今日は六月最後の日ですね。季語に「〇〇尽」というのがありますが、それからすると「六月尽」ということになります。が、時々混乱することがあるんです。このような季語をみると、果たして陰暦か陽暦かということ。以前からこのことを疑問に思っていましたのでちょっと調べてみました。参考にしたのは、『角川俳句大歳時記』と角川書店の『新版 季寄せ』です。『角川俳句大歳時記』は解説執筆者がそれぞれ違っていますので、扱い方も違っていましたが、以下の通り。
- 「二月尽」(にがつじん)…二月の尽きること。ようやく寒気もゆるみ、春の訪れを肌で感じ始める頃。(初春の季語)
- 「三月尽」(さんがつじん)…陰暦三月(弥生)が尽き果てること。「弥生尽」(やよいじん)ともいう。陰暦では一月、二月、三月が春だった。三月は春の最後の月。そこで、行く春を惜しむ気持ちを込めてこの季語が生まれた。(晩春の季語)
- 「四月尽」(しがつじん)…これは「三月尽」の季語の傍題として掲載、春。(季寄せには単独の季語)
- 「五月尽」(ごがつじん)…「五月」の季語の傍題として掲載、夏。(季寄せのみ)
- 「六月尽」(ろくがつじん)…「六月」の季語の傍題として掲載、夏。(季寄せのみ)
- 「水無月尽」(みなづきじん)…陰暦六月の尽きること。すなわち暦の上で夏が終わること。(晩夏の季語)
- 「七月尽」(しちがつじん)…これは「水無月尽」の季語の傍題として掲載、晩夏。(季寄せにはなし)
- 「八月尽」(はちがつじん)…八月の終わることで、秋。(季寄せのみ)
- 「九月尽」(くがつじん)…陰暦九月末日をいう。明日から冬に入る九月晦日の、秋を惜しむ思いが強くこもり、春を惜しむ「三月尽」と並ぶ。(晩秋の季語)
※「十月」「十一月」「十二月」「一月」には「尽」の付く季語はない。
まとめると、「三月尽」(「弥生尽」)、「水無月尽」、「九月尽」にははっきりと陰暦と書いてありましたが、後は曖昧なのが多かったですね。でも大体が陽暦でいっているようでした。陰暦の呼称を用いれば当然間違いは起らないと思うのですが、「三月尽」と「九月尽」はそれぞれ陽暦の言い方ですので、内容は陰暦でも知らない人は間違って使う人もいるでしょう。あの「五月晴」という季語のように、読み方を「さつきばれ」と「ごがつばれ」と二通りに読んでしまうので、陽暦の5月の晴れの日だという勘違いが起きるのも仕方がありませんよ。この問題は新年の季語などにも多々見られますので、初心者を指導するときにはとても困るんです。みなさんはどう思われますか。
以前山吹のことを書いた時、「白山吹」の写真を載せましたが、もうこんな実を付けています。秋までこのままで、もっと漆黒になります。花びらが4枚なのでそれぞれに実が付いて4個とか。花言葉は「細心の注意」「気品」「薄情」。
いつも勉強させて貰ってます。
暦の件でお困りの様なので
家相で勉強した内容で私の見解を述べさせて貰います。
まず一つ大きな間違いがあります。
それは明治に改元された頃新暦が導入されました。
以後その前に使われていた暦は旧暦となりました。
ここまではご存じと思いますが、この旧暦は太陰暦でなく、太陽太陰暦を使用していました。
ですから旧暦を陰暦と表記するのは間違いです。
例えば俳句の季語で年内立春があるのはご存じでしょうが
これは年が明けない内に立春になるという事です。
これは、普段の生活は月の満ち欠けを基準とした陰暦を使用してました。
ところが日本は農耕民族でこの陰暦では農作業はで来ません。
そこで立春から始まる24節気72候を利用してました、
これが太陽高度を利用した太陽暦で季節をあらわします、
これは縄文の遺跡からも二至二分を利用していた形跡が見られます。
24節気はご存じのとおり立春・雨水・・・と続きます、これで偶数番に来る節気を含んだ月をその月として順番に並べたのです。
つまり雨水を含んだ月は一月・啓蟄・春分と来ますから春分を含んだ月は二月となります、
太陰暦の場合閏月が有ります、これは一年が十三ヶ月あります。よって12しかない二十四節気の偶数番目を含まない月が有ります
これをその前の月に閏を付け。例えば閏5月としました。
ですから季節を表す場合は二十四節気を基準にすると分り易いと思います。
よって立春から啓蟄の前日までが一月(睦月)です。これを区別するために1月節ともいいます。
これですと季語にピッタリ当てはまるはずです。
明治以降新暦で作られた物は別ですが、これの1月節、二月節、三月節が春です。
したがって六月尽は立秋の少し前にあたります。
以上、もしよろしかったら参考にでもして下さい。
早速のコメント有り難うございます。それもこんなに詳しく教えて頂いて…感謝です。
暦も奥が深いですね。あの二十四節季というのも中には分るものもありますが、はっきり理解できていないものも多いです。やはり農耕民族としての農作業の基盤がそこにあったのでしょうから、それを大事にした暮しが、そういう季語を使うときには見えないといけませんね。
またいろいろ教えてください。