3月7日に種子島宇宙センターから打ち上げられた「H3ロケット」は順調に打ちあがったかに見えたが、3段目の切り離しに失敗し、10数分後に軌道破棄の指令が出されて太平洋の藻屑となった。
去年の10月12日に肝付町の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられ、やはり指令破壊された「イプシロン6号機」に続く失敗であった。
どちらも鹿児島県にあるロケット射場での立て続けの失敗は、県民として歯がゆい思いがある。
特にH3ロケットの場合、それまでの主力ロケットで打ち上げ成功率95パーセントを誇っていたH2ロケットの後継機であることからすれば、いきなりの失敗だったので不安が大きい。打ち上げを見守っていた見学者の中からも、驚きとも何ともつかない声が上がっていた。
部品の多くがH2ロケット仕様からの引継ぎであり、また新たな部品もその設計を3Dプリンターで行うという徹底的な「低コスト対策」を採用したので開発費がH2型の半分の50億円で済んだらしいが、低コストを意識するあまり何でもない機体制御装置の電源トラブルが発生してしまったというのでは元も子もない。
打ち上げにかかるコストの大幅な削減をしないとこれからの宇宙ビジネス(人工衛星打ち上げビジネス)に太刀打ちできない、と説明されるのだが、素人からするとそもそも人工衛星の打ち上げや宇宙ステーションの組み立て、維持などはビジネスではなく国家的なイベントではないかと思うのだ。
先日、テレビのニュースで日本人宇宙飛行士の野口聡一さんが鹿児島のどこかの小学校で講演をした際、講演後の質問時間で「君たちの修学旅行が宇宙旅行になる日が来るよ」と答えていたが、修学旅行積立にいったいいくら積み立てれば可能なのかまでは言及していなかった(笑)。まあ、数十億の資産家同士の新婚旅行なら「あり」かもしれないが・・・。
宇宙ビジネスが何十兆円規模になるか知らないが、ビジネスのことはアメリカに任せておけばよい。「金になるなら宇宙まで」という金主主義大国アメリカには太刀打ちできようもない。現に、宇宙ステーションへの往路に投入するロケットは、製造から打ち上げまで全部アメリカ仕様ではないか。
今度の2度続いた打ち上げの失敗は、そんな宇宙ビジネスにうつつを抜かすよりも、日本は地上の戦争・貧困・災害にもっと目を向けよ、関心を持てという啓示のように思われてならないのだ。
去年の10月12日に肝付町の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられ、やはり指令破壊された「イプシロン6号機」に続く失敗であった。
どちらも鹿児島県にあるロケット射場での立て続けの失敗は、県民として歯がゆい思いがある。
特にH3ロケットの場合、それまでの主力ロケットで打ち上げ成功率95パーセントを誇っていたH2ロケットの後継機であることからすれば、いきなりの失敗だったので不安が大きい。打ち上げを見守っていた見学者の中からも、驚きとも何ともつかない声が上がっていた。
部品の多くがH2ロケット仕様からの引継ぎであり、また新たな部品もその設計を3Dプリンターで行うという徹底的な「低コスト対策」を採用したので開発費がH2型の半分の50億円で済んだらしいが、低コストを意識するあまり何でもない機体制御装置の電源トラブルが発生してしまったというのでは元も子もない。
打ち上げにかかるコストの大幅な削減をしないとこれからの宇宙ビジネス(人工衛星打ち上げビジネス)に太刀打ちできない、と説明されるのだが、素人からするとそもそも人工衛星の打ち上げや宇宙ステーションの組み立て、維持などはビジネスではなく国家的なイベントではないかと思うのだ。
先日、テレビのニュースで日本人宇宙飛行士の野口聡一さんが鹿児島のどこかの小学校で講演をした際、講演後の質問時間で「君たちの修学旅行が宇宙旅行になる日が来るよ」と答えていたが、修学旅行積立にいったいいくら積み立てれば可能なのかまでは言及していなかった(笑)。まあ、数十億の資産家同士の新婚旅行なら「あり」かもしれないが・・・。
宇宙ビジネスが何十兆円規模になるか知らないが、ビジネスのことはアメリカに任せておけばよい。「金になるなら宇宙まで」という金主主義大国アメリカには太刀打ちできようもない。現に、宇宙ステーションへの往路に投入するロケットは、製造から打ち上げまで全部アメリカ仕様ではないか。
今度の2度続いた打ち上げの失敗は、そんな宇宙ビジネスにうつつを抜かすよりも、日本は地上の戦争・貧困・災害にもっと目を向けよ、関心を持てという啓示のように思われてならないのだ。