ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝冬座敷〟

2019年12月15日 | 俳句

 今日は穏やかな一日でした。最高気温も14度と平年並みかしら…のんびりと、といっても午前中は俳句の投句〆切でウンウンと頭をひねっていました。夕方までには投函しないと…本当は15日が〆切なんですが、今日は日曜日ですので、まあ明日まではいいということなんです。でも、宇部はアリガタイですよ。

 だって空港がありますので、その最終便に間に合えば今日中には東京に着いて明日の配達になるのですから。田舎の方では早くて3日、どうかすると4日も掛かるとかいうのに、私は〆切の前日18時までに投函すればすむなんて、横着になっていけません。

 そういう余裕のないことをいつもしていますので、何かトラブったりすると、もうお手上げ!そのときは反省するのですが、すぐに元の木阿弥…懲りない性分なんですね。困ったもんです。今日も何とか夕方までに間に合って、その後お歳暮の買物に行きました。

 さて、さて、昨日は今年最後のダブル句会。午後の部の兼題は「冬座敷」、夜の部は先日観に行きました「夜神楽」です。どちらも難しかったようです。特に「冬座敷」は、最近の家には座敷がなかったり、あったとしても客間としてではなく居間的なもの。

 ところで、この「冬座敷」という季語に対しては「夏座敷」という季語があります。でも、「春座敷」や「秋座敷」という季語はありません。今までは気にもとめずに詠んでいましたが、考えてみるとなぜなんだろうと思いますね。

 そもそも季語という語が使われるようになったのは近代以降なんですが、季節という認識は万葉集の時代からあったようで、それぞれの歌を四季の別に配列している巻もあるということです。

 芭蕉や蕪村などの俳諧の時代には、2600の季語が集められていました。当然「冬座敷」も「夏座敷」も江戸時代から詠まれていた季語なんです。ですが、春や秋はありません。

 〈何なりと薄鍋かけん冬座敷〉というのがありますが、蕪村の弟子で江戸中期の俳人・黒柳召波の句です。また、芭蕉には〈山も庭に動き入るるや夏座敷〉という句があります。召波の句は、〝何でもいいから薄手の鍋をかけてこの寒い座敷を暖かくしよう〟という意味、芭蕉の句は、〝山も動いて庭から入ってきそうですよ。この涼しげな夏座敷へ…〟と、夏座敷を褒めた句です。

 このように、昔は冬の寒さや夏の暑さを少しでも快適に過ごすための工夫があれこれとされていたのです。冬は襖や障子、屏風などを立てたり火鉢や炬燵などで暖かくするし、夏は襖や障子を外して、葭戸や簾を吊ったりして風通しをよくするとか、風鈴などを提げたりと、みるからにその季節らしさが感じられるものだったのです。

 しかし、春や秋は気候的には暑くも寒くもないという一番快適な季節ですので、座敷そのものへの感慨は湧かなかったから詠まれなかったということでしょうか。だとすれば、冷暖房の完備した現代、昔の風情が全くなくなった座敷を詠むというのはとても難しいということがお分かりでしょう。

 この「冬座敷」という言葉から受けるのは、やはり客間のイメージ。日頃は余り使われないためにどこか整然として冷たい空気が張り詰めたような部屋、そんな感じを生かして詠む必要があるでしょうね。

 今回の最高点句は〈日にあてし座布団三つ冬座敷〉でした。そこで採った人の評を聞いてみると、面白いことがありました。一方は〝お客さんが来るので日に当てた座布団で待っている〟と、片方は〝お客さんが帰った後使った座布団を干している〟のだと。

 さて、みなさんならどちらだと思いますか?作者の答えは〝待っているところです〟と。そうですね。ここは〈日にあてし〉の「し」がポイント。これは過去の助動詞ですから、もう既に日に当たってフカフカになった座布団が見えますよね。次に〝どうして三つなの?〟と聞くと、〝だって3人でしたから〟と。〝じゃあ2人だったら…4人だったら…〟というと…ウウッ

 そうなんです。数を使うときはよくよく考えて使いましょう。たまたまそうだったからということでは、説得力がありません。ここはいくつであってもいいはず。この句のメインは、日を当てた座布団で待っているという作者の思いやりの心なんですから。そこで〈日に当てし座布団並べ冬座敷〉として、待っているのがしっかりと読者に伝わるようにしました。

 写真は、先頃伐った榎(エノキ)の切株。大きな木でしょう。カワイソウ!もう一つは家の裏にある楠(クスノキ)、これは枯れないように一枝残してもらったんですけど…、大丈夫かしら。最後の写真は10年も前に伐ったクロガネモチの切株です。もうこんなになって…

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 〝Nくんのこと、どうしても... | トップ | 芭蕉の〝夏座敷〟の句 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (ミルク)
2019-12-16 12:03:44
「冬座敷」と言う言葉初めて知りました(^-^;
こちらは、お日様に充てるなんてこと出来ませんので、ストーブで乾燥させておきます。
といっても、座敷にお通しするようなお客は来ませんが。
この時期は、汚いですが暖かい居間に入っていただきます。
返信する
季節 (風の盆)
2019-12-16 18:47:25
>夏は襖や障子を外して、葭戸や簾を吊ったりして風通しをよくするとか、風鈴などを提げたりと、みるからにその季節らしさが感じられるものだったのです。

今じゃ夏への備え、冬への移りなどはないな
もっとも北国では、いつの世でも冬支度はあるが
まあ、座敷ではないな、冬支度だから
寺山修司の天井桟敷でもないな

昔はクーラ-なぞ無かった
夏に入る前は、一つの行事だったな
襖をはずして、葦簀の戸に取り替える
葦が無くなったので、今じゃ大工も作れないな

襖では風通しが悪いが、葦簀の戸は風通しが良い
夏でも風がスウッ--と通っていくな

高温多湿の夏が過ぎると、寒くなると乾拭きして葦簀を外して襖にする
急に室内が暗くなってくる

まあ、落語じゃないが、昔の情景が無くなったので若い衆には分からんだろうな

>(日に当てし座布団並べ冬座敷〉
上手いものだな

このサイトはコメントが掲載されると電子メ-ルに受信する
自らが自らに返信しても自らに受信が来るな
コメントに対する返信は他者のサイトを覗いて分かるかな

>子を産んで親になるということと同じで、産んだだけでは親とは言わないでしょう。
終戦直後に坂口安吾は親がいても子は育つと言ったかな

先日のニュ-スで、消防団で自殺したのがいた
宇部・山陽小野田広域消防とか車の側面にあった

世には裏と表がある
山陽と山陰はある
しかし、山陽小野田とは・・・・・
山陰小野田もあるのかなと、ふと疑問を抱いたな

表日本と裏日本はある
土台、表日本と裏日本では気候が違う
山陰では、弁当を忘れても、傘を忘れるなと

今じゃ、裏日本は放送用語では禁じられていると
しかし、裏と表はしょうがないな
まあ、どちらが表か裏か分からんが

賭博でも丁か半だな
哲学でも正反合合だな

>町で〝先生〟と呼び止められて、エエッと思ったことがあります。
昔の外国旅行では、シャッチョウさんかセンセだな
彼らは社長とか先生と呼ばれろと嬉しがることを経験から知ってしまった

五木寛之が業界新聞にいた頃、人を見るとセンセと呼んだと
そして尊敬する人物には、センセイと呼んだと

先生とは、その道の人だな
言ってみれば、その道の専門家とも言えるかな
その道の人があの道、こっちの径に通じるとは限らない
ましてや人格とは別物かも知れないかもしれないな



返信する
Unknown (ちわき)
2019-12-17 01:38:37
ミルクさん、コメントアリガトウございます。
秋田ではお日様にあてるということが出来ないなんて…本当なんですか?
それほど冬は太陽の恵みがないってことなのかいら。日本列島の北と南でそんなに違うって思ってもみませんでした。やはり住んでみないと分からないもんですね。
まあ、気兼ねのないお客なら居間の方がいいでしょうが、かしこまった客を迎えることはもうあまりないの?
今日テレビで〝釣瓶に乾杯〟で秋田市をやっていましたね。少しだけ見ました。
返信する
Unknown (ちわき)
2019-12-17 02:50:28
風の盆さん、コメント?アリガトウございます。
確かに〝あなたにコメントが…〟と、自分が書いたのにも来ますね。最初ああ誰から?と開くと自分のだったりと…ヘンな感じ!
ところで坂口安吾さん…〝親が居なくても…〟ではないのですか?
宇部・山陽小野田の…消防署員の自殺は宇部の方で、今年の1月でした。消防署の隠蔽体質や上司のパアハラへの抗議だったのだと…
しかし、調査団で調査した結果を今まで公表しなかったのはなぜかと…それでニュースになっていました。私などは身近でないので、もう忘れていましたが、遺族にとっては納得できないでしょうからね。セクハラの上司などは処罰されたとかは聞きましたが…
ところで、山陰小野田はありませんよ。山陽小野田というのは、平成の合併で〝厚狭郡山陽町〟と〝小野田市〟が合併して、〝山陽小野田市〟になったんです。
この日本海側を山陰、瀬戸内海側を山陽というのは昔からで、中国山地の北側と南側ということでいわれていたんです。だから〝山陽道〟と〝山陰道〟が普通に言われていて、高速や新幹線でも言いますもの。まだ山陰には新幹線はありませんが…。
確かに〝山陰〟とか〝裏日本〟とかいうイメージには、暗いとか遅れているというニュアンスがあるからでしょうか。気にせずに使っていましたが、言われる方は…〝背が低い〟や〝色が黒い〟とかいうのもやっぱり差別用語になるんでしょうね。それを気にしている人からすればいやでしょうから。そんなこと言えば限りなくありますよ。何も言えなくなりそう…
確かに昔は、本来の意味でなくさげすむ気持ちで言われた言葉がいろいろありますから、それはいけないでしょう。
では、島根・鳥取県は山陰、広島・岡山県は山陽。なら山口県はどっち?萩は山陰、宇部は山陽…だったら下関市はどっち?なんて…
関西や関東ではこんなことは言わないんでしょう?長野県などは何というのでしょうか?
〝先生、センセイ〟というのと〝センセ〟という言い方も違いますね。〝センセ〟には、揶揄や侮蔑が…親しみもあるかも。いやあ、これはホステスさんかな…イケンイケン、これもサベツ?風の盆さんはどちらですか?
私は言われることに麻痺してしまったような気がします。
でも、俳句で同人になったとき、はじめて〇〇先生と言われて落ち着きませんでした。先生という言い方には慣れっこになっていましたが、それは職業としてですから。今は生徒さんがいますからそうでもなくなりましたが…
返信する

コメントを投稿

俳句」カテゴリの最新記事