柏からイタリアニュース

イタリアの今をイタリアメディアの記事からお届けします。

イタリア統計年鑑が発表されました。

2016-12-30 14:53:48 | 社会
La Stampa 2015/12/29より

Istat, Italia sempre più un Paese di anziani

ISTAT(イタリア統計局)の最新データが発表された。

老年人口動向
2015年12月31日現在若者100人に対し老人161.4人と前年の157.7人より増えている。これより老年人口比率が高いのは欧州ではドイツだけ。地域で見ると、もっとも老年人口比率が高いのはリグーリア州で266.5人、もっとも低いのがカンパーニア州の117.3人だ。どちらも前年より増えている。
(訳者注:若者、老年の定義がわからないのでいささかわかりにくい記事です。)

出生率
修正率は下がり続けている。2016年(統計局の年範囲が不明だが)の出生数は50万人を切り、485,780人だった。出生数と死亡数の差はマイナス161,791人となっている。2015年末の人口は60,665,551人であり、この差の結果と言える。死亡数は前年比で49,207人増えている。平均寿命はこれまで増え続けていたが頭打ちとなり、男性は80.1歳(前年80.3歳)、女性は84.7歳(前年85.0歳)だった。

市町村数(Comune)
市町村数は8000を下回り、7,999市町村だった。これは1961年以来の国勢調査で最低の数だ。またその7割が5000人を下回る人口だ。政治的な公費抑制傾向のため、市町村数はこれからも減少すると考えられる。

保健衛生
イタリア人の3分の2は健康だと答えている。特に北イタリアでは70.1%が健康と答えている。しかし、実際には39.1%が少なくと1つ以上の病気を持っている。一番多いのがl'ipertensione高血圧症(17.4%), 次いで l'artrosi/artrite関節症(15.9%), malattie allergicheアレギー症状(10.7%)だ。健康だと答えるのは男性が多く73.9%で女性は66.4%。この傾向は45歳時から変わらない。

犯罪
殺人事件、強盗事件は減った。特にマフィア関連の殺人事件が減った。但し、数の上では減ったが、犯罪リスクはむしろ高まっている。2014年犯罪件数は2,812,936件(前年比マイナス2.7%),殺人事件はマイナス5.1%, 内マフィア関連はマイナス13.5%で2004年から2014年の10年間で最も少なかった。性的暴力事件マイナス5.1%, 性関連犯罪マイナス6%, 強盗事件マイナス10.3%だった。一方、窃盗事件はプラス1.2%, 特に強要(ゆすり)事件は19.4%増だった。

教育
5年連続して生徒数は減少しているが、教育レベルは上がっている。小中学教育はほぼ100%、高等学校の就学率は93.1%で、その他の教育機関も入れれば98.8%だ。イタリア人全体の教育レベルも上がっており、2015年時点でイタリア人の35.6%が高等学校卒業レベルだ(2014年も同様)。大学卒業レベルも13.1%(前年12.7%)に上昇した。

労働
就業人口は前年比18.6万人増だった。とは言え、昨年実績は2008年時点に比べても62.6万人少なかったので喜んでもいられないが。就業人口が2008年時点より増えているのはサービス部門だ。就業者の内訳では、女性プラス4.7万人(0.5%増)、男性プラス13.9万人(1.1%増)これら増分の半分は南部地域で(プラス9.4万人)、経済危機時に最も影響を受けた地域でもある。

余暇
2016年過去10年で最も文化的支出が増えた。各種博物館や考古学博物館の入場者が増加、映画館、劇場、コンサートなど出費が増えた。但し、全体的にはこのような文化や余暇への出費は全出費の7%を若干きる程度で安定している。

交通
仕事に行くための個人の手段として最も多いのは自動車やバイクだった。2016年イタリア人の68.9%が利用しており、自動車の場合、学生の37.3%が使っている。自動車数は37,351,233台に上り、イタリア人の10人に6人が利用していることになる。自動車登録数を州ごとに見ると、ロンバルディア州が1番で15.9%を占め、その次がラツィオ9.9%、カンパーニア9%と続く。

(原文)
http://www.lastampa.it/2016/12/29/economia/istat-italia-sempre-pi-un-paese-di-anziani-hPz0Qt6PHtKhORehTmWkfJ/pagina.html

クリスマス明けのイタリアは全国的に良い天気!!

2016-12-28 12:25:53 | 社会
La stampa 2016/12/28より

Caldo anomalo in tutta Italia, battuti i record storici del mese di dicembre


21 gradi a Genova, complice la Tramontana, 19 a Bergamo e a Milano, con 20 gradi, è stato eguagliato il record storico del 1979 per il capoluogo lombardo

イタリアは全国的に異常なほど暖かな陽気に。昨日各地の陽気は12月としては歴史的な高い気温となった。
ジェノバ 21度、ベルガモ 19度、ミラノ 20度。ロンバルディア州都としては1979年の記録と並んだ。

気象予報士によれば、アルプスの山越えの北東寄りの風でフェーン現象によるものとのこと。1,000メートル上空の気温さえ15度。
この結果、明るい、青空の広がる春の陽気となった。
ミラノリナーテ20度。これは1979年の記録と並ぶ気温だ。トリーノ15度、ボルツァーノ16度。
しかし、この陽気も続かない。28日から30日の間に寒さが戻ってくると予想され、特にアドリア海に面した中部および南部イタリアでは寒くなりそうです。春の陽気となった各地も例年の寒さが戻り、この陽気から8度から10度下がると予想されます。


(原文)
http://www.lastampa.it/2016/12/27/italia/cronache/caldo-anomalo-in-tutta-italia-battuti-i-record-storici-del-mese-di-dicembre-5RLw04fHZf3FB9Zu7RB6uK/pagina.html

ベルリンテロ被害者のFabriziaの葬式が行われた

2016-12-26 22:54:03 | 社会
La Stampa 2016/12/26より

L'ultimo saluto di Sulmona a Fabrizia Di Lorenzo.
Il vescovo: “Violenza è profanazione del nome di Dio”
Sulmonaの街からFabriziaへ最後のお別れ
Sulmona教会の司教は《暴力は神の名を汚すもの》と怒り



25日Abruzzo州Sulmonaの教会(Duomo)で、ベルリンのクリスマスマーケットでのテロ事件で亡くなったFabrizia Di Lorenzoの葬式がしめやかに行われました。式にはSergio Mattarella大統領とMarco Minniti内務大臣も参加しました。

[速報]ベルリンのテロ事件容疑者がミラノで射殺される

2016-12-23 19:59:46 | 社会
Corriere della sera 2016/12/23より



23日未明(午前3時)ミラノ、Sesto Sangiovanniでベルリンのテロ事件の容疑者でチュニジア人のAnis Amri容疑者が通常パトロール中の警察官により射殺された。通常パトロールの2人の警察官が夜道をひとりで歩くマグレブの若者に職務質問をし、身分証明書の提出を求めたところ、突然、バッグから拳銃を出し発砲。一人の警察官は肩を打たれ、もう一方の警察官が応戦して犯人を射殺した。この警察官は9ケ月の見習い中だった。

使われた拳銃は、ベルリンのテロ事件で使われたトラックのもともとのポーランド人運転手が殺されたときのものと同一であった。また身元も指紋によりすぐに確認された。所持品の中には電車の切符もあり、それにより、ベルリンからの動向もわかった。それによれば、フランスのChamberyを出発し、トリーノ経由でミラノに着いたものと思われる。ミラノの中央駅に着いたのは深夜1時。従って、ミラノについてからわずか2時間で射殺されたことになる。テロ対策専門官によれば、容疑者は南イタリアに行こうとしていたと思われる。

Amri容疑者が初めてイタリアに着いたのは2011年Lampedusa島でその後Belpassoに移送された。2つの街では言い争いが多いことで目立つ存在だった。結局、器物損壊、放火、傷害、脅迫などの罪で、各地(CataniaからEnna、SciaccaからAgrigento、PagliarelliからUcciardone di Palermo)で拘置された。すなわち、有罪判決を受けてもいつも嫌疑不十分で出てはまた犯罪を犯すという4年間だった。

(原文)
http://milano.corriere.it/notizie/cronaca/16_dicembre_23/sparatoria-sesto-san-giovanni-killer-ucciso-grave-poliziotto-87f8ddf2-c8da-11e6-bac6-8c33946b31a6_preview.shtml?reason=unauthenticated&cat=1&cid=7MG1fI3F&pids=FR&origin=http%3A%2F%2Fmilano.corriere.it%2Fnotizie%2Fcronaca%2F16_dicembre_23%2Fsparatoria-sesto-san-giovanni-killer-ucciso-grave-poliziotto-87f8ddf2-c8da-11e6-bac6-8c33946b31a6.shtml

ベルリンのテロ事件でイタリア女性も犠牲に

2016-12-21 23:49:31 | 社会
Corriere della sera 2016/12/20より

«Vado al mercatino più bello»
L’ultima passeggiata di Fabrizia
「一番綺麗なクリスマスマーケットに行って来るわ。」それが彼女の最後の外出になった。
Fabrizia Di Lorenzo(31歳、Abruzzo州Sulmona出身)がベルリンで起きたトラック事故でなくった。



19日のベルリンのテロ事件にイタリア女性Fablizia Di Lorenzo 31歳も巻き込まれ亡くなった。
「彼女はいつものようにここから出かけていった。」しかし、あの日はいつもの夜とは別だった。4FLOW(勤めていた会社)のホールでは電話がなり、木張りの床はギシギシとなる。彼女の同僚たちは音をさせずに歩いている。まるであのクリスタルの夜だ(1932年ドイツで起きたナチスの謀略事件) 誰もが目を赤くしている。彼らが彼女を最後に見たのは月曜日の日、出かけるところだった。会社受付の机の上には、ニュースレターの2ページが開かれ、2016年ドイツ物流賞を取ったときに表彰記念をみんなで手で持ち上げている(慣例のポーズ)写真が出ている。切ない写真だ。その中でもFabriziaはもっともかわいく、もっともエレガントな装いだ。輝く上着、ちょっとヒールの高い靴、手には黒の小さなハンドバッグ。「すばらしい女の子だったわ。」受付の女性が語る。「いまはただ静かに彼女のことを思いたい。」とこの運送会社の社長、Stefan Wolffも動揺を抑えるように語る。

《最も綺麗なクリスマスマーケット》
彼女、Fabrizia Di LorenzoがHallesrstrasseの角を抜け、イタリアを思い出すために時々通っていたイタリアレストランの前を通り過ぎたとき、彼女は友人たちに言った。「これからWeinachtmarkt に行くの。最も綺麗なクリスマスマーケットの1つなんだよ。」きっと誰かと待ち合わせていたのだろう。故郷のAbruzzoに住んでいたものには心地よい冷たい空気。Spreaの街を見ながら、「この場所がとっても好きなの。」彼女はしばしば手すりに寄りかかりながら、ベルリンビールを手にBadeschiffのアレーナを見ていたものだった。どれほど彼女はこのベルリンの町を好きだったか、あのトラックが彼女に襲い掛かるまでは。

《Fabriziaの父》
娘の事故を最初に知ったのはその父だった。Sulomonaの自宅でTVを見ていたときに緊急速報でベルリンの事故を知った。事故のあったCharlottenburgの街はまさにFabriziaが働いている街。嫌な予感にすぐに電話をするが誰も出ない。何度電話しても呼び出し音だけ。最後にようやく出たのはドイツ語の声だった。「私たちが彼女の死を知ったのは深夜1時半。妻と彼女の恋人がドイツにちょうどつく時間でした。私たちは息子がDNA鑑定の結果を待っている外務省(la Farnesina)に電話をしました。彼女になにが起きたかについて幻想を抱くつもりはありません。疑いようがないのです。」外交官のPiero Benassiは遺体安置所で彼女の家族による遺体確認の世話をしている。ローマの検察はすでに動いており、記録もできている。《名前はDi Lorenzo》ただし、冷蔵装置に入った8つの身体部分は手足の区別も出来ない状態だ。《今朝Fabriziaは仕事に来なかった。》そう語る4Flow(彼女の勤め先)の幹部の声も低い。

《親戚、友人、知人の話》
いとこのEmilianaの話:《彼女は木曜日にAbruzzoに帰ってくるはずだったの。そして大晦日はベルリンでみんなで祝おうと。だけど少し怖かったの。この事件の多い時期は止めといた方がいいんじゃないかな。。。と兄たちも言っていたの。》 友人のGiovanniの話《とても優秀な女性でした。》
同僚のAndreasの話《彼女と一緒に働けるのは本当に楽しかった。》社長のStefanの話《厳しい選考で採用された優秀な女性でした。》Charlottenburgの街で、この31歳の女性はイタリア、ドイツ、スペイン、フランスを結ぶ物流の仕事をしながら、自分が勉強してきたことをやっと活かすことのできる仕事を見つけ、親にとってもそれは誇りだった。また彼女はブログで、イタリア人としてまた異国の人間としてなにを感じているかを発信していた。そして最後のブログが残ったままとなっている。それはRenzi前首相を支持する言葉だった。先の国民投票が否決されたことについて、La meglio gioventu’の映画の中の一説を引用して《Peccato presidente(かわいそうな大統領)》《イタリアは動かず、なにも変わらず、死滅していく恐竜のようなもの。》と書いた。動かないイタリア。でも彼女は違った。ベルリンの彼女はいつも情熱的に活動していた。また、ジャーナリストの一面もあった。Berlino Magazine誌でいくつかの記事も書いていた。《もしも若者がイタリアから抜け出してきたなら、それはなにか今までとは違うことをしたいから。もしもなにか学びたいとか向上したいとかの気持ちがあれば、それはもう正しい道にいるのだ。》今日はもう暗くなり、4Flowのオフィスも電話はもうつながらなくなる。明日もまた仕事がある。しかしイタリア人のグループには少し心を休める時間が与えられるだろう。《今は従業員すべてにとって悲しいときだ。とりわけ、イタリア人の仲間たちにとっては。》と幹部のHerr Wolffは語った。

<原文>
http://www.corriere.it/esteri/16_dicembre_20/vado-mercatino-piu-bello-l-ultima-passeggiata-fabrizia-5fd6f8e4-c705-11e6-84f8-50724e442573.shtml