鴨着く島

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大坂維新の会の勝利

2019-04-10 22:35:01 | 日本の時事風景

4月7日に一斉に行われた地方議会選挙のうち、注目の大阪では前大阪府知事の松井氏が市長選に出て当選し、前大阪市長の吉村氏が府知事選に出て当選した。

前例のない知事と市長の交換出馬には批判もあったが、大阪都構想を推し進めるための奇策で、法令(公職選挙法)違反ではない。

大阪市を廃止し、途中に大阪市の入らない「大阪都○○区」にするのは東京都に倣うわけだが、これにより府・市の二重行政は解消に向かうだろう。

もっとも大阪に限らず、神奈川県横浜市・川崎市をはじめいわゆる「政令指定都市」はすべて二重行政なのだが、大阪の場合は東京都の補完的役割が期待されるので非常に重要である。

東京一極集中はとどまるところを知らない。国会を筆頭にすべての公的機関(ほかに企業の本社やマスコミ)が集まってしまうと、いざ災害の時に国家機能がマヒする可能性が高い。

東日本大震災でもあれだけの都市機能停止になったのだから、そう遠くない時期に起こるのは間違いないとされる首都直下型や東南海トラフ・南海トラフ由来の大地震・大津波への備えにはまずは大阪都への公的機関の移転から始めてもらいたいものだ。

この首都分散に加えて、私が希望するのは「還都」である。

即位の礼を京都御所で済まされた明治天皇は明治元年(1868)に江戸城に行幸し、翌年の10月に美子(はるこ)皇后が江戸城に入ると江戸城は東京城と改名され、明治4年(1871)の11月に東京で大嘗祭が営まれ、この時点で東京城が皇居となり、東京が日本の首都となった。

江戸城が皇居になったのは、「徳川武家政権の本拠地を差し押さえて天皇親政の新しい国家にする」という象徴的意味合いが強かった。

城というのは本来の伝統的な天皇の在り方からすればマッチしない施設である。1000年余り天皇家が祭祀を中心に過ごした京都御所こそがふさわしい。

皇居が京都に移るのは、元に復するので「還都」というが、これにより少なくとも宮内庁はすべて移動し、また外国の大使館や公使館なども移る国があってもよい。また文科省や文化庁など文化的な行政も移ったらよい。

大阪都には経済を中心とした行政機関を置くようにすれば、東京の国家機能分散が進み、大災害への対応にも余裕が生まれるのではないだろうか。

是非そうなってもらいたいものだ。今度の大阪の選挙結果は近来になく面白いことになった。


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