8月9日は長崎原爆忌(平和祈念式典)。
75年前の午前11時2分、長崎市のほぼ中心部にある「浦上天主堂」近くにプルトニウム型原子爆弾が投下され、長崎市の大半は廃墟と化した。
何日たってかは分からないが、米軍に従属しているカメラマンが撮った一枚の写真が現ローマ教皇フランシスの目に留まり、これが拡散して長崎が世界中で再び注目されることになった。
それは、まだ小学生の少年が、背中に横向きに深くうな垂れた弟らしい幼児を背負っている写真である。
すでに弟はこと切れていて、遺体を焼く場所での順番を待っている姿というのも見る者を悲しみに誘うに十分だが、少年のまるで「気を付け」と言われたかのように直立している姿勢と、少年の目の中の悲しみとあきらめとの交じった何ともつかぬ色合いが余計に切ない。
今年は新型コロナ感染対策で長崎も広島と同様、参列者を10分の一に減らしての開催となったが、子供たちの「平和の誓い」と市長の「平和宣言」、そして総理大臣の挨拶は例年と変わりなくあった。
安倍首相の挨拶は「新型コロナ対策」というのが枕に使われただけで、内容は広島でのあいさつとほぼ変わらず、例によって「我が国は唯一の被爆国であるから、核兵器のない世界実現に向けて国際社会をリードしていく」というものであった。
国連で「核兵器禁止条約」が策定されたが、日本が批准しないのはこの安倍首相の挨拶とは全く相いれない。矛盾も甚だしい。
批准しないのは、「日本がアメリカの核の傘によって守られているから、アメリカにおける核兵器は必要とされる。したがって無くすわけにはいかない。」という論法である。
しかも挨拶ではこうも言っている。
「核拡散防止条約(NPT)は発効して50年になる。結束した取り組みの継続を各国に働きかけ、積極的に貢献します。」
核拡散防止条約とは「既存の核保有国(米英中露仏)以外の国で核武装をするのを防止する」という内容で、これあるがゆえに北朝鮮やイランの核保有に目を光らせているというのだが、これに対して日本がどう貢献して来たのか、全くの虚言である。
日本が独自に北朝鮮やイランに対して「核を持つな」と言ったなど聞いたことがない。
結局のところ、アメリカがそれらの国々に「重大なる懸念」を表明し、かつ「経済制裁を加える」ことに賛成するだけの話である。
北朝鮮にしてもイランにしても「ふん、アメリカの尻馬じゃねえか」と蔑んでいるのがオチだ。(※もっともイランは石油貿易に関して、また戦後史の中で日本には常に友好的であり、ガチガチの日米同盟への懸念表明は控えている。大人の態度というしかない。)
「積極的に貢献する」のなら、もうアメリカの尻馬に乗っからずに独自の外交関係を築くしかない。ガチガチの日米同盟はトランプも「見直そう」と言っている。チャンス到来ではないか。
日米同盟がチャラになったら、「中国が尖閣諸島を乗っ取り、そのうちに沖縄も乗っ取られる」とか「ロシアが北方領土を完全に自国のものとし、北海道が危うくなる」などと心配する人が多いが、日本に独自の外交がないものとあきらめている人間のたわごとでしかない。
こういう人々は「アメリカ依存症」というべき人たちで、旧冷戦時代の思考にどっぷりつかってしまっており、まさによく言われる「旧人類」そのものだろう。
つい最近亡くなったが、台湾で初めて民主的な選挙で総統に選ばれた李登輝氏は、まだ元気なころのインタビューで「日台の連携」を言っておられたが、その根底には「日本よ、もっと日本らしさを出せ」と叱咤しているように感じた。
「旧人類」でも日本が台湾を統治していた時代(1895~1945年)、いかに日本が教育・農業・治山治水・医療などで多大の貢献をしていたかをよく知る人は少ない。しかし台湾人でその時代に育った人々はよく知っており非常に感謝している。
朝鮮半島でも同様の分野のインフラ投資は莫大であったと聞く。失脚したが前大統領のパク・クネの妹は「日本は併合期間(1910~1945年)に多くの貢献をした。そのこと抜きに現在の韓国は考えられない。」と率直に述べている。
今まさに「ウイズ・コロナ」だが、「アフター・コロナ」もそのうちに来るだろう。同じ意味で今までは「ウイズ日米同盟」だったが、これからは「アフター日米同盟」を視野に入れなければなるまい。
「アフター日米同盟」はそのうちに来るだろうなどと言ってはいられないが、日本が「永世中立」を国策にした段階で、それが始まる。
日米同盟を解消し、日本とアメリカは普通の国同士の関係に入る。国防は専守防衛にに徹し「自分の国は自分で守る」。そのうえで「永世中立」を宣言する。
現代の災害の大きさ・激しさを鑑みると、国同士がいがみ合っている場合ではない。戦力の30パーセントでも各種の災害(今の新型コロナ感染対応も含む)に振り向けるべきで、日本がそれをリードする。天災大国日本の出番だ。
世界はそれを待っている。
75年前の午前11時2分、長崎市のほぼ中心部にある「浦上天主堂」近くにプルトニウム型原子爆弾が投下され、長崎市の大半は廃墟と化した。
何日たってかは分からないが、米軍に従属しているカメラマンが撮った一枚の写真が現ローマ教皇フランシスの目に留まり、これが拡散して長崎が世界中で再び注目されることになった。
それは、まだ小学生の少年が、背中に横向きに深くうな垂れた弟らしい幼児を背負っている写真である。
すでに弟はこと切れていて、遺体を焼く場所での順番を待っている姿というのも見る者を悲しみに誘うに十分だが、少年のまるで「気を付け」と言われたかのように直立している姿勢と、少年の目の中の悲しみとあきらめとの交じった何ともつかぬ色合いが余計に切ない。
今年は新型コロナ感染対策で長崎も広島と同様、参列者を10分の一に減らしての開催となったが、子供たちの「平和の誓い」と市長の「平和宣言」、そして総理大臣の挨拶は例年と変わりなくあった。
安倍首相の挨拶は「新型コロナ対策」というのが枕に使われただけで、内容は広島でのあいさつとほぼ変わらず、例によって「我が国は唯一の被爆国であるから、核兵器のない世界実現に向けて国際社会をリードしていく」というものであった。
国連で「核兵器禁止条約」が策定されたが、日本が批准しないのはこの安倍首相の挨拶とは全く相いれない。矛盾も甚だしい。
批准しないのは、「日本がアメリカの核の傘によって守られているから、アメリカにおける核兵器は必要とされる。したがって無くすわけにはいかない。」という論法である。
しかも挨拶ではこうも言っている。
「核拡散防止条約(NPT)は発効して50年になる。結束した取り組みの継続を各国に働きかけ、積極的に貢献します。」
核拡散防止条約とは「既存の核保有国(米英中露仏)以外の国で核武装をするのを防止する」という内容で、これあるがゆえに北朝鮮やイランの核保有に目を光らせているというのだが、これに対して日本がどう貢献して来たのか、全くの虚言である。
日本が独自に北朝鮮やイランに対して「核を持つな」と言ったなど聞いたことがない。
結局のところ、アメリカがそれらの国々に「重大なる懸念」を表明し、かつ「経済制裁を加える」ことに賛成するだけの話である。
北朝鮮にしてもイランにしても「ふん、アメリカの尻馬じゃねえか」と蔑んでいるのがオチだ。(※もっともイランは石油貿易に関して、また戦後史の中で日本には常に友好的であり、ガチガチの日米同盟への懸念表明は控えている。大人の態度というしかない。)
「積極的に貢献する」のなら、もうアメリカの尻馬に乗っからずに独自の外交関係を築くしかない。ガチガチの日米同盟はトランプも「見直そう」と言っている。チャンス到来ではないか。
日米同盟がチャラになったら、「中国が尖閣諸島を乗っ取り、そのうちに沖縄も乗っ取られる」とか「ロシアが北方領土を完全に自国のものとし、北海道が危うくなる」などと心配する人が多いが、日本に独自の外交がないものとあきらめている人間のたわごとでしかない。
こういう人々は「アメリカ依存症」というべき人たちで、旧冷戦時代の思考にどっぷりつかってしまっており、まさによく言われる「旧人類」そのものだろう。
つい最近亡くなったが、台湾で初めて民主的な選挙で総統に選ばれた李登輝氏は、まだ元気なころのインタビューで「日台の連携」を言っておられたが、その根底には「日本よ、もっと日本らしさを出せ」と叱咤しているように感じた。
「旧人類」でも日本が台湾を統治していた時代(1895~1945年)、いかに日本が教育・農業・治山治水・医療などで多大の貢献をしていたかをよく知る人は少ない。しかし台湾人でその時代に育った人々はよく知っており非常に感謝している。
朝鮮半島でも同様の分野のインフラ投資は莫大であったと聞く。失脚したが前大統領のパク・クネの妹は「日本は併合期間(1910~1945年)に多くの貢献をした。そのこと抜きに現在の韓国は考えられない。」と率直に述べている。
今まさに「ウイズ・コロナ」だが、「アフター・コロナ」もそのうちに来るだろう。同じ意味で今までは「ウイズ日米同盟」だったが、これからは「アフター日米同盟」を視野に入れなければなるまい。
「アフター日米同盟」はそのうちに来るだろうなどと言ってはいられないが、日本が「永世中立」を国策にした段階で、それが始まる。
日米同盟を解消し、日本とアメリカは普通の国同士の関係に入る。国防は専守防衛にに徹し「自分の国は自分で守る」。そのうえで「永世中立」を宣言する。
現代の災害の大きさ・激しさを鑑みると、国同士がいがみ合っている場合ではない。戦力の30パーセントでも各種の災害(今の新型コロナ感染対応も含む)に振り向けるべきで、日本がそれをリードする。天災大国日本の出番だ。
世界はそれを待っている。