鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

大型台風10号の通過

2020-09-07 11:09:51 | おおすみの風景
いま現在、9月7日の11時。外は日が差し始め、やや強い西の風が吹くが、雨は降っていない。

昨夜は台風10号が9時頃に最も接近するとニュースが言い、その通りになった。どうせ外は荒れ狂い、停電するに違いないと、まさにその9時頃にスマホと懐中電灯を持って早々と床に就いた。

音楽を聴いているうちに、外は荒れ狂うどころか風がウソのように収まって行ったのに気付いたが、「おかしいな、台風の目に入るわけないのだが・・・」と半信半疑のまま寝入っていた。

気が付いたのがちょうど12時で、外の風や雨の音は聴こえてはいるが激しいというほどのものではなく、停電もしていなかったので起きてテレビを見ることにした。

テレビでは台風の位置が阿久根市だったか出水市だったか忘れたが、中心が薩摩半島北部の西方海上に移っていた。ここ鹿屋からは直線距離にして150キロほどの海上を台風は北に進んでいることになるが、そこまで行ったらので暴風圏からは外れたようだ。

画面に、台風の中心が枕崎の西方海上にあった9時に最大瞬間風速が43mだったと表示されていたので合点がいった。

鹿児島本土で最も台風に近い枕崎でさえ43mだったのだから、枕崎から直線で70キロも東に離れた鹿屋なら30mほどだったのだろう。予想外に気圧が弱まって来たためだろうか、うれしい誤算だった。

むしろ昨日の夕方の4時過ぎだったか、玄関を少し出て庭を眺めていた時に猛烈な東風が吹いていたが、あれが最大風速だったかもしれない。40m近くはあった気がする。

それから再び床に入り5時半ごろ目覚めてみると、もう風向きが真反対の西風に変わっていた。雨も霧雨のような柔らかいものになっており、愛犬ウメを連れて散歩に出てみた。

回っていると近所の人たち二人に出会ったが、一軒は道路に面したアルミ製のフェンスの半分位が倒されていた。ここは以前の台風でも、もう3回くらいはやられている。見に出て来た旦那は公園にあるような金網式フェンスに変えようと思う、と言っていた。

もう一軒は無傷だった。おまけにやられると思って諦めていた柿の木の実がたわわのままだった、と喜んでいた。(※我が家にも柿木が大小5本あるが、2本は完全に落ち尽くし、3本はまだ無事だ。)

とにかく被害は軽微だったのでやれやれである。

それにしても9号と言い今度の10号と言い、どちらも沖縄や奄美からそのまま北上して朝鮮半島へのコースをとったが、前代未聞ではないか。

夏の終わりから秋口のこの時期の台風は、奄美近海を過ぎたら黒潮ルートをとって四国から潮岬あたりへ進むのが普通だったはずだ。地球温暖化のせいで、東シナ海の海水面温度が異常に高いのが原因だろうか。

しかし2つの台風で東シナ海はかき回されて水温が下がったに違いない。次に発生する台風からは本来の黒潮暖流に沿って進むのではないか。伊勢湾台風のように、9月も末頃になって超大型が襲来しているから、まだまだ油断はできない。

昨日は一日中、家の中で過ごしたので、テレビの台風情報を横目に、藤原正彦の『日本人の誇り』というエッセーを読み返していた。

エッセーというには骨っぽいが、実に良い本である。特に維新以降の日本史の勉強になること請け合いだ。

大方の昭和史は昭和を大戦に導いた戦前と終戦(敗戦)後を180度向きを変えた歴史のように書いているが、昭和史も明治維新からの流れの一部、つまり100年にわたる西洋列強との交渉史として捉えなければ史観を誤り、「日本罪悪史観」から逃れられない――というのである。

今回はこの書を紹介するにとどめるが、近いうちにブログで内容に立ち入りたいと思っている。

【追記】台風10号が鹿児島県本土に最接近した時に945ヘクトパスカルと予想を大きく上回ったのは、進行方向の東シナ海が、一週間前に東シナ海を北上した台風9号によって撹拌され、海面温度がかなり下がったことによるそうである。ラッキーだったというしかない。(9月9日)