ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日は利休忌?

2017年02月28日 | 俳句

 今日は2月28日、明日からもう3月です。あっという間の2月でした。ところで、歳時記を見ると、利休忌が2月28日になっています。でもこれは、陰暦ですから陽暦で言えば1ヶ月半ほどのずれがありますので、今で言えば4月の初めから半ば頃まででしょうか。俳句では、「利休忌」という季語は、仲春になっています。
 利休のことは、何度も映画やドラマになっているので、皆さんよくご存じでしょう。泉州堺で生れ、信長、秀吉に仕えた茶道の大成者。最後は秀吉の怒りに触れ、70歳で自刃した人。
 以前お茶を習っていたときに、この利休忌にちなんだ茶事をしたことがありましたが、確か一月遅れの3月28日頃だったような気がします。利休の姿が描かれた軸を掛けて、それに「廻り花」といって、連客と亭主が代わる代わる花入れに花を供えていき、あとお茶を点てて飲むのです。その時、先生から花は何でもよく、野辺に咲いている名も無い花でいいのよと言われたのを思い出します。利休は〝佗茶〟を完成した人ですから、豪華なものや派手なものを避けたというのは当然のことでしょうね。ちなみに、私はその時畑に咲いていた芥子菜の花を持って行ったような気がします。芥子菜の花は菜の花に似た黄色い十字花です。この「芥子菜」も春の季語ですよ 
   強情の千の利休の忌なりけり    相生垣瓜人
 この句の作者は、「馬醉木」の大先輩です。私が俳句を始めたときはもうお亡くなりになっていて、私は名前だけしか知りませんが、「瓜人仙境」という言葉が残っているぐらいですから、どんな方だったかということも少しは想像できるでしょう。飄逸味のある独特な句風であったとか…。この句、単純明快ですね。これだけすっきりと詠まれると何もいえません。しかし、この「強情」という語が、なかなか知っていても言えない言葉なのです。さらに、「千の」の語の効果も考えてみて下さい。意味から言えば、これは不必要な言葉ですよね。即ちこの語がなくても意味はしっかりと伝わるのです。なのにこの言わずもがなの語をなぜわざわざ使ったのでしょう。勿論そのままでは575のリズムになりませんから、何か3音の語を探して入れなくてはいけません。きっと瓜人さんはいろいろな語を考えてみたと思うんですよね。そして、最後に到達したのが、余分なものを入れるよりは、このまま利休の姓を使って、「せんのりきゅうの」とした方が、リズムもよく内容も崩さずに済むとしたのだと思います。また、この「千」が、名字というだけでなく、数字の「千」に通じるので、利休の強情が並大抵なものではなかったというイメージを呼び起し、利休の人柄を知っている者にはその姿を髣髴させるのです。そして、その強情故に切腹せざるを得なかった利休の人生をも顧みて感慨を覚えるのです。俳句を作ってみるとよく分かりますが、容易いようにみえる句ほど本当は難しいのだということが言えます。この句もその一例でしょう。
 また、俳句とは、無駄や不必要なものを極力省く、いわゆる「省略の文学」と言われていますが、この句のように無駄も意味があるということになると、本当に難しくなりますね。いくらやっても本当に奥の深い文芸です。それはきっと、人の心や人生にこれだという正解がないようなもので、だからこそ〝詩〟の世界が、古今東西なくならないのだろうと私は思っています。これからも暇が出来たときには、いろいろ俳句にまつわるような話を書いてみたいと思っています。テーマの〝談義〟はちょっと重すぎたかな…〝俳句四方山話〟ぐらいにしておけばよかったなと今では後悔していますが…。これを読んで何かご意見でもあれば是非コメントして下さいね。
 

コメント
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