今日の11時40分、菅官房長官から新元号がテレビ中継で発表された。
その元号は「令和」。
菅官房長官の口から「れいわ」と出て、すぐに額入りの色紙に書かれた文字を掲げたが、それを見て一瞬「うむ」と声が出た。
「和」は馴染みがあり、昭和生まれとしてはすんなりと入ってくる文字だが、「令」にはちょっと戸惑ってしまった。
「命令」「律令」などの熟語がとっさに浮かんだが、どちらも「上からのお達し」という意味合いなのだ。勢い庶民としては敬して遠ざける体の漢字である。
その一方で「令嬢」「令息」「令夫人」などとして使われ、「良い・優れた」という意味合いもある漢字ではある。
しかも、この漢字は万葉集の「梅の花」の詞書(ことばがき)から採用された初めての中国の古典からではない命名との説明を聞いて、最初に聞いた時点での違和感のようなものは次第に薄れた。
実は万葉集をわが「史話の会」では、一昨年の一年間学びに費やしていて、件の「梅の花」を二か月にわたって学んでいるのである。
万葉集と言っても原典である4500首余りを網羅したたとえば岩波書店発行の古典全集で学んだわけではなく、小学館から発行されているダイジェスト版に拠ったのだが、この「梅の花」については詳しく学んだのである。
というのは、この「梅の花」を詠んだ歌というのは、天平2年(西暦730年)のい旧暦の正月13日に詠まれているのだが、当時の太宰府長官であった大伴旅人が九州諸国の国司やそれ相当の高官を自邸に招き、各々に梅の花を織り込んだ歌を作らせた総数32首の和歌群なのである。
詠み人の中に当時の薩摩国と大隅国の高官が入っているので、詳しく見て行こうと、万葉集第五巻に掲載されている32首(万葉集4516首に付けられた通し番号で815番から846番まで)とそれぞれの詠み人の名前をプリントして会員に配り、二回にわたって学んだのだ。
それぞれの歌についてここでは触れないが、梅の花の宴の開催者である大伴旅人の歌だけを次に挙げておく(通し番号の822番)。
わが苑(その)に 梅の花散る 久方の 天より 雪の流れ来るかも
(太宰府長官の官邸に咲く梅の花が散っている。まるで天から雪が降るようだ。)
「令和」という漢字は、この32首の歌を詠むことになった事情を説明した「梅花の歌32首ならびに序」という詞書(ことばがき)の中にあるのだが、その内容についてはすっかり忘れていた。
慌てて万葉集を開いてみると、次のように述べられていた。(令と和を含む箇所と前後を挙げた。)
「天平二年正月十三日、帥(そち=大宰府長官=大伴旅人)の老(おきな)の宅にあつまるは、宴会をのぶるなり。時に初春の令(よ)き月、気淑く、風和(なご)み、梅は鏡の前の粉(こ)を披き、蘭は「ハイ」(王へんに凧)の後の香を薫らす。しかのみならず、曙の嶺に雲移りては、松は羅を掛けて衣笠を傾け、・・・(後略)」
(天平2年=730年の正月13日に大宰府の長官官邸において宴会を催した。時に正月という良き月で、天気もよくて風もなく、梅の花が香ってまるで淑女が鏡の前でおしろいをはたくようであり、また庭の春蘭もハイ(高官・貴人が集う時に手にする楕円形の長い板)の後ろにしたためたの同じと香りを漂わせている。そのうえ、朝方の嶺に雲がかかって霞のように見え、嶺の松があたかも薄物の衣笠をかぶった令人のようだ・・・)
この詞書にあるように「令」は「よい」という意味があるので、最初の直観的な印象よりははるかに良い漢字だと知れる。
馴染むのにそうはかからないだろ。
「令和」はまた二文字の間に返り点を入れると「和せしむ」とも読めるから、世界の平和を進展させるという意味でもあり、日本が中心になって世界が和むようになればうれしい限りだ。
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