今日10月23日は、二十四節季の一つ、〝霜降〟です。霜が初めて降る季節、旧暦9月の中のこと。
秋が一段と深まり、朝霜が見られる頃で、朝晩の冷え込みが厳しくなり、日が短くなったことを実感しますね。初霜の知らせが聞かれるのも大体このころで、山は紅葉で彩られ、コートや暖房器具の準備など、そろそろ冬支度を始めます。読書や編み物をしたりして、秋の夜長を楽しむのもいいかも。
霜降や父に習ひし紙縒(こより)綴ぢ 能村研三
沖2000年・11月号に掲載の句。この父とは言わずと知れた能村登四郎のこと。氏は2001年5月24日に亡くなられていますので、研三氏がこの句を詠まれたときにはまだご健在だったんですね。能村登四郎は我が馬酔木の大先輩であり、林翔先生とは学生の頃からの付き合いで、その後の「馬酔木」でも「沖」でも生涯の盟友の仲でした。
この句は、霜降の日、お父さんに作り方を教わった紙縒で何かを束ねて一つに綴じようとしていたのでしょうか。きっと傍にはお父さんが…もしかしたら亡くなる半年前ぐらいですから病で臥されていたのかも。そのベッドの横で、この紙縒を習ったころの話でもしながら…。子供の頃の懐かしさを霜降という時期は一層掻き立てますものね。この紙縒というのは、細く切った和紙によりを掛けて紐状にしたものです。今ではうまく出来る人が少ないでしょう。
実は私もこの紙縒を詠んだことがあります。わが家は昔質屋を営んでいましたので、母がいつも紙縒を作って品物に名札の代わりに付けていましたし、質札や台帳などを綴じておくのにもいろいろ使っていました。今のようなビニール紐はまだありませんでしたので、何でもこの紙縒で綴じていました。私も母の傍で見よう見まねで紙縒を作ってみるのですが、母のようにはなかなか…よりが掛からずにふにゃふにゃした太い物しか出来ませんでした。いつも母のを見ると同じ紙なのに細くてピンと立っていて、それなのに丈夫なんです。悔しいから必死で練習しましたが、最後まで母には適いませんでしたね。七夕の時はいつも紙縒で短冊や飾りなどを笹に付けていましたから…懐かしい話です。
さて、さて…これ書いていて、大変なことをしてしまいました。「〝有帆〟で吟行で~す!ーその1-」が、消えてしまいました…いや、事実は消してしまいました…なんです。このブログを書くために、〝自動保存された記事データを復元しました〟の次の〝破棄する〟のところをクリックしてしまったら消えてしまったんです。当然なんですが、でももうUpしているんだからこれは要らないと思って、新規投稿にしようとしたんですよ…ウエ~ン!
よく考えてみると、これは同じ日に記事を2つも書いたことがなかったからなんですね。今までは早くても次の日か2,3日後でしたから、新規投稿をクリックすると何も書いていない画面が出たのです。今回は今日書いたその1の記事がまだ原稿として残っていたのに、次を書こうとして私が破棄したものだからこんなことになったんですね。悔しい!既に読んで頂いた方がもう何十人もいらっしゃったんですが、まだの方にとっては幻の記事と写真になってしまいました。スミマセ~ン!
時間があったら、思い出しながらもう一度挑戦してみますが…でもショックです。先に書いていて明日の朝にでもUpしようなんて…私に似合わないことをしたばっかりにこんなことになってしまいました。皆さまゴメンナサイ!
吟行記はまた改めて書くことにしますので、今日の所はこれで…。疲れました。では、明日が早いので、オヤスミナサイ!
写真は、〝ど根性日々草〟です。以前〝ど根性〇〇〟というのが流行りましたが、この日々草もたった1本だけ、それもセメントの土など全くない所から生えて、こんなに綺麗な花を咲かせていました。ラジオ体操へ行く途中の家なんですが、ここももう誰も住む人がいなくなったんですけどね。健気でしょう!泣けてきますよ。だから私もめげないで…ガンバリマス!