ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

秋穂(あいお)吟行会の続きで~す!

2020年01月20日 | 俳句

 昨日から大分の実家の方へ、新年の挨拶と義姉の見舞を兼ねて出掛けていました。大分の方も今年は暖かくて、氷の張った日が無いとか…。今日の夕方帰って来ましたが、やっぱりそれまでの疲れが溜まっていたようで、することは山のようにあるのに最低限のことだけしてダウンでした。

 だからこれも夜中に起きて書いていますが、実は「大寒」だったんですね。二十四節気の一つで、陰暦十二月の中。一年で最も寒い時期と歳時記にはありますが、宇部でもまだ零下になったことがないので、氷の張った日はありません。この暖冬の影響が今年の天候にどう影響していくのでしょうか。このところの災害の多さを思うと怖いような気がします。

  大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり         富安風生

 この句は昭和14年作とか。その頃の大寒は本当に寒かったのでしょうね。この日から15日間、立春までの防寒対策は、着るものにしても暖房器具にしても…今と比較して想像の及ばないところのものでしょう。ましてやこの年は、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、日本も戦時体制が色濃くなって、昭和16年の太平洋戦争へとただひたすら突き進んでいった頃なのです。ならばこの〈敵のごとく〉の気持ちの中には、ただたんなる寒さだけでなく戦争へ向っていく日本の状況に対する厳しい眼が隠されていたのかも知れません。風生の第一句集『草の花』の序に寄せて、高濱虚子は「中正・温雅」、「穏健・妥当な叙法」と、風生の句を評しているようですから、その人柄も推して分かりますよね。そんな人のこの仮借ない語調には何かただならぬものを感じざるをえません。

 さて、さて、「秋穂吟行」の続きですが…このところブログが追いつかず、いつも遅くなって済みません。

 「正八幡宮」は、弘仁5年(814)から続く神社で、現在の社殿は元文元年(1740)に建立されたもの。本殿・拝殿・楼門及び庁屋(ちょうや)で構成されています。この庁屋というのは、山口県内に見られる近世神社建築の特徴で、楼門左右に「庁屋」という翼廊が接続する形式です。どの建物もその価値が認められて、平成元年(1989)に国の重要文化財に指定されています。

 一の鳥居から二の鳥居をくぐり楼門へ。その参道の左右に石灯籠が120基以上も並ぶ様は見事です。自然に森厳な気持ちになって参拝できますよ。さらに鐘楼や県下最古の庚申塔や室町時代の能面や古文書なども残されており、いろいろと見るべきもののあるところです。

 ここの二の鳥居は寛文2年(1662)の建立で、藩主毛利綱広の名も刻されているのですが、一の鳥居の方は最近倒れたらしくて新しいのに変わっていました。以前に来たときはこんな品のない鳥居ではありませんでしたのに…残念です。二の鳥居の写真は撮り忘れました。ゴメンナサイ!

 その境内の中に、文政10年(1827)の奉納とされる、〈春もやや景色ととのふ月と梅〉という芭蕉の句碑がありました。この芭蕉の句については面白い話が…〝これ、芭蕉の句だって…でも何なの? 季語ばっかりやん!〟〝ほんと!「春もや」に「月」に「梅」なんて…〟と。分かりました? 〝これ、「春」もややという意味で、「春もや」じゃないのよ〟と言うと、もうみんな大笑いでした。確かにそう読んでも季語は三つですよね。しかし、この句は芭蕉が好んで書いた自画賛の句で、この句碑が全国にはたくさんあるんだそうですよ。この句のメインの季語はやはり「梅」です。

 次に、やはり境内にある「大師堂」。秋穂八十八ヶ所の第一番札所です。ここはかつてこの神社の別当坊の僧侶の控所だったそうで、回りにはイノシシの掘った跡があちらこちらと…

 その後は、山口県セミナーパークへ移動して、そこの食堂で昼食。13持から17時まで借りた部屋で吟行句5句の句会をして、みっちり勉強しました。予定時間内に無事終了して、宇部に戻り解散しました。 オシマイ!


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