鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

震度6弱(マグニチュード7.1)の日向灘地震発生

2024-08-08 17:13:42 | 災害
オリンピックの陸上競技を見ていた最中、ちょうど男子の3000メートル障害が終り、8位に入賞した日本選手がインタービューに出たあと、少し経った午後4時43分頃、突然テレビ画面とスマホに緊急地震を伝える信号音が・・・。

テレビ画面にはその信号音とともに、宮崎県沖を震源とする地震が起きた――というテロップが流れた。

と、間もなく、ゆっくりだが下から突き上げる揺れが始まった。ほんの5秒かそこらでその揺れは突然大きくなり、居間全体がゆがんでしまうのではないかと思われるような揺れに変わった。

食卓の下に隠れようかと思ったが、立ち尽くして様子を見ることにした。

やがて30秒ほどで、揺れは止んだ。

結局、最初の揺れから大揺れに変わり、時間にして1分くらいだろうか、揺れは突然止み、そのあとの小揺れもなかった。

ホッとして窓を開けて外を眺めると、周辺に目立った変化はなかった。

その後は地震情報を食い入るように見つめ、手許にデジカメを構えてNHKの画面を写した。

陸上での揺れは宮崎県南部平野で震度6弱、宮崎南部山沿いで5強、大隅半島部でも5強と出た。

大隅地方で震度5以上はおそらく初めてで、これまでに震度4クラスは数回経験しているが、5でも5強はむろん経験がない。
(※数分後に判明した市町村別の震度では鹿屋は4で、5強だったのは大隅半島東海岸部の大崎町だった。)

この地震の震源は宮崎沖(太平洋)で、マグニチュードは7.1であったという。このエネルギーにしては大揺れではなく、また揺れの時間が短かかったのは深さが30キロだったからだろう。

もしこれが10キロであったなら、宮崎県での最大震度は6弱では済まず6強は行ったに違いなく、正月元旦に起きた能登大地震レベルの被害が発生したかもしれない。

南海トラフ地震との関連が心配されるが、気象庁では専門家会議を開いてその可能性について検討するという。

巨大地震の前兆でないことを祈るばかりだ。





広島平和祈念式典(2024)

2024-08-07 14:39:29 | おおすみの風景
今年も原爆死者慰霊の日がやって来た。

広島の平和祈念式典は今年で79回目。

例年になく暑い夏。7月は全国的に記録的な暑さだった。

79年前のこの日も暑かった。その日の午前8時15分、通勤通学時間帯に無慈悲な熱核爆発が広島の上空で起こり、夏の間に10万人が、そしてその年のうちに累計14万人のほぼ一般市民が犠牲になった。
原爆ドーム。この真上でウラン型原爆「リトルボーイ」がさく裂した。

アメリカでは相変わらず、原爆投下によって太平洋戦争の終結を早めた――としている。これが公式見解でそこには「非戦闘員に対する攻撃という戦争犯罪」の認識はない。

戦時国際法では戦闘員同士の戦いで捕虜になったとしても、捕虜を殺すことはもちろん虐待も許さず、帰国できるまで生存の保障があるのに、一般国民へのこの残虐な無差別殺戮が不問に付されている。

アメリカ国内ではカリフォルニア州で、当時の日系アメリカ人が強制的に土地を追われ「収容所送り」となった過去を過ちとして日系人に対する謝罪がなされたのに、日本(少なくとも広島市民及び長崎市民)への謝罪はない。

占領期ならいざ知らず、米軍引き上げ後、自由な民主主義国家となり国際的に復帰をして自由主義諸国の仲間入りをしたにもかかわらず、アメリカからの謝罪はない。

その足かせが日米安保だ。トランプ元大統領がいみじくも吼えたように、「安保はあっても日本はアメリカが危急の時に助けてくれない。アメリカも日本を助けないぞ。自国は自国で守れ!」という安保は片務的過ぎる。

――謝罪する代わりに守ってやっているのだ。文句あるのか。

そこで安倍首相の時に「我が国が緊急事態の時に救助してくれるアメリカの艦船を日本は守りますよ」と取り決め、岸田首相は安保三原則に踏み込み、「我が国周辺でアメリカ艦船が危機の際には、自衛隊も武器をとって戦いますよ」と閣議決定した。

かのアラブ(イラク)戦争の時に日本は一兵も出さず、金だけ出して済ましたのだが、その結果戦争終結後に日本に対する謝辞は無かった。どうもこれが日本外交のトラウマになったようで、安倍政権から岸田政権につながる「武器使用容認路線」の下書きになった。

そして今度はアメリカ側の「核による拡大抑止」を受け入れるという。

これまでも「核廃絶が我が国の基本的立場だ」としながら「アメリカの核抑止力(核の傘)」を堅持してきた日本だが、それを一歩進めて対中国・北朝鮮を念頭に、南西諸島に展開する米軍が核弾頭を装着することも厭わないことになりそうだ。
107か国の大使や領事が集ったという原爆の火の前での平和祈念式典。

いつも言われるのが「広島を長崎を、最後の被爆地に!」だが、核保有国に対して核保有を断念せよと迫るより、このアピールの方が切実で心に残る。

今年はインバウンドの外国人で足を運ぶ人たちが多くなっているそうだ。このアピールが着実に世界に広がるといい。



黄金花咲く田んぼかな。

2024-08-03 20:11:52 | おおすみの風景
昨日今日と連日の猛暑だが、田んぼでは早期米の収穫がたけなわである。
吾平町の飴屋敷地区でも黄金色に染まった田んぼで、稲刈りが始まっていた。

米作り農家にとって一年で一番うれしい日である。だがしかし、こんなに暑い収穫はおそらく農家でも経験していないのではないか。

ただし、今は収穫にはコンバインという機械を使うので、農家の労力は半減どころか1割程度まで減少しただろう。

ひとむかし前の稲刈りではバインダーで刈り取ったあと、立て棒というのを立ててそこに長い孟宗竹かスギの棒を横に結び付け、刈り取った稲束を掛けて行った。

乾燥はお天気任せで、快晴が続けば1週間ばかりで済み、脱穀という過程に入るのだが、途中で雨に降られたら3日4日の延期となる。

万が一台風が来たら、雨もだが強風によって立て棒が倒される場合もあり、また稲束を掛け直さなければならない。

その時代のことを考えると「10年ひと昔」とはよく言ったものだと思う。

収穫をしていた農家のお母さん(嫁さんかもしれない)に聞くと、今年の出来は去年よりは良いだろうとのことだった。

「熱中症には気を付けて!」と声をかけて現場を後にした。



7月は過去最高の気温だった!

2024-08-02 19:51:32 | おおすみの風景
昨日のテレビではどこも「全国的に7月の平均気温は過去最高を記録した」という情報であふれていた。

たしかに暑い。鹿児島では昨日に並んで最高気温が37℃を越えた。

鹿児島は日本本土の最南部なので暑いことは暑いが、周りを海で囲まれていていわゆる海洋性気候の側面があるので、かつて最高気温が35℃を記録するのは一夏で一週間もあっただろうか。

それが今年は6月19日の梅雨明け以降、ずーっと夏本番の暑さが続いている。

今日は京都市内が一番暑かったらしい。37℃というから体温と同じである。

それでも草花の中では暑さにめっぽう強いのが咲いている。

木本のサルスべり(百日紅)は真夏の貴重な花だが、草花では何といってもポーチュランカが横綱だ。もう一種のホウセンカも夏向きの花だが、今年の暑さには堪えきれなかったのか、盛りを過ぎてもう終末の様相である。
強烈な太陽光に負けないのがポーーチュランカだ。我が家の庭ではもう何年になるかこぼれ種で5月の半ばころから殖えて来て、梅雨明け前からぽつぽつ咲き始め、梅雨明けと同時に旺盛に咲き出す。

ところがこんな暑熱の真っ只中、楚々として咲き始めるのがタカサゴユリである。

テッポウユリの原種だが、毎年この時期に1メートル以上の長い茎を伸ばし、先端に真っ白な五弁の花を咲かせる。


一本の茎に六つも七つも花を付けるのもある。

真夏に咲く花としてこれ以上見応えがあり、清楚な花はないだろう。


夕刻、日中の騒がしいクマゼミに代わってヒグラシが遠くで鳴き始めた。

7月は例年の平均気温をはるかに超え、鹿児島でも宮崎でも130年の気象観測の歴史始まって以来、最も暑い7月になったそうだ。

くわばら、くわばら!