台湾総統選挙で元民進党出身総統だった蔡英文氏が返り咲いた。それも国民党候補を圧勝して。1986年から行われるようになった国民の直接選挙で最多の得票を得たという。香港での反中国運動の影響が大きく出たに違いない。
「総統」という名称には懐かしい趣があり、我々年代では「蒋介石総統」が頭に浮かぶだろう。蒋介石は台湾における国民党政府の最初の総統で、実は1949年に中国大陸で中国共産党軍と戦い敗れて台湾に落ち延びた国民党政府の主席でもあった。
この国民党政府の前身は1920年代に活躍した孫文の中国革命党だが、「革命党」だからと言って共産革命ではなく、古来中国の「革命思想」に基くもの。清王朝打倒の「辛亥革命」がまさにそうだった。
孫文も一時は「大総統」になったのだが、袁世凱等の軍閥抗争に乗り切れず、不本意のままに亡くなってしまったが、国民党はそのあとを継ぐものとして期待されていた。しかし太平洋戦争当時の英米に取り込まれ、完全に反日に路線を切り替えてしまった(カイロ宣言)。
戦後は再び大陸の雄として勢力を維持したが、日本の敗北によって大陸から日本軍が撤収されると待ってましたと共産党軍が攻勢を強めて勢力を拡大していった。対米英従属路線(反日路線)が裏目に出、また規律正しい日本軍に倣った(真似をした・学んだ)共産党軍により追い詰められ、ついに国民党政府は大陸を放棄せざるを得なくなった。
英米のうち米国は朝鮮半島における共産色を強めた抗日ゲリラ部隊だったという金日成軍の動向に縛られていたが、英国は何とカイロ宣言をうっちゃり、中国共産党政府の樹立(1949年10月1日)の翌年2月には共産党政府を承認するという離れ業をやってのけたのである。自己中もここに極まれりだ(蒋介石が英米に内戦への肩入れを頼んでもノーだったそうだが、これもひどい話である)。
その後の英米特に米国との関わりでは、ソ連の「鉄のカーテン」に次ぐ「竹のカーテン」だったのが、1972年のニクソン訪中によってカーテンが開けられ、日本とも平和友好条約が結ばれ、次第に中国共産党政府も国際化の流れに乗り始め、軽工業から重工業まで世界の資本を受け入れることによって経済的「開国」を果たし、今の中国がある。
しかしながら政治的には共産党一党独裁のままである。
今回の台湾の民主主義のもっとも強い表現である国民の直接投票によって反中国共産党政権の蔡英文氏が再選された選挙を見て、中国共産党政府にも民主化への動きを期待したいところだが、「他山の石」となるのか、「馬耳東風」となるのか、香港の動静を含めて注目に値する。
「総統」という名称には懐かしい趣があり、我々年代では「蒋介石総統」が頭に浮かぶだろう。蒋介石は台湾における国民党政府の最初の総統で、実は1949年に中国大陸で中国共産党軍と戦い敗れて台湾に落ち延びた国民党政府の主席でもあった。
この国民党政府の前身は1920年代に活躍した孫文の中国革命党だが、「革命党」だからと言って共産革命ではなく、古来中国の「革命思想」に基くもの。清王朝打倒の「辛亥革命」がまさにそうだった。
孫文も一時は「大総統」になったのだが、袁世凱等の軍閥抗争に乗り切れず、不本意のままに亡くなってしまったが、国民党はそのあとを継ぐものとして期待されていた。しかし太平洋戦争当時の英米に取り込まれ、完全に反日に路線を切り替えてしまった(カイロ宣言)。
戦後は再び大陸の雄として勢力を維持したが、日本の敗北によって大陸から日本軍が撤収されると待ってましたと共産党軍が攻勢を強めて勢力を拡大していった。対米英従属路線(反日路線)が裏目に出、また規律正しい日本軍に倣った(真似をした・学んだ)共産党軍により追い詰められ、ついに国民党政府は大陸を放棄せざるを得なくなった。
英米のうち米国は朝鮮半島における共産色を強めた抗日ゲリラ部隊だったという金日成軍の動向に縛られていたが、英国は何とカイロ宣言をうっちゃり、中国共産党政府の樹立(1949年10月1日)の翌年2月には共産党政府を承認するという離れ業をやってのけたのである。自己中もここに極まれりだ(蒋介石が英米に内戦への肩入れを頼んでもノーだったそうだが、これもひどい話である)。
その後の英米特に米国との関わりでは、ソ連の「鉄のカーテン」に次ぐ「竹のカーテン」だったのが、1972年のニクソン訪中によってカーテンが開けられ、日本とも平和友好条約が結ばれ、次第に中国共産党政府も国際化の流れに乗り始め、軽工業から重工業まで世界の資本を受け入れることによって経済的「開国」を果たし、今の中国がある。
しかしながら政治的には共産党一党独裁のままである。
今回の台湾の民主主義のもっとも強い表現である国民の直接投票によって反中国共産党政権の蔡英文氏が再選された選挙を見て、中国共産党政府にも民主化への動きを期待したいところだが、「他山の石」となるのか、「馬耳東風」となるのか、香港の動静を含めて注目に値する。