今月ももうあと少しで終り…そうです、〝1月往ぬる2月逃げる3月去る〟といわれる駆け足の月ですものね。でも、去年に比べると随分ゆっくりしたひと月に感じましたが…なぜなんでしょう。
ああ、そうでした。去年の元旦は600メートルの神代高原で〝初日を拝もう〟ということで、広島県の福山の方へ出かけていました。その次は馬酔木の新年会で東京へ行き、そのついでに横浜を散策して帰ったんでした。更にその後も早苗の新年会で広島へ行きましたし、地元でのいくつもの新年句会へは着物で出かけていましたものね。忙しかったはず。それであっと言う間に1月が終わったんでした。
それが今年はコロナウイルスのために自粛、自粛で、初詣さえ満足にしていないんですもの。おまけにいつもにない大雪が降って動けない日が何日もありましたからね。
東京では昨日やっとコロナの新しい感染者が1000人を割ったと…、ニュース速報で流されましたが、こんなことでとビックリです。緊急事態宣言の効果がやっと出始めたんでしょうか。それにしてはちょっと遅すぎるのではと思いませんか。
27日の東京都での新たな感染者は973人、そのうちおよそ44%の432人はこれまでに感染が確認された人の濃厚接触者で、残りのおよそ55%の540人はこれまでのところ、感染経路がわかっていないということです。
更に昨日確認されたうちの18人が死亡し、都内で1日に発表される死亡者数としては、過去最多。1日の感染確認は、26日は1000人を超えていましたが、25日までは2日連続で下回っていて、このところ1000人前後で推移しているという。これで都内で感染が確認されたのは、合わせて9万6507人になったそうです。
山口県では26日に、新たに41人の新型コロナウイルス感染が確認されましたが、関係者によりますと、周南市の高校剣道部で15人という新たなクラスター(感染者集団)が発生したからだと。
更に昨日27日、新たに18人の感染が確認され、5人は周南市の高校で発生したクラスター関連、これで一連の感染者は21人となります。他に周南市のサービス付き高齢者向け住宅のクラスター関連は1人増え計70人、宇部市の扶老会病院のクラスター関連は2人で計154人と。死者も1人増えて、県内の死者は12人となりました。
一昨日山口県の村岡知事が、〝感染状況は「ステージ3(感染者の急増段階)」に移行しました。今以上の感染拡大を防ぐため、改めて、県民の皆さんの感染予防対策の徹底をよろしくお願いします〟とテレビで訴えていましたが、今後の動向が本当に心配です。
ところで、毎月恒例の吟行会の初吟行を先日の20日に山陽小野田市周辺で行いましたが、そのときの様子を簡単に(?)報告しましょうか。
この日も当然雲一つない吟行日和ですよ…ジンクスはなかなか破られませんね!とは、Yさんが…(笑) 9時30分に集合し、三密を避けて各自の車で出発です。今から行く小野田地区は硫酸瓶から焼酎瓶へと、かつては全国陶瓶生産量の7割を占めていたんだそうです。
先ず行ったのが〝瓶垣(びんがき)〟。小野田地区の粘土が硫酸を入れる容器に適していたため、市内で大量に硫酸瓶が作られ、製陶業が栄えました。その硫酸びんの不用品などを積み上げて作ったのが瓶垣です。その近くに崩れた窯場の跡と煙突があって当時を偲ばせてくれました。
次に向ったのが、〝旦の登り窯〟。天保末年(1840年頃)に富田(周南市)の陶工甚吉が旦に移り住んで窯を開いたのが始まりで、皿山と呼ばれました。特に戦時中は耐酸性陶器の一大産地として栄えたところです。ここの登り窯は10連もあって、そのため焚き口は4つ…サスガです。最後に立っている煙突はそれに見合うだけの高さが昔はあって、今のように低くはなかったはずでしょうが…、崩れてしまったんですかね。
ああ、そうそう。この旦の登り窯は市の指定史跡となって保存されていますが、瓶垣の方は放置されたままですので荒れ果てています。ところが、私は2度ほど来たことがあって、その時より何だか手入れされているような…?と見ると、作業をされていた方が近づいて来られ、自分たちはこの一帯をキレイにして保存しようと整備しているのだと説明され、市の方へも保存を呼びかけるので署名してほしいと。確かに納得です。だって始めて見たときはウワッ!と思いましたものね。
もう一つ今度は登り窯へ行ったときの話…。やはり硫酸瓶があちらこちらに転がっていましたが、その中に瓶の上部が割れ蓋のようになったのがありました。それを主人が開けて中を覗くと…キャア!小さな蛇が…冬眠中でした。みんなが一頻り覗いて、〝これ生きてるのよね?〟と、誰かが突こうとしたので、ダメ~!〝カワイソウだから起こしちゃダメよ!〟と…本当は怖かったからなんですが…絶対私蛇だけはダメなんですよ。
この話には更におまけが付いていて…。瓶垣のところで、作業されていた方からその硫酸瓶を一つ主人が貰って、私の車のトランクに積んだんです。それで、もしかしたらあれにも蛇が冬眠していて、トランクの中が暖かくなったら這い出してくるかも…なんて脅かされて…また、またキャア!ですよ。
最後は小野田セメントの〝徳利窯(とっくりがま)〟です。これは国の重要文化財で、県指定史跡。日本化学遺産でもあります。明治14年に創業した国内初の民間セメント会社旧小野田セメントで建造された、現存する唯一のセメント焼成用竪窯で大変貴重なものなんですよ。上部に煙突があり、赤煉瓦で作られた形が徳利に似ていることから徳利窯と呼ばれています。太平洋マテリアル(株)(旧小野田セメント)の工場敷地内にあり、いつでも見学できます…が、今回久し振りに行って見ましたら、保存のために大きな屋根が取り付けられていて、かつての様子とは全く違っていました。私には前に見たときの映像がしっかりと目に焼きついているのでいいのですが、初めて見る人はちょっとガッカリかも…。何でも昔のままがいいですね。しかし、史跡物の劣化と崩壊などで起る事故を防ぐ意味ではやむを得ないことなんだとは分かっていますけど…ね。
この徳利窯の傍には小野田港があって、この日は遙か九州の豊後国(大分県)まで見えました。日は燦々と降り注いで眩しいくらいでしたが、やっぱり海風は冷たくて…、ああ、そうでした。この日は一年で一番寒いという〝大寒〟でしたもの、当然ですかね。
12時になりましたので、見学を終えて昼食場所へ。その後須恵公民館の部屋を借りて句会です。16時30分に終了し、そこで解散。
こういう、産業遺構の史跡などを俳句に詠むのはなかなか難しいものです。でも、みんなよく頑張りました。ご苦労様でした。