150㎝、奥行き120㎝、高さ20㎝のモモ専用トイレ。0.36㎥(360リットル)の腐葉土を入れた計算。

建設費は、丸太は我が家の木の幹だから腐葉土の購入代だけ。腐葉土は軽トラック1台で1800円なので、500円位だろう。積んでおいた腐葉土をスコップで苗箱に入れて運んで12、3杯、多少汗はかいたがもちろん労賃は無し。

汗をかいたので昼過ぎに温泉に入りに行き、帰りに焼酎サワーと言うやつを仕入れたのが出費と言えば出費だ。

満14歳の三毛猫モモ。人間なら80歳を過ぎたところだろうか。最近あまり可愛がってやらないのでやや不機嫌である。

この専用のトイレをモモが好んで使い、菜園の畝を荒らさないでくれるといいのだが・・・。


キンギョソウの新品種?

2024-05-10 21:37:11 | 日記

我が家の庭にはキンギョソウの花壇が5か所あり、そのうちで最近咲き始めた花壇のキンギョソウを見て「こんなのは初めてだ」と思う色違いがあった。

キンギョソウは上に伸びて行く長い花穂があり、一般的には下の花も上の花も白なら白、ピンクならピンクというように同じ花の色が咲くのだが、時にはグラデーション風に下の花は濃いピンクだが、上に行くにしたがって薄いピンクから白に近い色になるのがある。

これなどは下の方から順に濃いピンクから薄いピンクそしてほとんど白に近い花穂まで、順序良く同系色で下から上に向かって色が変わっている。

ところが一昨年植え付けてそのまま放置し、種がこぼれて成長していた20株ほどが咲き始めたのだが、今朝よく見るとその中で不思議な花穂を見せている株があった。

基本は黄色なのだが、上に行くにしたがって赤い色が混じっているのだ。

ここ4年ほどキンギョソウにこだわって花壇に植えるようにしたのだが、こんな非グラデーションを見たのは初めてだ。

これはおそらく交配で、ピンク色の濃い花の株と、黄色の花の株とが交配したのだろう。

見ていて飽きない色合いである。

いま現在咲いているキンギョソウの色の種類は、白、濃いピンク、薄いピンク、薄い黄色など5種類くらいで、中には赤系統のグラデーションがあり、その数は多いのだが、黄色と赤系統の混合色は初めてだ。

どう評価していいか分からないが、とにかく目をひく色合いだ。

新品種なら面白い。

 


「アタッチメント」が流行

2024-05-06 14:36:03 | 日記

昨日夜のNHKでは「アタッチメント~生きづらさに悩むあなたへ~」という番組があり、興味を持って視聴した。

アタッチメント(attachmennt)学説とは、もともと行動心理学で提起された人間感情を対象にしたもので、恐怖や不安を感じた時に何かに縋(すが)り付きたくなる感情についての仮説で、いまアメリカの若者たちの間で流行しているそうだ。

(※アタッチメントというと、付属物・付加装置という意味の方が身近だったが、この項では心理学上のアタッチメントである。)

不安や恐怖を感じた時、何かに縋りつきたくなるのは誰しも経験済みだが、通常の人間であればまずその対象は生みの親だろう。

番組の中でちょっとした実験が行われていた。まだ歩き始めて間もない幼児と親との関係で、親が突然そこから姿を消したらどうなるかという実験だった。

幼児の心拍数を聞き取れる装置を装着した幼児の反応は、当然予期された反応で、親の姿が急に見えなくなると幼児にはそぞろ不安感が生まれて心拍数は急上昇し、ついには泣き叫んで親の姿を求めるというものだ。

ところが親が現れると幼児は親の許に駆け寄り、抱っこされるとしばらくして心拍数は落ち着いてきて心拍数ももとのように平常に戻るのだが、このあたりはとくに計測しなくてもおおむね予想の付く結果だ。

幼児は保護者の庇護に安心すると、どんどん行動半径を広げて行く。もし行く先で不安や恐怖を感じたら保護者のもとに帰り、心理的にリカバリーされる。このような経験を繰り返すことにより、青年期になっていわゆる「巣離れ」が始まり、社会に飛び出して行く。

問題はこの幼児の不安が解消(リカバリー)されない時である。つまり幼児が不安や恐怖を感じたりした時に駆け寄り抱っこしてくれる親など身近な者がいない(アタッチメントが無い)時だ。

そんな時不安感は長く続き、このような経験がしばしば起きると、幼児には「自分は保護されない存在だ」というような心理的な不安感情が醸成され、心の底に沈殿する。

そしてこの状況が解消されないままでいると子どもは社会に出て行くことに不安を感じてしまう。さらには人減関係にも支障をきたすようになり、ついには引きこもるようにもなる。

自分の経験だが、両親は共稼ぎで日中はお手伝いさんに任せて暮らしていたので「母親というアタッチメント」(よくPTA の研修などで耳にしたのが「心の基地はお母さん」だった)が身近に居なかった。

たしかに不安や恐怖を感じた時に母親という安心感を与えてくれる存在(アタッチメント)がいないと、不安感は解消されず、といって職場にまで行って母親に泣きつくわけにもいかず、結局、いわゆる「泣き寝入り」であった。子どもらしい感情を押し殺すほかなかった。

4人兄弟の末子である弟は良くできた子どもで、母親の期待を背負っていたのだが、やはり困った時に甘えられるアタッチメントがそばにいないので、子供らしい感情を押し殺すことが多かったに違いなく、中学2年生の初めに不登校になった。

両親が教員なのにおかしな話だが、職業が何であろうと、こんな事態が起きたらアタッチメントの出番だろう。弟に寄り添う存在が必要だったのだ。

ところが我が家の両親は仕事を、つまり収入の方を優先してしまった。愚かなことである。

神道でいう「中今(なかいま)」要するに「今に中る(あたる)」ことを全くしなかった。今一番大事な事は何か、最優先すべきは何かを考えなかったのだ。

結果、母は弟に寄り添うことはなく、弟は中学校をやっと卒業したあと、高校中退を2校繰り返し、挙句は定時制高校に通って何とか卒業したが、もうその頃は精神科のお世話になっていて、妄想的な言動を発するようになっていた。

母親が小学校の常勤から「足を洗い」、ようやく家庭に入ったのは弟が不登校になってから5年が経っていた。事態は取り返しのつかない局面に達していたのである。

16歳から精神科の常連となった弟の生きづらさを思うと実に悔やまれる。

兄の私も、もう一人の兄も、また姉も、似たような生きづらさを抱えて生きて来たようだ。こんな感情を死ぬまで抱え込んでいたくはないが、生い立ちの不備は心の奥底にこびりついて離れないものだ。

 

 

 

 

 


怒りの鎮め方

2024-04-22 19:39:59 | 日記

新聞の囲み記事に面白い研究があった。

「怒りは紙に書いて捨てよ」というものだ。

名古屋大学の心理学(認知科学)の研究では、怒りの感情が起きた時、その怒りの感情を引き起こした状況と怒りの気持ちを客観的に紙に書き、丸めてゴミ箱にポイ捨てさせると、怒る前の気持ちと同程度にまで高ぶった気持ちが下がるという。

ただし、紙に書いて裏返しにしただけではさほど怒りの感情は収まらなかったというから、「丸めてポイ」が有効だったことになる。

これは実は昔から同様のことが行われていたこととつながっている。

例えば人から苦情の手紙などを貰った時、その苦情がまったく身に覚えがないか相手が誤解している時など、「なんでこんなことを書いて寄越すのか!」とばかり、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだりすることがある。俗に言う鬱憤を晴らすというやつである。

またかなりの数のラブレターをもらっていたが、実は相手には他に本命がいてそっちの方がうまく行き、自分の方はすっかり忘れ去られたような時、怒り心頭となって数多のラブレターをビリビリに引き裂きゴミ箱の中に叩きつける――ようなやり方で、怒りを収め、気持ちの整理が付く場合などである。

ただしこの二例ではただもらった紙(手紙)をくしゃくしゃにするだけで、その紙に怒りの感情がなぜ起きたかについての「客観的な記述」をすることはない。

一例目では苦情の内容についてその評価を客観的に書き込む、つまりどこが相手の誤解なのかを冷静に指摘したうえで、丸めてポイすれば怒りの感情は(相手への憐みの感情に置き換わり)スーッとするだろう。

また二例目では怒りのヒートアップはかなりのものに違いなく、感情の爆発はなかなか抑えがたいものがあるだろうが、相手のラブレターを破り捨てる前に「さようなら、縁が無かった、ああ自由になった、さばさばした」とでも太字の黒マジックで相手の名前を消すように書き散らせば怒りの感情は相当収まるのではないか。

こういったトラウマを解消するやり方として、そのトラウマが起きた状況についてあたかも「テレビジョンの向こうの世界」で起こったかのごとく、距離を置いてみると怒りの感情や悲しみの感情が軽減される場合が多いはずである。

親子関係のトラウマも恋愛のもつれのトラウマも、そして近年多発している災害に関してのトラウマも、何時かは軽減されて行く。

一般的には「時が解決する」と言われるが、その「時」の中身は経験の積み重ねによってある程度「客観的に見ることができる」度合いが高まるということだ。

身近な人の死は多かれ少なかれトラウマを誘発するが、身近な人の死を数多く体験すれば、やがてトラウマは限りなく小さくなるだろう。

ただやはり戦争に起因するトラウマだけは経験したくないし、誰にも経験して欲しくない。

戦争を始めた者への怒りはどう鎮めたらよいのか、怒りの連鎖はどう断ち切れるのだろうか。

 


最後の腐葉土(2024.04.20)

2024-04-20 11:38:58 | 日記

鹿屋市シルバー人材センターでは、平成20年頃から剪定仕事を請け負った際に出る「剪定くず」(枝や葉)を微細に裁断して牛糞などを混ぜて発酵させてできた「腐葉土」を販売するようになったのだが、今年度でその生産を終了することになった。

自分もシルバーセンターの会員なのだが、今年でちょうど10年が過ぎた。たしか3年目だったと思うが、人材センターの玄関先で売られている15キロ入りの腐葉土を何度か購入してみてよかったので、庭土全体にたっぷり撒こうと、軽トラック(ダンプ仕様)一台を発注するようになった。

年に3台ばかり購入し、庭の花壇の土に混入させたり、菜園の野菜用にしてきたが、令和5年度明けの5月くらいまでは腐葉土の在庫があるというので、これが最後と思い、一昨日注文したところ、今日の午前中に配達を受けた。

軽トラック仕様だから、重量はせいぜい200キロくらいだろうか、それでも15キロのビニール入りの小分けしたものに比べればかなり廉価だ。

まだ去年の12月中に運んでもらった1台分の余りが少しあるので、ここでしばらく待機だが、これに油粕を加えて寝かすとさらによい腐葉土になる。

今回でこれまでに軽トラック20台分くらいは購入したことになる。

庭土にとって最良の堆肥であった。おかげでここ3年ばかりは花も野菜も思い通りに作れるようになった。

我が家では台所の生ごみを庭に穴を掘って入れ、入れるたびに土をかぶせて来たのだが、その土の代わりにこの腐葉土を使えば、土はさらに良くなるだろう。

庭木の栄養源としても役に立ちそうだ。