今朝起きたら外が濡れていました。夜中に雨が降ったようで…全く気付かずに熟睡してたんですね。この頃は、イヤいつもですがよく眠れます。ただ、朝5時過ぎ頃になるとトイレへ行きたくなって目が覚めるんですが、まだ外は真っ暗だし寒いので、また布団に潜り込んでとろとろと…この時の気持の良いこと。でも時間が短いからか、良く夢を見るんですね。
とてもイヤな夢だったり、時には懐かしい若い頃の夢だったり…意外に見ないのが父や母の夢。時には夢でいいから会いたいと思うのに…。ということは今はそんなに不幸ではないと言うことでしょうかね。病気などで辛くて泣きたくなるような時にはよく母の夢を見たりしていましたから。きっと母が心配して励ましに来てくれていたのでしょう。
一昨日の朝ラジオ体操に行くと、ふれあいセンターの前に「門松」が飾られていました。今年も残すところ20日ほどになって、いよいよ新年に向けてのカウントダウンが始まったんですね。
この「門松」は、新年を祝って戸口や門前に立てる松のことで、これはもう正月になった証ですので、新年の季語になります。門松を立てたり、飾ったりする時はまだ年内ですので、「門松立つ」とか「松飾る」とかいって、冬の季語になるんですよ。
独り寝やはや門松も夜の雨 小林一茶
門松の立ち初めしより夜の雨 小林一茶
どちらも一茶の句でよく似ていますが、前句はすでに新年になった門松。後句が「門松立つ」というまだ年が明ける前にできたばかりの門松で、冬の季語になります。これらの句のように、このところこちらでも昼間は晴れていたかと思うと夕方や夜から雨になったりする日が多いんですよね。
それはそうと一茶の時代はどんな気候だったのかしら。当然今のような地球温暖化などは夢にも考えられなかった時代でしょうからね。ちょっと興味が湧いて調べてみると、江戸時代は全体的に寒くて、今より気温は5度から7度ぐらいは低かったようですよ。暖房器具だって当時は火鉢や行火などで、田舎になると囲炉裏とかもあったでしょうが。でも昔の家は隙間だらけで…寒かったんでしょうから、目張りをしたりとか…何もかも懐かしいものばかり。こういう消えていくようなものは、せめて季語としてでも是非残していきたいものです。
ところで、年末の季語にはたくさんあります。「十二月」「師走」「極月」などは一ヶ月間いつでも使えますが、中に「数へ日」というのがあります。さてこれはいつ頃からを言うのでしょうか。子供の頃の唱歌で〝もういくつ寝るとお正月…〟と、みんなでよく歌ったのも懐かしい想い出です。
数へ日の数へるほどもなくなりぬ 鷹羽狩行
この句などは〈数へるほどもなくなりぬ〉といっていますから「三十日」か「大晦日」ぐらいになってのことでしょう。しかし私が思うには、普通1週間を切った頃、即ち子どもたちが冬休みに入る頃からを「数へ日」というような気がするんですが、皆さんはどう思われますか。〈数へ日や昼の木立に子の遊び 岡本眸〉のような句は、やはり冬休みに入ってからの描写でしょうからね。
このように年末から新年にかけての季語はたくさんあります。皆さんもこういう忙しい時こそ、一句詠んで気分転換されませんか。またお正月になったら新しい気分なども詠んだりして…楽しいですよ。
では、また…
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