昨日は午後からリハビリへ行きましたが、台風9号の風が恐ろしいほどに吹き荒れていました。しかし、殆ど雨も降らずに暴風ばかりで、それも夜の内に通り過ぎたのでしょう。今朝は風も収まっていて…エエッ、台風は?雨は?というふうでした。どうも台風9号は、沖縄を経て九州の西の海上を北上した後、昨夜3時頃朝鮮半島に上陸し、今日15時には中国東北区で温帯低気圧に変わったようです。
ところが、その後に続く台風10号は、今後猛烈な勢力に発達し特別警報級の勢力で、5日(土)には沖縄に、6日(日)から7日(月)にかけては奄美地方から九州に接近、または上陸する恐れがあるとの予報。それで気象庁は、記録的な暴風や大雨、高潮、高波に警戒が必要だと呼びかけています。その台風進路予報を見ると、山口県には7日(月)の朝9時頃に一番接近するようです。じゃあ慌てなくてもいいようにその準備をしておかなくっちゃ…。だって一番コワイのは停電ですものね。
例年からすると9月に来る台風は大抵20号前後が多かったような。今年は台風が少ないということでしょうか。それとも梅雨明けがずれ込んだ分だけ遅くなって、これからどんどん発生し、10月…いや、去年だって最期は11月になって発生していましたから、遅くまで来るということなのかも。
調べてみると、2019年の台風の発生個数は29個で、日本への上陸数は5個、いずれも2018年と同数なんですって。特に台風被害が大きかったのは、15号の関東地方の暴風と19号。その19号は記録的な大雨、暴風のために、被害が関東から東北までの東日本全域に広がり、東日本大震災以来の広域災害となったのです。千葉県の方々は両方の台風からダブルパンチを受け、停電なども長期間に渡るという、非常に気の毒な目に遭われたんでしたよね。今後台風がどこに来ようとも、今年は大きな被害が出ませんようにとただ祈るばかりです。
では、コロナの方はどうなっているのでしょうか。宇部市はまた昨日2名、今日1名と感染者が出て、合計43名になりました。山口県も178名と、急激ではありませんが相変わらず徐々に増えています。
しかし、東京都での感染者の発生状況グラフを見ると、8月のお盆前後をピークにして徐々に下降線を辿っているようでしたので、このまま下火になってくれることを願ってやみませんが…。でも、冬場にさしかかると今度は第3波といって再び押し寄せてくるかも知れませんね。いつになったら終りが来るのでしょうか。
昨日のニュースでは、新型コロナウイルスの影響で全国の学校が一斉休校したあと、本格的に再開が始まった6月以降から8月末までの間に、1,166人の児童生徒に感染が確認されていたことがわかったと報道していました。 このうち、症状があったのは48%(557人)でしたが、重症者はいず、 児童生徒の感染経路については、「家庭内感染」が655人と、56%を占め、特に小学生では75%にのぼったようです。いつの間にこんなにという感じですね。恐らく感染者が出た学校は休校などの措置でまたいろいろと大変だったでしょう。
宇部市でも8月お盆過ぎに初めて小学生の感染者が出ましたので、すぐに臨時休校などの措置が執られました。が、他には感染した者はいませんでしたので、現在は平常授業に戻っているようです。
しかし、こんな状態で落ち着いて勉学に励みなさいと子どもたちにいうのもカワイソウ。きっと子どもたちだってストレスが溜まっていることでしょうから。今後の成長に影響しないといいのですけどね。子どもたちは日本の宝ですもの。
ところで、先日から〝口紅〟の話をしていましたが、考えて見れば、この半年以上私は口紅を差したことがありません。もう忘れたかな…アハハ…ファンディーションや頬紅なども…。もともと外出しないときはノーメークでしたし、コロナになってからは滅多に外出しないし、今は買い物や通院などに出かけるにしてもいつもマスクです。だからお化粧するとマスクが汚れるでしょう。
せいぜいアイシャドウや眉墨ぐらいをちょっと着けてと…、本当にお化粧をすることが無くなりました。だから化粧品も減らないので買わないし…女性はみんな同じでしょうから、きっと業界は大きなダメージを受けているでしょうね。
それだけではありませんよ。女性がおしゃれをしなくなれば化粧品だけでなく、服もバックも靴も…いろんなものが売れなくなって…、大丈夫でしょうか?
このようにいろんな業界がコロナの影響を受けていることでしょうから、今後の日本の経済がどうなっていくのかというのが心配。だから直接タッチしている方々の不安やストレスなどは計り知れませんよね。
ところで、先日ブロ友のころころ様のコメントに〝紅屋の娘〟をお祖母様がよく歌っていらっしゃったというのがありました。どんな歌なのか聞こうと探していましたら、「二木紘三うた物語」様のブログに出会いました。「東京行進曲」はよく聞きましたし歌ったこともありますが、この歌は?
今年のNHKの朝ドラ「エール」が同時代の歌謡界をテーマにしていますので、古関裕而氏の作曲かなと思ったのですが、中山晋平氏の曲でした。大ヒットした「船頭可愛や」が1935年(昭和10年)で彼が25歳の頃というのですから、『紅屋の娘』も『東京行進曲』もよく知っていたでしょう。ところで、あの中断していた「エール」が、9月14日(月)から再開されるそうですよ。大河ドラマ「麒麟がくる」もこの前再開しましたから、これでまた楽しみが増えますね。よかった!
1 紅屋で娘の いうことにゃ サノ いうことにゃ 春のお月様 薄曇り トサイサイ 薄曇り
2 お顔に薄紅 つけたとさ サノ つけたとさ 私も薄紅 つけよかな トサイサイ つけよかな
3 今宵もお月様 空の上 サノ 空の上 一はけさらりと 染めたとさ トサイサイ 染めたとさ 4
4 私も一はけ 染めるから サノ 染めるから たもとの薄紅 下さいな トサイサイ 下さいな
大正13年(1924)、『令女界』の3月号に『春の月』という題名で曲と詞が発表されました。
『令女界』は、今の'an.an'、'non.no'等に相当する女性誌で、二十歳前後の女性を対象としていました。上の写真は、左が昭和3年(1928)3月号、右が昭和4年(1929)4月号の表紙。
昭和4年(1929)5月、日活映画『東京行進曲』の主題歌として同名のレコードが発売されましたが、そのB面に入っていたのがこの曲でした。ただし、タイトルは『紅屋の娘』に変えられました。
『東京行進曲』は日本における映画主題歌の第1号で、大ヒットとなりました。それにつられるかのように『紅屋の娘』もヒットしたので、日活と東亜キネマが競作で映画化しました。
紅屋は要するに化粧品屋で、紅花から取った頬紅や口紅を貝殻の皿に入れて売っていたことから、一般には紅屋と呼ばれていました。
「春の目覚め」を迎えた娘たちは、情緒の揺れが大きくなり、何か物思いにふけっていたかと思うと、意味もなくソワソワし、つまらないことに笑い転げ、すぐメソメソし、あらぬ事を口走ったりします。一見支離滅裂な歌詞には、そうした年頃の娘の心情がよく表されています。 (二木紘三)
写真は、我が家の〝ジンジャーの花〟、秋の季語です。今年は花がたくさん付いている割りには小振りですし、雨が降らないので、すぐしぼんで余りキレイではありません。