昨日も今日も朝から雲一つない晴マーク、最高気温も26、7度と秋らしい日和でした。こういうのを季語では「秋日和」(あきびより)というんですよ。また、この時期は菊の花が盛りなので、こんなときには「菊日和」という季語を使います。
畳屋の肘(ひじ)が働く秋日和 草間時彦
四五日の旅行く妻に菊日和 石塚友二
どちらの句も明るくていいですね。前句は、今は畳屋さんも少なくなってしまいましたが、〈肘が働く〉がピカイチ!なかなか云えないことばです。俳句は先ずしっかり〝観る〟ことが大事。知識だけでは上っ面だけの実感のない薄っぺらな句になりやすいですものね。
「実相観入」という言葉があります。これは斎藤茂吉が正岡子規の写生論を踏まえて唱えた歌論ですが、この時彦の句はまさにその実相に観入して、畳屋という職業を的確に言い当てているのではないでしょうか。私も以前、あの太い針で畳を縫っては肘でキュッキュッと締めていく作業…その手際のよさに見とれていたことがありました。懐かしい景ですね。
また後句は、何という優しい句でしょう。ここまで思ってもらえる奥様は幸せなこと、羨ましい!(笑) 季語を「秋日和」とせず「菊日和」にしたところ…さすがですね。もしかしたらこの旅は何かいいことがあって行くものかも。ただ単なる旅行なら秋日和でもよかったはずでしょう。〝菊〟という花の持っているイメージは、気品があって色も黄色や紅やピンク、白などと様々、また香しさも感じられる。だから「秋」なんかよりぐっと実態が見えてくるはず。更に〈妻や〉でなく〈妻に〉としたところも。妻を心から送り出してあげてるようでしょう。世の旦那様方、皆さんはいかがですか?それも日帰りとか一泊ではないんですよ。エエッ、できるですって…そりゃあいない方がせいせいするからというんじゃダメですよ。それでは妻への愛情は全く感じられませんものね。(笑)
ところが驚きなんですよ。この句は1987年出版の句集『玉縄抄以後』に収められたものですが、友二が亡くなったのは1986年2月8日、79歳。しかし、1985年に句集『玉縄抄』を出しているんです。ということは死ぬ1年前ぐらいに詠んだ句ではということになるのです。
ウィキペディアによれば、〝代表句に「百方に借りあるごとし秋の暮」などがあり、日々の生活を題材とし、私小説的な世界がそのまま俳句となるような句境を開いた〟とありますから、この句も彼の想い出の中からの私小説的な創作だったのかも。死のすぐ近くにあってもこんな句が詠めるなんて、友二さんとは一体どんな人だったんでしょうか。
友二はそもそもは小説家で編集者でした。俳句は当初秋桜子の「馬酔木」に投句していて、1937年、石田波郷を主宰として「鶴」を創刊、発行編集者となり、後に波郷が応召された際には代選も務め、また、1969年に波郷が没してからは同主宰を継承しました。
友二は波郷より7歳も年上でしたが、出逢ったときから句歴や実力などの違いから波郷に師事していて、俳誌「鶴」では波郷の盟友ともいえる存在であったようです。お二人とも「馬酔木」に繋がる私の大先輩ということになりますが、かつて林翔先生に〝寡黙だが、傍に居るだけで安らぎを覚えて、誰からも好かれる人物だったよ〟とお聞きした波郷さんならば、友二さんもきっとそんな人だったのでは。だって最後まで波郷を大事に思って「鶴」を守ってきた誠実な感じの人ですもの。
実は今日も俳句教室でした。明日も午前と午後のダブル句会なんですよ。だから、また次がいつになることやら…。ではオヤスミナサイ!
写真は、折り紙の〝紫のばら〟です。私が折ったんではないのですが、これを見てすぐに〝あの紫のばらの人…〟と言ったら、彼女も〝そう、そう、あれまだ続いてるのかしら?〟な~んて…。この会話分かりますか?分かる人は同類ですね!(^▽^)