今日は国民の祝日、「文化の日」です。早くも11月に突入してもう3日、見れば先月は僅かに4回のブログ更新。これでは1週間に1回の割合ですよね。こんなことは今まで一度もなかったのに、クヤシイ!もう少し本気で書かなくては…もちろんこれは自分のためにですけどね。さあ、今月はガンバロウ!
さて、このところこちらは毎日好天に恵まれて嬉しい限りです。昨日も快晴で、恒例の第1水曜日の吟行会が気持ちよくできました。ちょっと歩くと汗ばむくらいの気温でしたが、満足のいく愉しい吟行でしたよ。
今回の行く先は「長登(ながのぼり)銅山」。山口県美祢市の秋吉台南東に隣接する銅鉱山です。ここでは7世紀末ないし8世紀初頭から銅を中心とした鉱物の採掘が始まり、特に奈良時代には東大寺の大仏に使われた銅の産地であった可能性が高いことで有名。その後も1960年(昭和35年)の閉山まで、断続的に操業が続けられたところです。
1843年(天保14年)頃に長州藩に提出された地誌である『防長風土注進案』では、長登銅山はかつて奈良の大仏を鋳造するための銅を奈良に送ったため、恩賞として「奈良登」という名前を賜り、いつしか奈良登が長登になったとの言い伝えを載せています。このように長登銅山の銅が奈良東大寺の大仏鋳造に関わりがあったとの伝承は昔からありましたが、特に根拠があるものとはまだ考えられていませんでした。しかし、1985年(昭和60年)6月の集中豪雨時に長登銅山跡を鉄砲水が襲い、その鉄砲水の跡から8世紀から9世紀のものと考えられる須恵器などが大量に発見されたのです。
また、長登銅山からは採掘や製錬の遺構などとともに、730年前後の木簡など貴重な出土品も多数発見されているので、奈良時代から平安時代にかけて当時の律令国家も大きく関与した長門国直営の鉱山として銅と鉛を産出し、産出された銅や鉛は和同開珎など皇朝十二銭の鋳造や東大寺の大仏といった、国家的事業に用いられたのだと考えられています。それでやっと2003年(平成15年)7月に国の史跡に指定されたんですよ。(Wikipediaを参考にしました)
この日は平日でしたからきっと人っ子一人いないのでは…なんて想像して行きましたら、何とビックリ!大型貸切バスが3台も停まっているではありませんか。今さっき着いたらしくゾロゾロと子どもたちが…。聞けば、修学旅行で来た岩国の小学校6年生なんですって。
これが格好の句材になって、後の句会では銅山そっちのけの句がたくさん出ていました。滅多に出くわさない句材なので思いがけない拾いものです。やっぱり吟行はいいですね。出かけなければこんな句は詠めなかったでしょうから。〝早起きは三文の徳〟ならぬ〝吟行は3句の得〟でした。もちろんここに来るのに1時間余りは掛かりますので、当然早起きもしたんですけどね。
生徒たちも同じコースだったようで、私たちも初心者・シニア向けの花の山コースを見て回りました。①長登銅山文化交流館~②花の山精錬所跡~③山神社空気穴~④山神社~⑤本誓寺跡~⑥無縁墓地~⑦天平の池~①交流館のコースで、約30分です。
戻って来た時は、鋳造体験場でメダルを作っていた子らが完成した様子でしたので、それを見せて貰いました。〝銀メダルみたいだね!〟というと喜んで、でもこれは錫なんだそうですが。最近の修学旅行もただ観光だけというのより何かの体験学習型が増えているのでしょう。これはいいことですよ。
この後少し時間がありましたので、明楽寺の大銀杏を見て昼食場所へ。その後は、帰り道にある二俣瀬のふれあいセンターをお借りして、例の如く5句投句の句会。今回は7名の参加でした。17時前に終って無事に閉会。皆さま、お疲れ様でした。
写真がたくさん有りますので、今日は①と②の所だけをご紹介しますね。