鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

ひな祭り(R6.03.03)

2024-03-03 13:58:11 | 日記

今朝は思いがけなく寒い朝だった。氷点下まではいかなかったが多分2℃か3℃くらいだったろう。

昼前に娘一家がやって来るということで、家内はちらし寿司作りに没頭し始めた。

自分はと言えば、好天気になったので庭の手入れをしていたが早めに切り上げ、右大臣ではないが「少し甘酒聞こし召し」出した。

甘酒ではなくもちろん焼酎だ。炭酸割りが去年からの定番となった。

今日はそうは酔ってはいられないので、ごく薄めにして2杯ほど飲んだ。

11時半頃に娘一家がやって来てさっそく昼食会。

子どもたちの成長は早いもので、もう長女は4月から小学3年生、長男は1年生、次女は年中さんだ。

言葉も言い回しもすっかり板についている。表情もいっぱしの大人の趣が出て来ている。

そんな孫たちだが、デザートとなると幼児に戻る(子もいる)。

ちょうどNHKの「のど自慢」の真っ最中。

「あんた、何してんの」と姉。

「だっておいしいんだもん」と妹はケーキのまわりに張ってあったセロハンをなめ出した。

「ははは」と父親や爺。

誰しも通る道だよ――と昔の俺もこんなだったよなと面白がって見ている。

しばらくしてのど自慢は終わり、ゲストの千昌夫の「古希祝い」が流れた。

そのあとは特別賞とチャンピオンの発表だ。

「お父さんの見立ての女の人がチャンピオンでしたね」と婿。

満更でもない昼が、ゆっくりと過ぎて行った。

 


葉ボタンの賑わい(2024.02.26)

2024-02-26 15:29:46 | 日記

種まきから育て、庭の花壇に50株近くは植えた葉ボタンに花が咲こうとしている。

暮れから新年に入って今日まで約2か月の間、花壇にひしめくように赤と白との葉を広げていた葉ボタンが、春一番とともに花芽を出して来た。

葉ボタンの先端が盛り上がり、その中に黄色い小さな花芽を付けている。

そのままにしておくととんでもない高さまで伸びあがり、菜の花に似た黄色い花をびっしりと咲かせるのだが、剪定ばさみでその先端部分を切り落とした。

こうしておけば独特の白や赤の「大きな花」がまだしばらくはそのまま持続する。

この花壇の、特に白花たちをよく見ると何と4つ子のものがあった。

正確に言うと5つ子である。最も大きな花輪の左下にもう一つの花輪があった。

白でも赤でも双子は珍しくないが、3つ子は20株に一つくらい、4つ子となると50株全体でも一つあるか無しである。まして5つ子はこれまで毎年育ててきたが、初めての「子沢山」だ。

白ばかりの変異かと言えばそうでもなく、赤でも双子や3つ子は例外的ではない。しかし4つ子以上となるとまず見当たらない。ただし地際から茎別れし、それぞれ独立した茎になって4本になったのはあった。

今朝は早朝から快晴の上天気で、西からの風がやや強く、案の定、庭に出て少し時間を過ごすとくしゃみが出て困った。マスクはちゃんとしているのに・・・。

スギにとってはこの頃多かった雨模様が一転して晴れになる時が、花粉を飛ばす最上のタイミングだと分かっているらしい。

もう3週間前から花粉症対策の錠剤を飲んでいるが、ここを先途と撒き散らすスギ花粉の量の多さには圧倒される。

目に見えず、匂いもしないだけに厄介なスギ花粉症は「ステルス花症」と呼んで憚らない。

岸田首相はスギ花粉症に悩む国民の多いことを挙げて「社会問題である」と発言している。

対策としては適切な予防治療の取り組みや既存のスギの伐採を早めることと、花粉の少ないかゼロのスギの植林を進めることを挙げているが、後者の対策が効果を表すのは50年先だそうだ。

 

 

 

 

 


満開の河津桜(2024.02.17)

2024-02-17 15:13:32 | 日記

2月1日にほぼ同時に初咲きを迎えた梅・河津桜・乙女椿のその後の様子は、河津桜が満開となり、梅は花のほとんどを落とし、乙女椿は木の周り一杯に花を落としながらもまだたくさんの花を付けている状況だ。

満開となった河津桜。2月1日の咲き初めから17日間かけてこの状態。散るのもゆっくりだろうから2月一杯は楽しめそうだ。

乙女椿はあれよあれよと言う間に花をこぼし、自分の周りをピンクの絨毯のようにしたが、枝の花着きはまだ旺盛で一向に散り果てる気配はない。

梅は2月10日くらいがピークで、その後花を落とし、今は見る影もない。

 

今朝は寒の戻りのようでやや寒かったが、それでも日が昇るにつれ陽光が眩しいほどになった。

娘孫たちの子守を頼まれていたので、8時過ぎに娘宅に行き、小2の孫の宿題の相手をしたあと、3人を車に乗せて裏山に当たる「霧島が丘公園」まで上がった。

15日に打ち上げられる予定だったJAXAの「H3ロケット」が延期になり、今日の9時22分に種子島ロケットセンターからが打ち上げられるというので航跡だけでも見たいと思ったのである。

公園の駐車場から南へ500mもある展望所まで歩き、4階建ての高さほどの最上階の展望ラウンジに上がると10組くらいの家族連れと夫婦など25、6名の人たちが今や遅しと南の方を向いていた。

南の山並みは500m以下の丘陵で、稜線の上あたりには薄い雲がかかっていたが、9時23分ごろから3分間程度、ロケットの航跡が白い筋雲となって(見方によっては龍が空へ上っていくかのように)見えた。

 

展望所から降りると遊びをせがまれ、持参したビニールバットとスポンジの玉で野球遊びをしたが、三兄弟の真の狙いはゴーカートなのであった。

霧島が丘公園のゴーカートの運転は年齢制限ではなく、身長130センチ以上という規定があり、2年生の女孫はわずか3センチくらい下回ったため運転はできず、結局爺さんが二人乗りのゴーカートで3人を代わり番こに乗せる羽目になった。

以前に乗ったことのあるダグリ遊園地では「7歳以上」だったので、誕生日が来ているのなら小1でも運転可能で、小2の孫でも運転できたのだが、それに比べると厳しい制限だ。

ゴーカート場から出ると今度はブランコや滑り台、おまけに幼児向きの100円玉カーの乗車をせがまれた。自分で運転がしたいのだろう、仕方がない。

駐車場までの道の途中にちょっとした噴水があり、冬は停止しているようで、石畳の水たまりには小さなオタマジャクシが無数にいた。ここでもまたしばらくのプレイタイムだ。

新型コロナにもインフルエンザにも罹ったはずだが、ケロッとして遊んでいる様は好奇心の塊だ。

 


坐骨神経痛は完治!

2024-02-08 10:35:19 | 日記

去年の暮、忘れもしない羽田行きの飛行機の中で突然発症した坐骨神経痛。

狭い飛行機の座席が痛みを増幅したのだろう、居ても立っても居られないとはこのこと、我慢我慢の1時間半だった(帰りのフライトでも同様だった)。

ところが立って歩いてしまえば何ともなく、無事に墓参りを済ませ、それどころか葛飾柴又の寅さん記念館を見学し、「とらや」で名物の団子まで食して来た。

坐骨神経痛が発症したのは12月22日で、ちょうどオヤジの命日だった。よくも今まで墓参に来なかったな――という戒めだったか?

また歩くのには支障がなく、柴又帝釈天(題経寺)界隈を歩くことができたのは、まあ遠くから来たのだからそれくらいの楽しみはさせてやろう――という仏恩(?)か。

どっちにしても、帰宅後の坐骨神経痛の痛みは変わらず、よく行く温泉で知人に話したら、自分も坐骨神経痛だが病院へは何度か行ったきりでそのままにしている、と言われ、まずは温泉で治して行こうと決めた。

その後、温泉に行っては腰のあたりを中心に低周波をかける(電気風呂にはいる)日々が続くのだが、大相撲が始まってから、ふと気が付いたのだ。

「お相撲さんが坐骨神経痛で休場したというのは聞いたことがないぞ」――と。

あんなに激しくぶつかり合い、土俵から転げ落ちることの多い力士に捻挫や打撲、膝の故障は多く、それで途中休場する力士はたしかに多い。

だが、休場のアナウンスや新聞に載る休場力士の記事に「坐骨神経痛で○○週間の加療が必要のため休場」というのは聞いたことも見たこともない。

それでいったい力士が坐骨神経痛にならない理由は何なのかを考えてみると、突っ張り合うにしてもがっぷり四つに組むにしても、力士の腰が常に安定しているのに気付かされた。

その安定した姿勢を保つのが「外股」ではないか。「ガニ股」に似ているが、こっちは膝と膝との間が空き過ぎており、多くは膝自身が曲がっている。

「外股」は膝が曲がってはおらず、膝の下の足の先が大きく外を向いている状態である。要するに時間前に対戦する両力士が徳俵の場所で蹲踞する時の足先の向きが外向きで、その角度が非常に大きい状態だ。

力士はそのままの外股でぶつかり合い、突っ張り合い、四つに組んだりしている。腰が安定しているから体の中心がぶれないでいられ、土俵際でもよく残している。

そこで蹲踞に近い姿勢をとるようにしてみた。椅子に座っていても、ちょっと前かがみになると尻の横から太ももの裏にかけて、鈍痛が走っていたのだが、10日くらい意識してやってみたら、大分痛みが軽減して来た。

もちろん温泉の電気風呂には毎日のように通っているのだが、4日前だったか、朝起きて前かがみになって靴下を履く時、何と全く痛みを感じなかったのだ。

今日はそうっと菜園の畝作りをしてみた。もう終わりかけの白菜の畝に残る枯れたり腐りかけていたのを掻き取るのだが、中腰になっても鈍痛は全く起きない。

そのあと草を処分しながら耕したのだが、さすがに普通の鍬では腰に負担がかかるだろうと思い、長さ30センチほどの手鍬で耕し、畝を作った。

この間、約30分、長さ3メートル、幅70センチほどの畝立ての間、もちろん中腰であったが、やはり痛みはほぼ終焉していた。

ありがたや、外股と電気風呂。坐骨神経痛はやはり腰から来るようで、腰に直接働く低周波は血行と筋の強張りを解きほぐす効果が高いと思う。そして外股は体幹のバランスを整えてくれたのだろう。

坐骨神経痛には温泉(銭湯)の電気風呂がお勧めだ。ただし5分以上の長湯は禁物。また心臓にペースメーカーを装着していると入れない、という制限がある。


初咲き三種

2024-02-01 14:23:05 | 日記

昨日の暖かさは春を思わせ、夕方の天気予報では鹿児島のどの地点でも3月下旬の気温だったという。奄美地方では25℃を超え、1月中としては初めての夏日を記録したそうだ。

大隅でも鹿屋では午前中は雨模様だったが、昼過ぎに青空が見える時間があって気温がぐんぐん上がり、22℃くらいまでいった。

南寄りの西風が吹き、外で庭いじりをしていると背中が熱いくらいで、日陰に折り畳み式の椅子を出して休んだほどだ。

夕方、冷たくない西風なら大丈夫だろうと近所で凧上げをしたが、よく上がり、久しぶりに気分爽快になった。

今朝は小雨模様だったが、庭を見て回ると、あるはあるは、春の訪れを告げる花が開花していた。

梅に、河津桜、そして乙女椿。

この花たちは例年同じ頃に咲き揃うのだが、ほぼ同日に咲いたのを見たのは初めてだ。

草の仲間では菜の花の一種のナバナはもうだいぶ前から咲いていて、花瓶に生けたりしているが、木に咲く花としてははサザンカ以来の開花となる。

今日の日中はこの時期としては結構な雨だが、適度な湿り気がつぼみが開くのを後押しするに違いない。

春告げ鳥の鶯の鳴き声も間もなく聴こえてくるだろう。待ち遠しい。