「ゆく年くる年」がNHKの大晦日の定番番組だが、時の流れのうち、昨日(きのう)・今日(きょう)・明日(あす・あした)は日常もっとも使われる用語である。
ところがこの「きのう・きょう・あした」という和語の語源がよく分かっていない。
漢字の「昨日」は「サクジツ」と読み、「昨」は「日を重ねる」という意味なので、「重ねられた日」で今日が重なった日、つまり前日を表している。
また「今日」は「コンニチ」と読み、これは文字通り「今の日」であるから今日のことである。
そして「明日」は「ミョウニチ」と読み、「明けた日」であるから明日のことに間違いはない。
また時系列を表す言葉に「過去・現在・未来」があり、これは漢字の意味から直ちに了解される。
この過去・現在・未来は和語でも「過ぎ去りし時」「現(うつつ)に在る時」「いまだ来ざる時」と表せる。
ところがである。「きのう」も「きょう」も「あす(あした)」も和語の語源がよく分からないのだ。
なぜ「昨日」が「きのう」なのか。なぜ「今日」が「きょう}なのか。なぜ「明日」が「あした(あす)」なのか。
「きのう」「きょう」に共通する「き」は「来る」の「来」に関連するのか。また「あす(あした)」の「あ」は「明ける・開ける」の「あ」に関連するのか。
「きのう」を古語では「きのふ」と表し、「きょう」を古語では「けふ」と書く。共通しているのは「ふ」である。
「ふ」は「経(る)」の漢字が当てられるとき「過ぎる」の意味を持つ。
そう考えると「きのふ」は実は「とき(時)のふ」の「と」の脱落で、「時が過ぎた」という意味になるから「きのふ(昨日)」は「時が過ぎた日」となり、昨日が「きのふ(う)」と古語で言われた可能性があったのかもしれない。
しかしそうなると「今日」の「けふ」は「ふ」が「経(ふ)る」であるならば、いま現在ではなくもう過ぎ去った日となり、「きのう(ふ)」と「きょう(けふ)」は同義となるという矛盾を孕む。
むむ、難しいなア。
「明日」の「あした・あす」はどうか?
和語の「あ」は「明ける・開く」の「あ」の意義で、「明日」は漢字からも「明くる日」だから、こちらは音訓ともに近似値と言えるのではないか。
だが、問題は「きのう」「きょう」の方だ。
日常もっとも使われている「きのう・きょう」の語源がさっぱり分からないとあっては困ったもんだ。「チコちゃんに叱られ」ても仕方がないだろう。
「チコちゃん」ならどう解決するだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます