ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

令和3年度最後の〝きらら俳句教室〟

2022年03月21日 | 俳句

  このところ雨が降ったり止んだりとハッキリしない日が続いていて、先日来の20度を超えるような天気がまるで嘘のよう…、一昨日頃から最高気温も13度に戻っていますし。

 今日は彼岸の中日で、祝日の「春分の日」ですね。だとすれば彼岸の入りは18日。実は19日の土曜日、きらら俳句教室の最初に…正岡子規の、〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉の句を例に出して話をしました。先ずこの句を知っている人は?と聞いたら、誰も手を上げませんでした…(笑)

 初心者ばかりなんですから、まあそんなものでしょうが、もしかしたら一人ぐらいは…と期待したんですけど…残念でした。

 この句には、「母の詞自ずから句となりて」という前書きがついています。子規が問いかけたのかも知れませんが、その時何気なくお母さんがつぶやいた言葉をそのまま子規が俳句にしたものなんです。

 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、〝毎年だよね。彼岸の入りが来てもこのように寒いのは…〟という日頃の実感がストレートに表現されいて、誰もが納得出来ますよね。常に四苦八苦して俳句を捻っている人はビックリします。これでも俳句になるのだということに…実は私もそうでしたから。

 このきらら俳句教室も、今回が今年度最後の教室になりました。また来年度からは新しくレンジャーTさんに代わり開かれることになっていますので、そのご挨拶もありました。

 さて、先月は雨で外に出られませんでしたが今回はどうにか曇…。さあ、吟行です。しかし、昨年見られた土筆や菫などがどこを探してもなくて、やっぱり今年の方が春が遅いのでしょうね。でも…あらら、〝ホーホケキョ…〟といい囀りが…。〝これ、私にとっては初音ですよ〟と説明していたら、今度は〝燕〟が…〝これも初燕ね!〟などと…。

 そうなんです。普通は〝初〟が付くと新年の季語になりますが、この〝初〟は違います。〝今年初めて聞いた…、見た…〟という意味ですので、鶯や燕と同じく春の季語になります。

  ちちははのごと山二つ初音かな  小原啄葉

  棹歌の水路かがやく初燕     水原春郎

 どちらの句も優しいですね。特に前句の小原啄葉は岩手の人ですので、寒い寒い冬を耐えてきて、心から待ちわびた春の訪れがやっと来た…その喜びが〈ちちははのごと〉に。また、後句は〈棹歌〉とありますからどこなんでしょう。もしかしたら春郎先生は、潮来かどこかの手漕ぎ舟にでも乗ったのかしら?。〈水路かがやく〉に春が溢れんばかりですね。しかし、これらの句にはどこにも〝待ってたよ!〟とか〝やっと来たんだね!〟などと一切言っていないでしょう。でもこの季語に付いた「初」という言葉が全てを伝えてくれているのです。これが〝言わずに語る〟という俳句の醍醐味でしょうか。

 〝何が何してなんとやら…〟とくどくどと述べられますと、〝はあ、そうですか〟とよく分りますが、〝それがどうしたの?〟と、何の感慨も湧かないことが多いのです。それが〝ただごと俳句〟ということ。内容が平凡でありきたりのことならわざわざ575にしなくても。またそういうことはいくらでも言えますし、その時の季語さえ入れて575にすれば、一見俳句らしく見えますもの。〝もし、あなた方が本物を目指したいと思うのなら是非勉強して下さい。ただの遊びの自己満足でも構わないのならお好きなように…人それぞれですから。私は是非皆さんに本物を志してほしいんです…〟などと、エラそうなことをこの教室の最後に話しました。皆さん、分って下さったかしら?

 〝それではまた、来年度お会いしましょう。「継続は力なり」ですよ!〟と言って、12時に解散。一年間お疲れ様でした!

 写真は、今回が最後になったレンジャーIさんの〝雉(きじ)〟の帽子。これを被って案内してくれました。Iさん、一年間有り難うございました。雉も春の季語なんですよ。また、葦原の〝野焼〟が済んだ後の〝末黒野(すぐろの)〟も見えていて、これも春の季語です。

コメント (2)
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