今朝は久し振りに寒くて、ラジオ体操へ行くのに手袋をしていきました。確か宇部でも最低気温は0度とかいっていましたもの。でもやっぱり今年は雪も氷の張ったのもまだ見ませんから、暖冬異変なんでしょうね。
しかし、昼間は日が降りそそいで、午後からの健康体操もポカポカ…でも、外に出た途端身を切るような風の冷たさを久々に実感しました。
昨日の俳句教室の兼題は〝日向ぼこ〟でした。歳時記には「日向ぼこり」として冬の季語。意味はご存じの通り〝縁側や日だまりで冬日の光を浴びて暖まること〟「ぼこり」の語源には諸説あるようですが、「ほっこり」からというのが一番有力のようです。
角川俳句大歳時記の「日向ぼこり」の例句を見ていますと、大先輩の馬醉木同人・相生垣瓜人(あいおいがきかじん)さんの「負喧(ふけん)」という珍しい季語を使った句を見つけました。
負喧をも負心をも亦重ねけり 相生垣瓜人
この「負喧」という熟語を辞書で調べてみましたが、『広辞苑』にも『新漢語林』にもありませんでした。それぞれの漢字で調べると、「負」には、〝①背負う②背負わせる③そむく④負ける⑤老婦人⑥マイナスの数〟、「喧」には、〝①やかましい②盛大なさま〟という意味。だとするとどこからこの熟語が「日向ぼこり」と同じ意味になるのでしょうか。
更に調べると、どうもこの「負喧」という語が近代文学作品に初出するのは 相生垣瓜人の句集だと。(Weblio辞書より)ということは、この語が季語として認められたのも瓜人の句からということになるのでしょう。
この句が収められている句集『負喧』は、昭和60年に亡くなった瓜人が、「馬醉木」の僚誌「海坂(うなさか)」の、百合山羽公との共同主宰であったということで、海坂発行所より昭和61年に遺句集として出版されました。ということは、瓜人の晩年に「馬醉木」や「海坂」で発表された句ということになるでしょう。ちなみに、この句の「負心」とは〝恩にそむく心〟で、〝また今日も日向ぼこばかりして、無為に過ごしてしまった。ああ、自分を心配してくれる師や仲間たちへの恩も顧みないで…〟というぐらいの、自省の句意でしょうか。
さて、瓜人は一体どこでこの語を見つけたのでしょう。とても不思議でしたのでもう少し調べてみましたら、白楽天の漢詩「負冬日」の一節に「負喧閉目坐」があり、〝背中に日差しの暖かさを受けて、目を閉じて座っている〟という意味だと。だとすれば、「喧」は日差しの暖かさ、「負」はそれを背に負っているということになります。フウ~ン、それで日向ぼこと、なるほど。瓜人先生は漢詩にも造詣が深かったということなのかしら?
ところが、もう一つ発見したことがあるんですよ。竹内栖鳳(たけうちせいほう・1864~1942)という、明治中期から昭和初期にかけて約60年にわたり活躍した日本画家。その作品「猫児負喧」が、明治25年(1892年)の第21回京都博覧会で3等賞を受賞しています。瓜人は、大正9年(1920)、東京美術学校を卒業して浜松工業学校(現在の静岡県立浜松工業高等学校)に図案科教員として赴任していたのです。ああ、それならこの「猫児負喧」の絵も…と、今度は心から納得しました。瓜人には〈衰顔の匂はしからむ負喧かな〉という句もありました。
ああ、まだまだ知らないことが山ほどありますね。その山はエベレストぐらい…いやいや、それは永久に頂が見えない〝無限の山〟でしょう。死ぬまでにどこまで上れるでしょう?もうそろそろヘタリそうですが、でももう一踏ん張りしましょうか。
※このブログ記事を読んで下さって有り難うございます。なおこの時点では分らなかったのですが、この〝負喧〟という季語は〝負暄〟が正しいことが判明しました。〝暄〟という漢字は暖かいという意味で、それで「負暄」が冬の暖かい日差しをあびること、即ち〝日向ぼこり〟ということになるようです。
このことについての詳しいいきさつは、事後のブログ2021・11/16「ウワッ、大変なことに気がつきました!」、2021・11/18「季語の〝負喧〟は?ハイ、〝負暄〟が正解です!」に書いてありますので、よろしかったら覗いてみて下さい。よろしくお願いします。
写真は、先日の長府市の壇具川で撮ったもの。動画で撮ったんですがね~、どうやったらUPできるのかしら?
動画upは、ユーチューブに登録すると出来ますよ。
少し面倒ですが・・・息子さんかダンナ様なら出来るかと。
私の歳時記は、
角川書店の、「必携季寄せ」という
本でした。
例句が良いなあと思ってこれに
したような気がします。
角川書店 当たりだったんですね(*^^*)
負喧は初耳です。
都会の喧騒の喧だと
後で気付きました。
日向ぼこりも、りを付けると
イメージが豊かになりますね。
ずーっと日本に住んでいても
知らないことばかりです(;´∀`)
俳句を勉強して
まずは日本を知らないと~です。
早速教えて貰ってありがとうございます。
ユーチューブに登録するというのが???
写真と同じようにスマホからPCにメールで送ることはできましたが、それを保存するということがまず出来ませんでした…というよりそのやり方を知らないからなんでしょうね。
こういうことには全くのお手上げ…
それにしてもミルクさんはたくましいですね!
何でも一人で解決してきたからかしら。これからも教えて下さいね。
角川の歳時記ならよかったです。でも「季寄せ」というのはコンパクト(文庫本ぐらい)で、一冊に四季の季語が全部載っていて便利なのですが、説明や例句が少ないのでは?
普通私たちは「季寄せ」というと吟行や旅行などに持っていく簡易的なものとして使っています。家ではもう少し詳しいもの…今では電子辞書が一番楽ですのでそれを主に使っていますが、それが角川の「俳句大歳時記」なんです。本の方でも大きなものは持っていますが…
翡翠さんもそのうち徐々に物足りなくなったら詳しいものを入手されるといいかも…
〝ヘエッ、こんなことも季語なんだ!〟と、いろいろ発見することが楽しくなりますよ。
ガンバッテ下さいね。
『喧』は『うるさい』という意味ですので、「負喧閉目坐」の
訳は「賑やかな声を背に目を閉じて座る」になるかと。
『喧』に『日差しの暖かさ』の意味はないと思いますよ。
コメントありがとうございます。
あなたの仰るとおり、「喧」という漢字そのものの意味には、漢和辞典のどこを調べても〝日差しの暖かさ〟という意味はありませんでした。
だからそれがなぜ〝日向ぼこり〟の傍題として使われ、その例句が歳時記に採用されているのかという疑問を持ったんですよ。
私の調べた範囲でのことを書いておきましたが、すっきりとは解決しないままですが…。
白楽天の漢詩…「負冬日」(五言律詩)
に用いられています。
杲杲(こうこう)冬日出 照我屋南隅 負喧閉目坐 和氣生肌膚 初似飲醇醪(じゅんろう) 又如蟄者蘇 外融百骸暢 中適一念無
この中の〝負喧閉目坐〟が、「背中に日差しの暖かさを受けて、目を閉じて座っていると」と解釈されていました。恐らくそのものの意味ではなく、前文から燦々と差す盛大な冬日を背に…という意味にとったのかなとも思いました…「喧」には盛大な様という意味がありますから。
また現在この言葉が日向ぼこの傍題として認定されているのは確かで、句集名にもなっていますし…。
れない季語『負喧』が気になりまして、ネットで検索した
ところ、こちらのブログに辿り着きました。
この漢詩は白楽天が失脚して地方に左遷された数年後
に詠まれたもののようで、彼の心情を慮ると『負喧閉目
坐』は「政治の世界のやかましさに背を向けて目を閉じ
て座る」ぐらいに解するのが妥当ではないかと考える次
第です。この件について何か新しい事が分かりましたら
また寄らせてもらいます。お騒がせしました。
実は大変なことが分ったんですよ。事後承諾で申し訳ありませんが、この〝負喧〟についての晴陽さんのコメントを利用させて頂きました。
是非読んで見て下さいね。
俳句歴4年と…少し俳句というものが分かり掛けて来た頃でしょうか。でも、すればするほど、俳句は最も短い詩型ですから、言葉を選ばないといけませんよね。
そのために言葉の海へ入ってどっぷり浸かり、獲物を探さないといけません。泳ぎと一緒でアップアップしながら覚えていくものですから、ガンバッテ下さい。
何事も〝継続は力なり〟ですよ。