ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

季語の〝負喧〟は?ハイ、〝負暄〟が正解です!

2021年11月18日 | 俳句

 今日の天気は…朝の内は少し曇っていましたが、まっこと〝小春日和〟の暖かさでした。ちょっと縁側で本でも読もうものなら、すぐにウトウトと……気持ちのよいこと!最高気温は19度でしたものね。

 さて、先日からの季語〝ふけん〟は〝負喧〟か〝負暄〟かという問題…行く着くところ〝負暄〟を誤植したものということに間違いないようです。

 そもそも、この〝負暄〟なる季語を使い始めたのは、前にも書きましたが、どうも相生垣瓜人(あいおいがきかじん)さんのようです。

 そこで、念のため馬醉木の僚誌「海坂」(うなさか)の現主宰・久留米脩二氏に問い合わせてみましたら、瓜人さんは間違いなく「負暄」を使っていらっしゃたということ。〝負喧〟は誤植ですときっぱり言われました。

 おまけに俳誌「海坂」の60周年記念出版として、この瓜人さんの句集、『微茫集』『明治草』『負暄』を収めて『相生垣瓜人全句集』として刊行したのは角川書店なんだそうですよ。ヘエッ!

 それなのに、『角川俳句大歳時記』(角川学芸出版)には〝日向ぼこり〟の傍題に〝負喧〟として出し、例句を見ても次のように載っています。

 負喧をも負心をも亦重ねけり  相生垣瓜人

 ちなみに、相生垣 瓜人を説明すると、1898年(明治31年)- 1985年(昭和60年)の俳人。本名・貫二。兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)に生まれる。1920年、東京美術学校製版科を卒業。同年に浜松工業学校(現在の静岡県立浜松工業高等学校)に図案科教員として赴任。1928年より「ホトトギス」に、1930年より水原秋櫻子の「馬醉木」、阿波野青畝の「かつらぎ」に投句。1933年、秋櫻子の「ホトトギス」離反に従い「馬醉木」に所属、同年「馬醉木」同人。1937年「馬醉木」の「新葉抄」選者を任される。

 戦中、6年ほど句作を中断したのち、1947年「あやめ」に参加。1948年復刊した「馬醉木」への投句を再開。1949年、浜松放送局聴取者文芸俳句選者。1950年「あやめ」が「海坂」(うなさか)に改題、同誌で百合山羽公と共選。1976年、句集『明治草』他で第10回蛇笏賞を受賞。代表句に「家に居ても見ゆる冬田を見に出づる」「クリスマス佛は薄目し給へり」など。戦後から飄逸味のある独特の句風を発展させ、その句境は「瓜人仙境」と呼ばれた。1985年に永眠、享年86。(ウィキペディアより)

 また、ネットを調べていましたら、「ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko」(2020・12・18)のブログに、〝「俳句αあるふぁ」冬号、そして…〟と題して、〝ふらんす堂刊行書籍がとりあげられているので紹介をしたい。(長いものは抜粋で)〟と…大石悦子句集『百囀』(ひゃくてん)について書かれていました。

(略)自由自在な言葉の斡旋が句集の魅力です。〈負喧(ふけん)してうまうま老いぬわれながら〉の「負喧」は日向ぼこを意味する漢語で、杜甫の漢詩「西閣曝日詩」などに出る言葉ですが、あるいは相生垣瓜人に同名の句集があるので、そこから取ったのかもしれません。(略)〟と。
 しかし、同じ「ふらんす堂編集日記」の新刊紹介をしたいと、この大石悦子句集『百囀』の中から次の二句も採り上げられていました。
 負暄(ふけん)してうまうま老いぬわれながら (負暄 日向ぼこのこと)
 負暄して爺かと問はる然もありなむ
 
 このように、同一人物が…それも俳句の出版社の責任者なんですが、そんな方でさえ気がつかずに、「負喧」と「負暄」を混同して使っておられたのです。(この青色の記事はコピペしたものですから。念のため…)
 他にもインターネットを調べてみるとあるわ、あるわで、この漢字の違いが全く認識されないままに出回っている?と、そんな状態でした。
 まあ、一番の被害者は瓜人さんでしょう。だって、この言葉を季語として収録し編集した歳時記が一番大手の角川書店さんなんですから…。
 
 そういうことならばということで、恐らくこの根源を作ったであろうと思われる歳時記の出版元・「角川学芸出版」へ電話をしてみました。そして、その間違いを説明し誤植を正して頂くようにお願いしたんです。が……
 まあ、俳句では押しも押されもせぬ天下の出版社ですもの…いろいろとあるのでしょうが、ちょっと期待外れ。それを書くのはまたのことにしましょう。とにかく正してもらうための布石は打っておきましたので、これで一応私の役目は終りかしら…ねッ!(*^ー゜)

  衰顔の匂はしからぬ負暄かな  相生垣瓜人

 こんな句も詠んでおられる瓜人さん、もしかしたらあの世で嚔(くしゃみ)をしていらっしゃるのではないかしら?(^▽^)

 写真は、今日の月。明日が満月ですから〝小望月〟ですね…スマホのズームで撮ったらこんな赤い色に…


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8 コメント

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Unknown (青萄)
2021-11-19 20:38:09
こんばんは❗️
私も遅ればせながら調べてみましたが、その時々による混同が甚だしいですね、言葉や文字を大事にする俳句で…少なからずビックリしました。文法の間違いをただそうとする向きはありますが、これは単に漢字のことですものね、誤植は速やかに直してほしいものです。
昔、中学の数学の先生は教科書に間違いを見つけると、すぐ教科書会社に文書で指摘してました。おおむね感謝されて謝礼の金一封も出たように聞きましたが…。
ちわきさん、これからも勇気をもって俳句界のために頑張ってください、応援しています👏
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Unknown (ちわき)
2021-11-19 22:08:39
青萄さん、こんばんは!
うれしい励ましのコメント、有り難うございます。
私も角川の歳時記を完全に信用していましたので、最初は意味がヘンだと思っても誤植だとは考えませんでした。他の歳時記には載っていませんでしたが、あの瓜人さんが使っておられて句集名にもなっているのですから間違いは無いと思い込んでしまったんですね。
以前現役の時にも、古語辞典の解釈だったか?忘れましたが、私の解説と辞典の説明が違っていて、生徒が混乱しましたので、正して貰うように出版社に申し出たことがあります。その時は辞書の担当者が出てこられて、非常に感謝された事があります。もちろん…金一封はありませんでしたが。それは角川ではありませんでしたが、古語辞典では一番良く出回っていて、生徒にもそれを買うように…という推薦辞書でしたから。
角川の歳時記も皆さんに勧めていましたのに…今回のような対応をされると本当にガッカリです。
文法的な間違いも多々ありますね…
私が俳句を始めた頃、これは絶対おかしいというと、大先輩が俳句では許容範囲だと言って相手にされませんでした。どうして俳句だったらいいの?という…疑問だらけ。
だから自分が教えるときには常に正しい表現で…と心がけています。
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Unknown (青萄)
2021-11-19 23:17:13
角川俳句の今年6月号に大石悦子『百囀』50句抄、載っていました。第55回蛇笏賞受賞作です。
3番目に「負暄(ふけん)してうまうま老いぬわれながら」がありました。
私はそもそも角川俳句大歳時記は見たこともありませんが、いつ頃発行されたものなのかな?と思いました。おそらく永い年月を経ているのに、その誤植にプロの俳人たちが気が付かなかったとは…なかなか素直には思えないのですが。
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Unknown (ちわき)
2021-11-20 05:41:43
青萄さん、お早うございます。
再びのコメントありがとうございます。
今私が使っている『角川俳句大歳時記』は2006年の初版ですが、それ以後何版になっているかは分りません。またカシオの電子辞書を使っていますが、これにもこの歳時記が収録されていて、全く同じです。
だから俳句をされている人には、結構広く普及しているものと思われますね。
今までこのことに誰かが気がついていれば、この情報の時代ですもの…ネットで検索すれば何らかの情報は得られるでしょう。
しかし、今のところこの季語を検索すると真っ先に私のブログが出るんですよ。そういう意味でも正しいことを発信しなくてはと、責任を感じてのことでもあるんです。
これからもよろしくね。
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Unknown (ミルク)
2021-11-20 14:46:27
こんにちは。
うちにある「広辞苑第七版」
「角川俳句歳時記第五版」(最新かと)
「古語辞典」
「日本語大字典」金田一晴彦さん
を調べても〝負暄〟の意味わからなかったです。
本当に、季語って難しくて興味を覚えたばかりの人は
気持ちを、削がれる気がします(^^;

でも、ちわきさんのように、出版社に、誤植を
告げる勇気のある人もいないと、間違えたままですね。
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Unknown (ちわき)
2021-11-20 21:06:40
ミルクさん、こんばんは!
そう、辞書を4つも調べて下さったのね。ありがとうございます。
だとすると、『角川俳句大歳時記』にしか収録されていないのかしら。
小学館の精選版『日本国語大辞典』には〝暄を負う〟で出ています。これは電子辞書ですが…
今日文庫本の『角川俳句歳時記』を持っている人に見せて貰ったら確かに出ていませんでした。
出版社が気がついて取り下げたとしても、それなら過去の分の訂正を出すべきでしょうね。
そうしないと、知らない人は間違ったまま使ってしまう人が今後もでるでしょうから。
こんなことは滅多にあるものではありませんので、臆せず俳句を作って下さいね。
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Unknown (信州人)
2021-11-22 23:37:25
ちわきさま、こんばんは。

師匠は古典の先生だったのですね。
自分は理系でしたので、古文の時間は内職の生徒でした。
ごめんなさい。
師匠によく指摘されるのは、主体が不明瞭ということが多々あります。
<膝上の猫の真上の小春空>
うちは猫は飼っていませんので、この膝はお隣のおばあちゃんなのですが、通常、俳句では自分になるのでしょうか。
その紛れを嫌って<縁側の猫の真上の小春空>
がいいのか、また迷路に。
正直にいいますと母は梅の季節に亡くなりましたので、菊の句は噓です。
戒名も梅の一字を入れていただきました。
ごつごつした句ですが、思い切って新聞に投稿してみました。
<神の子の盤上の鬼手冴ゆる月>

疲れているときこそ、言い訳せずに句を作る習慣をつけていきます。
おやすみなさいませ。
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Unknown (ちわき)
2021-11-23 11:20:21
信州人さん、こんにちは!
昔は国語科目も「現代文」「古文」「漢文」と別れていましたが、一応どれでもこなさなければいけませんでしたから、専門はありませんでしたね。
まあ、今の受験生は古文など必要ないと…勉強してない人が多い!
ただ単位が貰えればいいとか…余程好きな人でなければ…あなたのように内職か寝ていたかでしょう。
それもいい思い出かも…(^_^)
<膝上の猫の真上の小春空>
<縁側の猫の真上の小春空>…
主体の問題…不明瞭かどうかはその句次第ですから何とも言えませんが、概ね作者だと思われます。
これが隣のおばあさんであっても、この句では問題外!ここは誰かの膝の上の猫が重要ですから。
もっと言うなら、膝上と真上のダブり…膝だけでいいでしょう。
更に小春空なら真上も不要…というように考えるべき所は他にありますからね。縁側でも大差なしですよ。
お母様の句は…それなら梅で春に詠みましょう。
新聞への投句、大いに結構、結構!
やる気が出てきた証拠です。何事も気長に…〝継続は力なり〟ですよ!
フレー、フレー…!(^^)!
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