今日は久しぶりに西風が吹きつけないと思ったら雨模様だった。
小雨なので車から降りてちょっとそこまで行くくらいなら、傘は要らない。
春雨に近いが(実際春だが)、いたく冷え冷えとした雨である。
これなら桜も散るのを逡巡しているだろうと思い、弁当を手に家内と吾平山陵公園に行ってみた。
吾平山陵公園内の桜は満開を過ぎてはいたが、鑑賞するには十分なくらい残っていた。ここの東屋で周囲を眺めながら弁当をつかったが、やはり冷え込んできた。
あったかい茶をすすり込みながら、食べ終わると、早々に帰途に就いた。
帰路、隣町の高山温泉ドームに立ち寄った。入り口にある広い公園に数十本の桜があるのを知っていたからだ。高山温泉ドームの桜は見事だった。天気が良ければ家族連れで賑やかだったかもしれない。
ここの温泉の指定管理者が4月から変更になると、以前来たときに教えられていたので、建物の中に入ってみた。
中に入って驚いたのが、ロビー部分の変わりようだった。前の指定管理者の時はロビーの3割方を占める商品棚に商品がいっぱい並べられていたのだが、それらはすべて撤去されていたのだ。
指定管理者が変われば、その管理者の運営方針が前面に出るのは理解できるが、あまりの変わりように少しばかり心配になった。杞憂であればよいが・・・。
最後に吾平町の玉泉寺跡に回ってみた。ここも桜が10本ほどはある。
玉泉寺公園の桜はどれも大木で、満開を少し過ぎており、地面には桜吹雪のあとが美しい。
一番奥の高みにあるのは「歴代住職の墓地」で、無縫党と呼ばれる禅宗独特の丸みを帯びたつるんとした墓塔と供養塔が静かに立ち並んでいる。桜の花びらを散り敷いた墓域には14基の無縫塔が立つ。
玉泉寺は応永二年(1395年)に源翁(げんのう)和尚によって建立された曹洞宗の寺である。隣の高山町にあった道隆寺は中国からの渡来僧・蘭渓道隆が始祖で宗派は臨済宗だが、どちらも禅宗で、地元の豪族(武士)が帰依し、寄進した。
武士たちが真宗の他力本願ではなく自力の悟りを求めたのは、いつ主君の命令で戦場に赴き命を落とすかわからないという「忠」へのストレスを緩和するためだろう。
武士を捨てて仏門に入れば殺伐からは解放される。この無縫塔の墓の主の中にはそのような経緯で出家し修業三昧に過ごした人もあったろう。
桜吹雪の中の数片が、これら無縫塔のどの丸い頭にものっている。
墓の主は桜を求めて右往左往する平和な時代の我々をどう見ているだろうか。
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