ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今度は本当に〝有帆〟への吟行-その2-で~す!

2021年10月27日 | 俳句

 月曜日・火曜日と連続で俳句教室でした。昼間は少し緩んで22,3度はありますが、朝夕の冷え込みは暖房がないとちょっと辛いですね。最低11度まで冷えるようですから。でもこの程度で根を上げていては北国の人には申し訳ない。ならもうしばらくは頑張りましょうか。

 さて、句会の話はまた今度にして、今日は有帆吟行の後半を書き上げます。

 「岩崎寺」「別府八幡宮」の次に行ったのが「熊野神社」です。

 ここは、昭和49年に和歌山県の熊野本宮大社から分霊が勧請された神社ですから、そんなに古くはありません。境内には珍しい「五色八重散椿」(ごしきやえちりつばき)があるというので、以前見に来たことがあります。また、確かここで滝行をしているのも見たことが…

 ああ、今も社殿の裏の方にありました。「名水50選」に選ばれた霊水の湧く九重の滝…ということで有名で、多くの人々が水を汲みに来るそうですが、この日も一人ペットボトルに何本も汲んでいましたね。

 しかし説明を読むとちょっとヤバイ!「名水50選」というのも調べてみましたが???…では全国のじゃなく山口県でのことかもと…これもネットにはありませんでした。一口飲みましたが…今のところ何ともないので大丈夫なのでしょう。でも迂闊に何でも呑まない方がいいかも…ですね。

 さて、この禊場から少し奥へ進みむすびの大橋を渡ると、最後の吟行地の菩提寺山(ぼだいじやま)の登山道になっています。

 この山は、有帆・船木・厚南・厚東の4境界に裾野をひく形で、高さ129mの小丘陵ながら全山巨岩の山なんです。九州の山々や内海の静波を望む景観、桜や紅葉の頃の手軽なハイキングコースとして、中央広場や健康広場なども用意されいて、市民の森として親しまれているところです。

 しかし、ここに来た私たちの一番の目的はナントいっても「磨崖仏」。

 この菩提寺山には、禅寺だった菩提寺の跡として、今は参道、鳥居、地蔵尊座像が残っているとか。他に自然石に刻まれた日本最古かもと話題になった3m余りの磨崖仏が残っています。斜面から突き出した高さ幅共に4m足らずの花崗岩巨石の表面を整形、中央に少しずんぐりむっくりの四頭身で寸足らずの古式な半肉彫り観音像が殆ど巨石一杯の高さで刻まれているのです。

山陽小野田市有帆の磨崖仏

 さて、この磨崖仏なんですが、以前日本最古ではという噂が立ち、地元新聞などが色めきだって報道していたときに見に来たことがあります。それからもう何年…いや10年以上は経っているでしょうか。

 調べてみると、平成17年に山陽小野田市では調査委員会を設置して本格調査に取り組んだそうなんですが、結局結論は出さず終いになったとか。

 私はその後の様子を是非見たかったのに、それがみんなにはぐれてしまって、私だけが見られなかったという次第。なぜって?と聞かれても、ね。先ず私の足が遅いこと、次は花などの写真を撮っていて更に遅れたりと…気がついた時には誰も見えなくなっていた。慌てて追いかけようと、先へ先へと進むのに追いつかない!で、とうとう山頂近くまで来てみても、人っ子一人いませんし、声も聞こえません。どうしよう…ちょっとパニックになりました。

 ところで、写真のように巨岩の階段のところを上がって曲がればすぐのところに磨崖仏はあったんですって。曲がるところを見ていないもので、真っ直ぐに進んでしまったからなんです。そして、みんなは磨崖仏を見たのですぐに下りたんですって。そこで誰かが気がついて電話でもしてくれたらよかったのに。どうも前のグループは後にいるものと、後ろのグループは先へ行ったものと…それで気がつかなかったと。私が電話して初めて一人で迷っているのが分ったというわけ。やはり少人数でも山では点呼が必要ですね。そういえば思い出しました。昔友人と軽井沢の探鳥会へ参加したとき貸切バスに置いて行かれたのを…。この話をしているとまた長くなりますので、ここでは止めましょう。 

 とにかく焦っていて気がつかなかったんでしょうが、あっそうだ、携帯があったんだ!と思いついて電話すると…〝どこおるんや?もうみんな神社の方へ下りてるんだぞ!〟なんて無下に言われて…うえ~ん、悔しい!私としたことが…。でもね、言うちゃ悪いけど、間違いなく後を追いかけて行ったのに…突然姿が見えなくなって、慌てたんですよ。それでちょっと危ない道も必死で登って行ったというのに…

 ここはやたらあちこちに道があって、その分かれ道を間違うと訳が分らなくなったんですね。どこにいるのかと聞かれても目印は無く、それでそこから大きな声で叫んでみろと、主人がいうので、〝ヤッホー、ヤッホー、ここですよ!〟と何度も叫んだのに全く聞こえなかったらしい。こんな低い山でも気象条件や時間次第では遭難ということもあり得るんですね。笑い事ではありません。どんな山でも甘く見てはいけませんよ。ハイ、気をつけます!('-'*)午後からの予定があるので、ホント間に合わないかと今回は正直焦りました。

 とにかく巨岩、巨岩の山道で、やはり一人では心細くなります。引き返した時もまた違う道を通ったらしく、皆が行かなかった「博打岩」(ばくちいわ)に出てきて、それを見て来られたのがせめてもの慰めかな。

 この「博打岩」というのは、昔海賊が船の監視をしていて、その暇に賭け事をしていたと伝えられている大岩で、その上に立つと遠くまで見晴らせる展望が開けていると。残念ながら上がる余裕はありませんでしたけど。

 ところで、磨崖仏の一件ですが、いつ頃からか急に騒がなくなって、どうしたのかと思っていましたが、ここに次のような看板が立っていたんですって。 

昭和55年文化庁の久野博士により日本最古 新羅系の様式と発表されて全国に話題を呼んだ観音立像磨崖仏です。長く廃仏状態にあったものを昭和初期地元の村田宝舟師が手入れして開眼供養を行った事実があって、古代からの様式はより鮮明に残されていることが大勢の古老の証言により明らかになりました。
近く所有地境界確認が行われ、文化財として指定申請が進められます。
日本仏教史にとって貴重な史跡ですから、後世に残すため大切に護りましょう。                  平成二年五月 荒谷伊三郎

 更にもう一枚看板が…

御参拝の皆様へ
昭和55年8月、全国に「日本最古の磨崖仏」として報道された石仏です。
地元梅田自治会では、毎年4月吉日観音祭と、石仏供養をつづけておりますが、岩崎寺よりの奉賛文、地元古老の証言等で昭和6年故村田宝舟禅師により開眼供養の事実があり、目下調査中で結論を得ておりません。
石仏を管理所有する梅田自治会は地元民の心のふるさと菩提寺山を今後も静かに愛し続ける所存です。
御参拝の皆様もその意御理解の上ていねいな観察御取扱いをおねがい出来れば幸甚です。              昭和五十五年八月 梅田自治会
御参拝者各位

 ということで、最終的には結論は出せないという判断でした。

 以上、何とか無事に神社へたどり着くと、トラックが山羊を乗せて参拝?に来ていてビックリ!わあ、とみんな早速句材にしていましたよ。ついでに私が山で迷いズボンを草虱(くさじらみ)だらけにして戻って来たのも、恰好の句材にされてしまいました。(笑)

 写真の花は、萩ですが、その次のは姫萩かも。最後のはタチバナモドキかな?

 12時、近くのレストランで昼食。その後いつものように句会場へ移動して、3時間バッチリ句会をしました。16時半終了。お疲れ様でした。

コメント (2)
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