ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

比喩表現であっても季語?

2019年06月12日 | 俳句

 今日の午前中は曇り、午後晴れ。それで午後からの健康体操へ行くのに見れば車内温度は33度と…でも街頭にあった温度計では26度でした。フォーユーの体操会場は3階の大ホール。エアコンは28度以上にならないと入れて貰えませんので、たとえ暑くってもガマンなんです。でも、今日は風がよく通ってとても快適に運動ができました。ヨカッタ!

 ところで、以前比喩の〝寝釈迦〟は季語にならないということを書きました。これは我が結社での話であって、他所では比喩であっても季語と認めるところもありますので、一概に全てがダメということではありません。ご了解を。それぞれ考え方や目指す方向が違っていれば当然やり方も違うでしょうから、それはそれでいいと思います。

 先日現代俳句の方の句集をいただき、拝読させてもらいましたが、やはり全く違いますもの。もちろん共鳴する句はたくさんありましたが、さっぱり分からない句もたくさんありました。まあこれは仕方のないことかも知れません。同じ結社でもそういうことはありますから。

 初心の頃というのは何も分からずに入門するので、出会った師や友人や本などにとても影響を受けますが、だんだんやっているうちに自分の詠みたいものが見えてくるようになります。すると、今の詠み方では満足できないようなことも起こるでしょうし、言葉やリズムなどもありきたりではイヤになってくるかも。それで破調に詠んだり、難しい漢語を用いたりと…あれこれ模索して悩みます。その結果で自分なりの結論に到達すればいいのではないかと、私は思っています。

 しかし、そこまで自分では努力せずに人の句の批評ばかりする人がいますが、それはおかしいのでは…。でもそのような人も実際にいるんですよね。私もまだまだ勉強不足ですから、偉そうなことは言えませんが、今自分が到達しているところまでのことは一応分かります。それで、俳句を勉強しようと頑張っている人には、私の知っていることは全て教えてあげたいと思ってしまうのです。やはり、これは〝教師根性〟なんでしょうか?いつか言われたことがあります。初めて会話した人に〝あなた、もしかしたら先生してた?〟と。そうだと答えるとやっぱり!と言われてしまったことがありましたもの。30年以上もやっていると染みついてしまうんでしょうかね~。

 さて、先日の兼題の〝更衣〟にも比喩表現で更衣を詠んだ句がありました。〈更衣緑へ変る棚田かな〉という句。これは棚田が緑に変ってまるで更衣をしたようだと思って詠んだと、作者。

 ではここでちょっと考えてみて下さい。棚田が緑になるのはいつ?それは〝草萌〟の頃なので、春の初めでしょう。だったら6月頃の〝更衣〟とは全く合いませんね。もし、この情景をどうしても詠みたいと思うのなら、例えば〈いつせいに棚田草萌え更衣〉とかすると、〝草萌え〟が季語になり、枯れ色から緑へまるで更衣をしたようだという比喩になります。しかし、更衣という季語の〝冬物から夏物へ〟という本意が完全に無視されることになるんです。このように〝更衣〟ということを、季節に関係なく〝衣を替える〟即ち、変化するということだけの見立てで詠むというのは、やはり季語として認めたくはありませんね。みなさんはいかが思われますか?

 写真は、〝ヒペリカム〟というオトギリソウ科の半常緑低木。別名〝小坊主弟切〟(こぼうずおとぎり)といわれて、小坊主の頭に似た赤い果実がなるのがとてもカワイイです。これはまだ季語ではありませんが、〝弟切草〟は秋の季語ですので気を付けて!


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