今日は一日中曇りの天気予報でしたので洗濯を諦めかけていたのですが、窓から日が差してきたり、青空が見えたりと、よさそうな天気…それで急いで洗濯をして干しました。が、夕方戻ってみるとカラッとまでは…
午後からは俳画教室でした。宇部では今のところコロナが一息ついていますので、先月から教室が以前のところに戻っています。やっぱりかってが分かっているし、筆や硯を洗う流しも傍にあって便利です。この部屋はコロナの自粛中は12名までしか使用できなかったのが、今は24名まで。ということでぎりぎりセーフなんです。
今日はいつものN先生がお休みで、大先生のM先生が代理で指導されました。画題は〝狸のお使い〟です。これは以前にも何度か描きましたが、やっぱり難しい!
描き上げて先生に見ていただくと…〝ここがちょっと空きすぎたわね〟と。〝先生、この狸雌ですかね、それとも雄?〟〝私は雌のつもりで描きましたけど…〟と。〝そうですよね。だからここが物足りないんですか。アハッ…〟この会話、どういうことか分かります?ということで、もう一度描き直しましたよ。ハイ!(笑)
それではもう一つの兼題の〝焼藷(芋)〟について書きましょうか…
この句会の時、例のごとくSさんがみんなに焼藷を作って持ってきてくれました。その時にもう一つ銀ケースに入ったものを…〝何、これ?〟と聞くと、〝開けてビックリ…ですよ。見る前に当てて下さい〟と。彼女は毎年これを持って来てくれるので、〝干柿!〟と言うと、〝ブー〟…さて、何だったでしょうか?答えは〝椎の実〟でした。いつもアリガタイこと!そうしていると、遅れて来たHさんが…また、何かを…。今度は〝銀杏(ぎんなん)〟でした。一人一人ビニール袋に入れてきてくれて…。本当にお二人さんには、感謝、感謝です!
そういえばHさんは俳画でも一緒なんですが、今日ここでは柿をひと箱持ってきて、みなさんに配っていました。また、また感謝ですよ。
ところで、「椎の実」「銀杏」「柿」は秋の季語ですが、「焼藷」は冬の季語なんです。今の歳時記では、焼藷は殆ど「芋」の字が使ってありますが、〝いも〟という漢字には三つあって、焼いもは本来サツマイモですので「藷」の字が正解。概ね「芋」はサトイモ、「薯」はジャガイモをさしますので、俳句ではそれぞれ使い分けているのですが…。例句をみると古い句には「藷」を使っている句がほとんど。でも、だんだん「芋」という字が多くなって、まちまちでした。町中やスーパーなどで見かけるのもみんな「焼芋」になっていますものね。時の流れでしょうか。
鉤吊りに焼藷菩薩壺を出づ 皆吉爽雨
この句について書こうと思ったら、すでに2020年03月25日の「〝焼藷(やきいも)〟の話だよ!」に書いていましたので、それを再掲します。前後の記事は省きましたが、よろしかったらそれもどうぞ。
ところで、他の方のブログを拝見すると、ある記事の一部だけ載せてそこをクリックする、もしくはURL(?)を載せてそれをクリックすると、その全体が出て読めるようになっているのですが、どうしたらそのようにできるのでしょうか。こういうことには全く無知で…どなたかこっそり教えて下さいませんか。
…(前略)…ところで、〝焼藷〟は冬の季語。江戸に焼藷屋が現れたのは寛政5年(1793)といいます。栗に近い味の意で「八里半」という行灯(あんどん)を出して売り始めたのですが、その後、栗より(九里四里)うまいという意で「十三里」などの看板も現れました。屋台の石焼藷屋は、関東大震災で東京の焼藷屋の店舗が激減した後、盛んになったということですよ。
鉤吊りに焼藷菩薩壺を出づ 皆吉爽雨
(かぎつりにやきいもぼさつつぼをいづ)
今では殆どの焼藷屋さんは軽トラックなどに専用の釜を積み込んで、笛を鳴らしたり、「いーしやぁーきいもー」という独特の節回しで売り回るのが定番になっています。また、お祭りなどでお店を出していたりもしますので、何度か買って食べたことがあります。今はスーパーでも売っていますので、つられてつい買ってしまうことも。
上掲の爽雨の句は、壺の中で藷を吊るして焼く〝壺焼藷〟のこと。私の子供の頃は駄菓子屋などでよく見かけましたが、壺型の器の中に鉤の手の針金で藷を吊し蒸し焼きにするものです。その鉤で吊り下げている藷を〝菩薩〟に見立てたものでしょう。しかし、庶民の食べる藷という超世俗的なものと俗世を超越した仏、それもお釈迦様が修行中の頃の姿であるという菩薩なんて。それを結びつけたところが、なんとも可笑しくってつい吹き出してしまいそう。さて、さて、お藷菩薩様はこんがりと色よく焼かれてどんなお顔で出てこられたのでしょう。想像するだけでも楽しくなりませんか。更にそれをアッツといいながら、菩薩の頭からパクりと…ああ、これぞ至福のひととき!……なんて、…いかがですか?…(後略)…
さて、この句会での最高点句は〈焼芋や分けてほっこり暖を取る〉という、去年入会した新人さんの句でした。どうも〈ほっこり〉という表現に惹かれたのか、それとも他にいい句がなかったから?…アハッ、失礼!…
すると、Kさんが、〝先生、ほっこりは焼芋の傍題にありますよ〟と。エエッ、これはビックリポンです。すぐに歳時記を確かめてみると、ありました!角川俳句大歳時記ですよ。例句はありませんでしたが…。まさかこれが季語になっているとは…トホホッ…知りませんでした。さすがは馬酔木同人のKさん!参りました!
また一つ勉強させて貰いました。それではと、この句を〈焼芋をほくつと割りて夫(つま)と食ぶ〉と直すと、作者からイヤイヤをされてしまいました。(笑) 実はこの新人さんというのはご夫婦で入会されて、この句は奥さまの作だったんですよ。それでは〈焼芋をほくつと割りて子と食ひぬ〉にしましょうかというと、やっとOKが出ました。(大笑)
ついでにインターネットで「ほつこり」という季語で詠んだ句があるのか探してみました。なかなかありませんでしたが、やっと一つ見つけましたよ。これです。
ほつこりと食ぶるほがほが言ふ人と 茨木和生
写真は、「数珠玉(じゅずだま)」です。先日の吟行地で見つけたのですが、これは秋の季語。葉はトウモロコシの葉に似てやや小さく、黒や灰白色の堅くつややかな丸い実をつけます。その実の芯を抜き、糸を通すと数珠になり、子どもたちはそれを首飾りにしたり、お手玉に入れて遊んだりします。
私も子供の頃よくこの数珠玉を取りに行って、遊んでいましたので、とっても懐かしい!
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