4月22日と29日の南日本新聞読者投稿欄「ひろば」に、二名(萬田氏と井口氏)による「永世中立」を巡る投稿があり、興味を持ったので、自分なりの意見を投稿しようとして書いてみたが、納得できることを書き連ねたら、投稿既定の「400字程度」を大幅に超え、2,000字近くに膨らんでしまった。
それを削りに削って、何とか400字ほどにまとめ、今朝ファックスでひろば欄担当にファックスで送ったのだが、担当者はどう見るか、余りにも省略的に過ぎるとして採用しない可能性大だが、ここに全文を記載しておきたい。
〈 『永世中立国への道』
「ひろば」欄、4月22日付の萬田氏と、29日付の井口氏両氏の永世中立国への思いを読み、意見を述べさせていただきたい。
最初の萬田氏の考え方は、一言でいわせてもらうと「非武装型永世中立国」であり、後者の井口氏の考え方は、萬田氏の考え方を現実論によって「非武装」について批判したものであると思います。
実は日本には、ほぼ永世中立国と呼べる時代がありました。それは江戸時代です。この時代は一般的には「鎖国時代」と称されていますが、立派な非同盟中立国でした。
ただ西暦1635年に日本人の海外渡航を禁じ、1637年に島原の乱が起きたためキリスト教を禁止し、さらにポルトガルなど西欧の貿易船の寄港をも禁止したことで、永世中立国というより鎖国国家のイメージが強くなり、そう呼んで怪しまなくなりました。
しかし完全な鎖国でなかったことは。オランダ商館が長崎にあり、清国や朝鮮国との交流もあり、また琉球は形式的ながら独立国(王朝)として認められ、中国との交易・交流が行われていました。
したがって江戸時代の1640年頃から幕末のペリー来航によって条約を結ぶようになる1850年代までの約200年間は「非同盟中立」を堅持しており、その当時にもし「永世中立国宣言」をしていれば、西欧も認めざるを得なかったと思います(ただし武士による武装戦力は有りました)。
しかし欧米列強の威圧的な植民地化指向の前に、文久3(1863)年、長州藩では馬韓戦争、そして薩摩藩においては薩英戦争が勃発し、以後は「武力の近代化」に邁進することになりました。これはどの国でも持っている「個別的自衛権」の発動であり、致し方のないことでした。
そして周知のごとく太平洋戦争は日本の敗戦で終わり、その後に進駐して来たGHQによる「日本骨抜き諸施策」により、旧大日本帝国は解体させられました。
その中に実はマッカーサー総司令官による「新生日本の非武装永世中立化構想」もあったのですが、ソ連とその指令下にあった中国共産党の伸長が著しく、「朝鮮動乱」が起きたため、結局は1951年のサンフランシスコ講和と同時に日米安全保障条約(1960年に改訂あり)が結ばれて今日に至っているという経緯があります。
それから72年、日本は海外において軍隊(自衛隊)がただの一人も殺害していないという稀有の国であり、旧敵国(国連憲章53条国)でありながら、高額の国連分担金は一度の遅配もないという平和国家の優等生でもあります。こういう国なら「永世中立国宣言」を申し立ててもどの国も反対しないでしょう(おそらく中・露も)。
ただひとつネックになっているのが日米安全保障条約です。かつてはアメリカが日本を一方的に守る条約だったのですが、安倍政権下の安全保障関連法制定によって相互性が強まりました。(※資金面ではずいぶん前から相互性がかなり大きくなっています。)
しかし、そもそも国連憲章上「二国間軍事同盟」は原則として認められていません。国連そのものが「集団的自衛権に基づいた組織」だからです。したがって日米同盟は国連憲章上は認められないものであり、サンフランシスコ講和後の日本が完全な主権国家、つまり自由選挙による民主主義国になった時点で解消すべきものだったのです。
今度のロシアによるウクライナ侵攻では、当事者であるロシアが国連の安全保障理事会常任理事国であることが解決を難しくしています。しかし、いかなる戦争も鎮定のための集団的自衛権に基づいた「国連多国籍軍」による武力使用以外は国際法違反です。
日本ももし侵略された時に自衛隊だけの反撃だけでは収拾が不可能であれば、国連安保理に訴えて「国連多国籍軍」の出動を要請するというのが筋であり、現在の二国間同盟国アメリカの軍事力に頼るべきではないのです。
日本の永世中立国としての形は、およそ独立国である以上はどの国でも持っている「個別的自衛権」に基づく自衛戦力を保有した「武装(専守防衛型)永世中立国」であるべきで、萬田氏の「非武装の永世中立国」は現実的ではありません。
やはりスイスのように個別的自衛権に基づく専守防衛戦力を持った永世中立国になるべきです。ただしスイスのような「国民皆兵」「徴兵制」になる必要性は感じません。
永世中立国宣言はどのタイミングで出したらよいのか、寡聞にしてよく分かりませんが、宣言していただく方は決まっています。天皇陛下です。世界で最も権力から遠く、かつ国民から慕われている「元首」は他にいません。世界もそれを認めており、天皇が最適任でしょう。
同時に上で述べたように国連憲章上疑義のある二国間軍事同盟である日米安全保障条約は廃止しなければなりません。廃止は日米双方のどちらかが申し出ればよく、申し出た一年後に失効しますから、その間に米軍基地は順次返還されて行きます。
返還された米軍基地は一時的に防衛省(自衛隊)の管理下の置かれ、その後、専守防衛計画による基地の改廃に応じて自衛隊の駐屯(再配置)が行われるはずです。
沖縄には在日米軍基地総面積の70%があると言われており、返還後はかなりの基地が自衛隊基地となるでしょうが、大幅な縮小につながることは間違いないありません。普天間基地など基地としては全く不適格であり、即時閉鎖されるべきです。〉
以上が『永世中立国への道』だが、2000字を越えているため投稿には全く適さず、バッサリと切りまくって何とか400字程度にまとめたのが次の投稿文である。「です・ます」体だったのを、少しでも短くするために「だ・である」体にしてある。
〈『永世中立国への道』
日本には、ほぼ永世中立国と呼べる時代があった。それは江戸時代である。この時代は「鎖国時代」とも称されるが、立派な非同盟中立国だったと言える。
終戦後の被占領期にはGHQのマッカーサーによって「新生日本の非武装永世中立化構想」が言い出されたことがあった。
しかし日本の永世中立国としての形は、およそ独立国である以上は持っている「個別的自衛権」に基づく自衛戦力を保有した「専守防衛型の永世中立国」であるべきで、本欄4月22日掲載の萬田氏の「非武装の永世中立国」は、同29日掲載の井口氏の指摘通り現実的ではない。
また永世中立国になるということは非同盟であることを国是とするわけで、いかなる国との二国間同盟も有り得ず、したがって日米安全保障条約は廃止されなければならない。
その時米軍基地は返還され、自衛隊(防衛省)の管理下に置かれる。そして専守防衛計画により基地の改廃が行われ、沖縄の基地負担は大幅に減少するはずである。〉
それを削りに削って、何とか400字ほどにまとめ、今朝ファックスでひろば欄担当にファックスで送ったのだが、担当者はどう見るか、余りにも省略的に過ぎるとして採用しない可能性大だが、ここに全文を記載しておきたい。
〈 『永世中立国への道』
「ひろば」欄、4月22日付の萬田氏と、29日付の井口氏両氏の永世中立国への思いを読み、意見を述べさせていただきたい。
最初の萬田氏の考え方は、一言でいわせてもらうと「非武装型永世中立国」であり、後者の井口氏の考え方は、萬田氏の考え方を現実論によって「非武装」について批判したものであると思います。
実は日本には、ほぼ永世中立国と呼べる時代がありました。それは江戸時代です。この時代は一般的には「鎖国時代」と称されていますが、立派な非同盟中立国でした。
ただ西暦1635年に日本人の海外渡航を禁じ、1637年に島原の乱が起きたためキリスト教を禁止し、さらにポルトガルなど西欧の貿易船の寄港をも禁止したことで、永世中立国というより鎖国国家のイメージが強くなり、そう呼んで怪しまなくなりました。
しかし完全な鎖国でなかったことは。オランダ商館が長崎にあり、清国や朝鮮国との交流もあり、また琉球は形式的ながら独立国(王朝)として認められ、中国との交易・交流が行われていました。
したがって江戸時代の1640年頃から幕末のペリー来航によって条約を結ぶようになる1850年代までの約200年間は「非同盟中立」を堅持しており、その当時にもし「永世中立国宣言」をしていれば、西欧も認めざるを得なかったと思います(ただし武士による武装戦力は有りました)。
しかし欧米列強の威圧的な植民地化指向の前に、文久3(1863)年、長州藩では馬韓戦争、そして薩摩藩においては薩英戦争が勃発し、以後は「武力の近代化」に邁進することになりました。これはどの国でも持っている「個別的自衛権」の発動であり、致し方のないことでした。
そして周知のごとく太平洋戦争は日本の敗戦で終わり、その後に進駐して来たGHQによる「日本骨抜き諸施策」により、旧大日本帝国は解体させられました。
その中に実はマッカーサー総司令官による「新生日本の非武装永世中立化構想」もあったのですが、ソ連とその指令下にあった中国共産党の伸長が著しく、「朝鮮動乱」が起きたため、結局は1951年のサンフランシスコ講和と同時に日米安全保障条約(1960年に改訂あり)が結ばれて今日に至っているという経緯があります。
それから72年、日本は海外において軍隊(自衛隊)がただの一人も殺害していないという稀有の国であり、旧敵国(国連憲章53条国)でありながら、高額の国連分担金は一度の遅配もないという平和国家の優等生でもあります。こういう国なら「永世中立国宣言」を申し立ててもどの国も反対しないでしょう(おそらく中・露も)。
ただひとつネックになっているのが日米安全保障条約です。かつてはアメリカが日本を一方的に守る条約だったのですが、安倍政権下の安全保障関連法制定によって相互性が強まりました。(※資金面ではずいぶん前から相互性がかなり大きくなっています。)
しかし、そもそも国連憲章上「二国間軍事同盟」は原則として認められていません。国連そのものが「集団的自衛権に基づいた組織」だからです。したがって日米同盟は国連憲章上は認められないものであり、サンフランシスコ講和後の日本が完全な主権国家、つまり自由選挙による民主主義国になった時点で解消すべきものだったのです。
今度のロシアによるウクライナ侵攻では、当事者であるロシアが国連の安全保障理事会常任理事国であることが解決を難しくしています。しかし、いかなる戦争も鎮定のための集団的自衛権に基づいた「国連多国籍軍」による武力使用以外は国際法違反です。
日本ももし侵略された時に自衛隊だけの反撃だけでは収拾が不可能であれば、国連安保理に訴えて「国連多国籍軍」の出動を要請するというのが筋であり、現在の二国間同盟国アメリカの軍事力に頼るべきではないのです。
日本の永世中立国としての形は、およそ独立国である以上はどの国でも持っている「個別的自衛権」に基づく自衛戦力を保有した「武装(専守防衛型)永世中立国」であるべきで、萬田氏の「非武装の永世中立国」は現実的ではありません。
やはりスイスのように個別的自衛権に基づく専守防衛戦力を持った永世中立国になるべきです。ただしスイスのような「国民皆兵」「徴兵制」になる必要性は感じません。
永世中立国宣言はどのタイミングで出したらよいのか、寡聞にしてよく分かりませんが、宣言していただく方は決まっています。天皇陛下です。世界で最も権力から遠く、かつ国民から慕われている「元首」は他にいません。世界もそれを認めており、天皇が最適任でしょう。
同時に上で述べたように国連憲章上疑義のある二国間軍事同盟である日米安全保障条約は廃止しなければなりません。廃止は日米双方のどちらかが申し出ればよく、申し出た一年後に失効しますから、その間に米軍基地は順次返還されて行きます。
返還された米軍基地は一時的に防衛省(自衛隊)の管理下の置かれ、その後、専守防衛計画による基地の改廃に応じて自衛隊の駐屯(再配置)が行われるはずです。
沖縄には在日米軍基地総面積の70%があると言われており、返還後はかなりの基地が自衛隊基地となるでしょうが、大幅な縮小につながることは間違いないありません。普天間基地など基地としては全く不適格であり、即時閉鎖されるべきです。〉
以上が『永世中立国への道』だが、2000字を越えているため投稿には全く適さず、バッサリと切りまくって何とか400字程度にまとめたのが次の投稿文である。「です・ます」体だったのを、少しでも短くするために「だ・である」体にしてある。
〈『永世中立国への道』
日本には、ほぼ永世中立国と呼べる時代があった。それは江戸時代である。この時代は「鎖国時代」とも称されるが、立派な非同盟中立国だったと言える。
終戦後の被占領期にはGHQのマッカーサーによって「新生日本の非武装永世中立化構想」が言い出されたことがあった。
しかし日本の永世中立国としての形は、およそ独立国である以上は持っている「個別的自衛権」に基づく自衛戦力を保有した「専守防衛型の永世中立国」であるべきで、本欄4月22日掲載の萬田氏の「非武装の永世中立国」は、同29日掲載の井口氏の指摘通り現実的ではない。
また永世中立国になるということは非同盟であることを国是とするわけで、いかなる国との二国間同盟も有り得ず、したがって日米安全保障条約は廃止されなければならない。
その時米軍基地は返還され、自衛隊(防衛省)の管理下に置かれる。そして専守防衛計画により基地の改廃が行われ、沖縄の基地負担は大幅に減少するはずである。〉