昨日放映された歌番組の正式なタイトルは忘れたが、若手の音楽関係者が選ぶ平成以降の歌で最もすぐれた曲は何か、と問わtれて挙げられた20曲を視聴したが、トップは宇多田ヒカルの「オートマチック(automatic)」だった。
この曲を聴いたのは20数年前のことだったが、前奏からして「何?この曲は?」という反応で、耳をそばだてたことを覚えている。
そして何回か聞いてるうちに、「これは素晴らしい!」と思うようになった。
1970年代のグループサウンド全盛から、1980年代に入っていわゆる和製ポップスが流行期に入り、これはこれで大量の新曲を生んできたし、在来の歌謡曲の分野でも、カラオケブームに乗って次々に新しい曲が生まれて来ていた。
そこへこの曲である。
一種のアメリカンポップスだが、その中でもソウルミュージックを思わせる曲調と歌い方が新鮮だった。
驚きはそれだけではなかった。彼女の母親はあの一世を風靡した藤圭子だというのだ。
これには心底「へえー」が隠せなかった。
藤圭子が引退後はアメリカに行っていたことは知っていたが、その娘がこんな才能でデビューしたとは全く予期しない出来事だったのである。
しかもわずか15歳、日本でいえば中学3年生がこんな曲を作るとは、「へえー」を何度も漏らす他なかった。
この番組では宇多田ヒカルの歌が8位にもう一曲入った。「ファーストラブ(first love )」だ。この曲もいいが、やはりオートマチックだろう。
曲調も歌詞もいいが、何と言っても歌い方が素晴らしい。15歳の少女かいったいどうしてこの歌い方をマスターしたのか、感心する他ない。
ただ面白いのは歌詞の最初の部分である。
♪七回目のベルで受話器を取った君・・・
この曲が作られた1998年の頃は、まだ携帯もスマホも普及していなくて、固定電話が当たり前の時代だったことを如実に表現している。
そしてこの曲が作られた5年後には携帯が普及し始め、10年後にはもう当たり前の日常のアイテムになったことが思い出される。
したがってこの曲は2000年にようやく入った当初の「古い時代相」を歌に残しているという意味でレアな曲である。
10年ひと昔というが、まさに10年単位でガラッと変わるIT時代の急速な変貌が読み取れるのがこの歌と言えよう。偉大な楽曲と言うべきではないだろうか。
もっともこの曲を選んだ若手の20代や30代前半の音楽家たちには、そういった事情(歴史)には無縁で、ただ曲のすばらしさを評価しての選曲だったに違いない。
この曲を聴いたのは20数年前のことだったが、前奏からして「何?この曲は?」という反応で、耳をそばだてたことを覚えている。
そして何回か聞いてるうちに、「これは素晴らしい!」と思うようになった。
1970年代のグループサウンド全盛から、1980年代に入っていわゆる和製ポップスが流行期に入り、これはこれで大量の新曲を生んできたし、在来の歌謡曲の分野でも、カラオケブームに乗って次々に新しい曲が生まれて来ていた。
そこへこの曲である。
一種のアメリカンポップスだが、その中でもソウルミュージックを思わせる曲調と歌い方が新鮮だった。
驚きはそれだけではなかった。彼女の母親はあの一世を風靡した藤圭子だというのだ。
これには心底「へえー」が隠せなかった。
藤圭子が引退後はアメリカに行っていたことは知っていたが、その娘がこんな才能でデビューしたとは全く予期しない出来事だったのである。
しかもわずか15歳、日本でいえば中学3年生がこんな曲を作るとは、「へえー」を何度も漏らす他なかった。
この番組では宇多田ヒカルの歌が8位にもう一曲入った。「ファーストラブ(first love )」だ。この曲もいいが、やはりオートマチックだろう。
曲調も歌詞もいいが、何と言っても歌い方が素晴らしい。15歳の少女かいったいどうしてこの歌い方をマスターしたのか、感心する他ない。
ただ面白いのは歌詞の最初の部分である。
♪七回目のベルで受話器を取った君・・・
この曲が作られた1998年の頃は、まだ携帯もスマホも普及していなくて、固定電話が当たり前の時代だったことを如実に表現している。
そしてこの曲が作られた5年後には携帯が普及し始め、10年後にはもう当たり前の日常のアイテムになったことが思い出される。
したがってこの曲は2000年にようやく入った当初の「古い時代相」を歌に残しているという意味でレアな曲である。
10年ひと昔というが、まさに10年単位でガラッと変わるIT時代の急速な変貌が読み取れるのがこの歌と言えよう。偉大な楽曲と言うべきではないだろうか。
もっともこの曲を選んだ若手の20代や30代前半の音楽家たちには、そういった事情(歴史)には無縁で、ただ曲のすばらしさを評価しての選曲だったに違いない。