ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

一茶の〝月〟

2017年09月06日 | 俳句

 今日は朝洗濯物を干して、午後から体操へ。その後母の見舞に病院へ…ところが、見ると空模様が怪しくなってきました。それで早々に病院を引き上げて、買物をして車に乗ろうとすると、とうとうフロントガラスに雨の粒が…さあ、大変!もしかしたら家に旦那がいるかもと、電話をするがダメ。とにかく急いで帰りました。少し濡れたぐらいでしたので、何とかセーフ!

 今日は俳句カレンダーを見ると満月と書いてありました。でも〝中秋の名月〟ではありませんよ。今年の中秋の名月は、10月4日で遅いんです。俳句では「月」だけで秋の季語になりますが、それは秋が空が澄んでいて、月が一番明るく大きく照りわたるからなんです。更にその秋の月にしても、初秋の満月は〝盆の月〟、中秋の満月は〝中秋の名月〟、晩秋は満月ではなく、十三夜を〝後の月〟と言って多くの句が詠まれています。

 例年8月中旬以降に〝盆の月〟があり、9月に〝中秋の名月〟がやって来るのですが、今年は半月ほどずれているようです。今日は夕方ひとしきり雨が降ったので、月はダメかなと思っていましたが、外に出てみると、この写真のような、暈をかぶった〝おぼろ月〟みたいな月が出ていました。

   (ゆあみ)して我が身となりぬ盆の月   

   名月をとつてくれろと泣く子かな       

 どちらも有名な小林一茶の句ですが、前句の季語は「盆の月」。これは盂蘭盆会のある夜に出るからそういうので、現在のお盆の夜の月という意味ではないのです。昔から忙しいときには〝盆と正月が一緒に来たよう〟と言うように、この時は人の出入りも多く何かと忙しい日なんです。だから、その忙しい一日が終り、湯浴み(昔は行水だったかも)をしてやっと人心地がついたのです。それが「我が身となりぬ」なんですね。さっぱりして庭にでも出たんでしょうか、その目に映った盆の月…ほら、とても心が和むでしょう。

 ※ 説明を補足します。季語としての盆の月は旧暦の「盂蘭盆」(7月15日)の満月のことで、現在の新暦のお盆が満月ということではないのです。

 後句は何の説明もいらないでしょう。「名月」が季語。この句がいつ頃詠まれたものかが知りたくて調べてみると、日記句文集『おらが春』に所収されたものでした。この本は、一茶が57才の時の一年間の身辺雑記、回想を記したもので、折りに触れての句が挿入された遺稿、彼の没後25年経って刊行されました。

 一茶の最初の結婚は52才、その時三男一女をもうけますが、全員幼くして亡くなっています。生まれてすぐに死んだ子もいますし、妻も9年後には亡くなります。2番目は半年で離婚、子供はいません。3番目は64才で結婚して一子をもうけますが、その子が産まれる前に一茶は亡くなりました。ということは、この句を詠んだときは、「名月をとつてくれろと泣く子」はもういなかったのではないでしょうか?ではどういうことなんでしょうね。これは私の想像ですが、名月を見ているとあまりにも美しいので、あの子がもし生きていたらきっと「とってくれろ」と泣いてせがんだことだろうなあ…と、子を失ったやるせない親心をまるで実在のように詠んだのではなかろうかと…。    

 ちなみに、最後の子は女の子で、46才まで生きて、その7代目の子孫が一茶の故郷長野県信濃町柏原にいらっしゃるとか。 


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