ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

お久しぶりです。

2017年02月25日 | 俳句

 始めてブログを立ち上げて書いたものの、あれからあっという間の十日間が過ぎてしまいました。〝俳句談義〟などと大仰なテーマを付けてしまい、このブログを訪問して下さった方には申し訳ないです。
 毎日がとにかく駆け足で…いや最近はかなりスピードを上げて過ぎていきます。ちなみに、24日は私の〇〇歳の誕生日でした。主人の母も二月生れですので、一緒にお祝いで別府の杉の井ホテルへ連れて行ってもらいました。テレビなどで華やかに宣伝していますが、なかなか良かったです。
 次の日は、〝いちご狩〟をして帰りました。8種類のいちごが食べ放題…そんなに食べられるものかしらと、半信半疑で行きましたが、いやーホントにこれでもかこれでもかと食べて、お昼抜きでOKでした。いろんなフルーツ狩がありますが、いちご狩だけは十分に満足感があっていいよと、勧められましたが、本当にお勧めです.

        95歳の元気な主人の母
 ところで、そろそろ俳句の話でもしなくては、このブログを立ち上げた意味がないですよね。
 今日は、先日の句会に出た〈如月の肩に重たしランドセル〉の句について書きましょう。
 この句には、いろいろな意見が出て、点もかなり入っていました。一番多かったのは、「入学前の子がランドセルを買って貰い、嬉しくて肩に掛けている様子で、まだ幼いから重いのだ」という鑑賞。確かにその感じはありますが、季語が「如月」なのは?という意見も出ました。
 私は、この「如月」がいやで採りませんでしたが…。何故かというと、入学前の6才児の喜びを表すには、如月は古語なので重すぎるし、古くさいです。無邪気な喜びにはもっと明るい季語がふさわしいし、「重たし」とまで言わなくてもランドセルだけで十分だと思いましたね。
 そこで季語を変えて、例えば〈三月の肩をはみだすランドセル〉としたとしても、十分子どもの様子は見えてくるでしょうし、また、言わなくてもその喜びは大きなランドセルが代弁してくれていると思いませんか。このように、「重い」とか「軽い」とかのような心情を秘めた表現は、気をつけて使わないと逆効果になることがあります。俳句が少し分かってくると、つい気軽に使ってしまいがちですので、作句時のポイントにしましょう。
 更にもう一つ、〈三月の肩のはみだすランドセル〉としたらどうでしょうか。前句の助詞「を」が「の」に変わっただけですよね。でも内容は大きく変わります。後句は、子が成長して、その肩がランドセルをはみだしているということです。とすると、小学校も高学年、もしかしたら卒業ももう近いかもと…想像が膨らむでしょう。このように、一文字でも場面や世界がガラッと変わってしまうという、これが俳句の面白さ・魅力です。
 興味を持たれたら一度自分で作ってみませんか。このところ、テレビの「プレバト」の人気が一段と高まって、あれを見て、入会を希望される方が私の教室にも増えてきました。有り難いことです。では次はいつになるか…お楽しみに。

コメント
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