Il Giornale 2020.08.28
POLITICA /
Andrea Muratore記者
28 AGOSTO 2020
日本の安倍首相が8年間続いた政権からの退陣を表明した。理由は17歳の時からの持病の潰瘍性大腸炎からくる健康面の不安とされる。ここ数日、数週間前より慶応病院を訪れ健康調査をしたというニュースが流れていた。
首相の個人的な健康状態は過去三回の選挙を勝ち抜けてきたが、自身が先導する自民党党首としてのリーダーシップが問われる多くの問題を切り抜けることはできなかった。2012年12月2日から続いた日本の政治的な日程と政府の活動に対する権能は安倍首相から失われた。
安倍首相は1954年9月、東京で、当時からすでに国会議員であった安倍晋太郎の息子として生まれた。晋太郎は80年代に外務大臣、その父(安倍首相の父方の祖父)は代議士の安倍寛、母方の祖父は岸信介。岸は1957年から60年まで首相を務め、その強いリーダーシップのもと、日本の政治的な体制を変える数々の重要な政治決定を行った。
安倍は、戦争での敗北によってもたらされた制度的、憲法的枠組みを根底から見直そうとする動きに焦点を当てながら世界的な流れの中で、日本の戦略的、経済的な繁栄を再びもたらすことができる極端に野心にあふれた政策綱領を築いた。厳格な保守主義者であり、中道右派の党で最も厳格なグループのメンバーである安倍は、国会に、それまでの首相が長い間、極端に走らない枠組みで国の経済的、物質的な繁栄の維持に努めてきたのに対し、より総合的な戦略的な主張を持ち込んだ。
安倍は日本会議のメンバーでもある。日本会議は日本という国のシステムにおいて国家的な自尊心と国民としての意識を目覚めさせ、皇室の政治的な位置づけを新たに評価付け、世界大戦後の精神的、物質的な負の遺産を乗り越えることを目指している。安倍は政治的な提言の中で彼のビジョン(目標とする世界観)を示した。安倍の見据える先を理解するためには彼の未完の仕事から始めるのがいいだろう。安倍は総理在職の8年間、1945年に連合国に敗れたのち起草された憲法9条の平和条項の排除を求め続けた。国際的な前線におけるより明確な戦略を正当化するための制度的な仕切り、軍事的威嚇力の強化、戦争以来日本にはなかった愛国的表現の呼び戻しなど。日本の国のような、長い間広く安定した社会でほとんどユートピアであったことは客観的に認められるが、安倍の二面的な考えがあることも確かだ。理想主義と現実主義のぶつかり合い、彼の時代を輝かしいものとして読むと同時にイデオロギー的に真に確信的である強さを持った人間。あるいくつかの見地から見て、そしてそれぞれの個別の要因を考えるに、前任者の国家デザインとはどれだけ異なるかという点において、安倍の性格は、中国の習近平とそれほど違わないように思える。
安倍はともかく日本の軍事力で国際的な取り組みに参加できる可能性を切り開いた。こうして中国とは競い合い、米国とは同盟を組んで、日本は外交的な幅を自律的に持つことができ(世界規模の経済プロジェクトやインドやオーストラリアとの同盟関係など)、独立した一国としての地位を取り戻すことができた。しかし、明仁天皇の退位の後、より際立った政治的な役割を担うように新天皇の徳仁に対してかけた圧力はほとんど功を奏さなかった。「秩序と調和」、これは徳仁の時代に当てられた令和という言葉の意味だが、安倍の政治的な理想と結局は重なることがなかった。
経済では、安倍は伝統的な厳格な方針や同党のネオリベラリストの考えを壊して、アベノミクスという大幅な緩和政策、すなわち、日本銀行の予算を拡張し、国に支えられた成長と投資のレベルを引き上げるために公的支出を増やしファイナンスするというウルトラ・ケインズ主義政策を推し進めた。この政策は日本の公的債務のサステナビリティを引き上げはしたが、日銀の債務は増えた。同時に量的緩和のすべての典型的な問題の影響を受けた。それは行き過ぎた財務政策だ。「たとえ日本における民間投資が最近増えていたとしても、事業者は改革が進んだ割にその投資はとても少ないという事実は、アナリストたちに共通した認識だ。」とISPI(International Society for Performance Improvement:国際生産性向上研究会)は注意を促す。民間会社の記録的な利益にもかかわらず、この6年間、投資はわずかに増えただけ。民間給与は予測された上昇もいまだ実現していない。これらのことが着手した改革の持続性に益々不安を引き起こした。安倍は長期政権のなかでマネタリーベースの拡大のための政策を進めた。そうした政策とは、中間層の税負担を37%から32%へ減らしたこと(将来的な目標は30%としつつ)、限定的分野で外国人労働者の受入を進めたこと、人口減少を反転させることだった。
そのようなプロジェクトは、退任の後は、後任、おそらく首相経験があり、2012年以来財務省の皇帝の地位にある麻生太郎にそのまま残されるのだろう。麻生はカトリック信者で現在79才。長期政権で安倍が進めた政策の番人だ。同党の中でも特に安倍の考えをもっとも強く支持している。麻生が後継かどうかは分からないが、継続性という点で起こりえることだ。但し、安倍ともっとも内気な麻生というカリスマ性の違いはあるが。いずれにせよ、安倍がこれまで描いてきた政策方針が変更されることはないだろう。
(本文)
https://it.insideover.com/politica/abe-si-e-dimesso-cosi-ha-cambiato-il-giappone.html?utm_source=ilGiornale&utm_medium=article&utm_campaign=article_redirect
POLITICA /
Andrea Muratore記者
28 AGOSTO 2020
日本の安倍首相が8年間続いた政権からの退陣を表明した。理由は17歳の時からの持病の潰瘍性大腸炎からくる健康面の不安とされる。ここ数日、数週間前より慶応病院を訪れ健康調査をしたというニュースが流れていた。
首相の個人的な健康状態は過去三回の選挙を勝ち抜けてきたが、自身が先導する自民党党首としてのリーダーシップが問われる多くの問題を切り抜けることはできなかった。2012年12月2日から続いた日本の政治的な日程と政府の活動に対する権能は安倍首相から失われた。
安倍首相は1954年9月、東京で、当時からすでに国会議員であった安倍晋太郎の息子として生まれた。晋太郎は80年代に外務大臣、その父(安倍首相の父方の祖父)は代議士の安倍寛、母方の祖父は岸信介。岸は1957年から60年まで首相を務め、その強いリーダーシップのもと、日本の政治的な体制を変える数々の重要な政治決定を行った。
安倍は、戦争での敗北によってもたらされた制度的、憲法的枠組みを根底から見直そうとする動きに焦点を当てながら世界的な流れの中で、日本の戦略的、経済的な繁栄を再びもたらすことができる極端に野心にあふれた政策綱領を築いた。厳格な保守主義者であり、中道右派の党で最も厳格なグループのメンバーである安倍は、国会に、それまでの首相が長い間、極端に走らない枠組みで国の経済的、物質的な繁栄の維持に努めてきたのに対し、より総合的な戦略的な主張を持ち込んだ。
安倍は日本会議のメンバーでもある。日本会議は日本という国のシステムにおいて国家的な自尊心と国民としての意識を目覚めさせ、皇室の政治的な位置づけを新たに評価付け、世界大戦後の精神的、物質的な負の遺産を乗り越えることを目指している。安倍は政治的な提言の中で彼のビジョン(目標とする世界観)を示した。安倍の見据える先を理解するためには彼の未完の仕事から始めるのがいいだろう。安倍は総理在職の8年間、1945年に連合国に敗れたのち起草された憲法9条の平和条項の排除を求め続けた。国際的な前線におけるより明確な戦略を正当化するための制度的な仕切り、軍事的威嚇力の強化、戦争以来日本にはなかった愛国的表現の呼び戻しなど。日本の国のような、長い間広く安定した社会でほとんどユートピアであったことは客観的に認められるが、安倍の二面的な考えがあることも確かだ。理想主義と現実主義のぶつかり合い、彼の時代を輝かしいものとして読むと同時にイデオロギー的に真に確信的である強さを持った人間。あるいくつかの見地から見て、そしてそれぞれの個別の要因を考えるに、前任者の国家デザインとはどれだけ異なるかという点において、安倍の性格は、中国の習近平とそれほど違わないように思える。
安倍はともかく日本の軍事力で国際的な取り組みに参加できる可能性を切り開いた。こうして中国とは競い合い、米国とは同盟を組んで、日本は外交的な幅を自律的に持つことができ(世界規模の経済プロジェクトやインドやオーストラリアとの同盟関係など)、独立した一国としての地位を取り戻すことができた。しかし、明仁天皇の退位の後、より際立った政治的な役割を担うように新天皇の徳仁に対してかけた圧力はほとんど功を奏さなかった。「秩序と調和」、これは徳仁の時代に当てられた令和という言葉の意味だが、安倍の政治的な理想と結局は重なることがなかった。
経済では、安倍は伝統的な厳格な方針や同党のネオリベラリストの考えを壊して、アベノミクスという大幅な緩和政策、すなわち、日本銀行の予算を拡張し、国に支えられた成長と投資のレベルを引き上げるために公的支出を増やしファイナンスするというウルトラ・ケインズ主義政策を推し進めた。この政策は日本の公的債務のサステナビリティを引き上げはしたが、日銀の債務は増えた。同時に量的緩和のすべての典型的な問題の影響を受けた。それは行き過ぎた財務政策だ。「たとえ日本における民間投資が最近増えていたとしても、事業者は改革が進んだ割にその投資はとても少ないという事実は、アナリストたちに共通した認識だ。」とISPI(International Society for Performance Improvement:国際生産性向上研究会)は注意を促す。民間会社の記録的な利益にもかかわらず、この6年間、投資はわずかに増えただけ。民間給与は予測された上昇もいまだ実現していない。これらのことが着手した改革の持続性に益々不安を引き起こした。安倍は長期政権のなかでマネタリーベースの拡大のための政策を進めた。そうした政策とは、中間層の税負担を37%から32%へ減らしたこと(将来的な目標は30%としつつ)、限定的分野で外国人労働者の受入を進めたこと、人口減少を反転させることだった。
そのようなプロジェクトは、退任の後は、後任、おそらく首相経験があり、2012年以来財務省の皇帝の地位にある麻生太郎にそのまま残されるのだろう。麻生はカトリック信者で現在79才。長期政権で安倍が進めた政策の番人だ。同党の中でも特に安倍の考えをもっとも強く支持している。麻生が後継かどうかは分からないが、継続性という点で起こりえることだ。但し、安倍ともっとも内気な麻生というカリスマ性の違いはあるが。いずれにせよ、安倍がこれまで描いてきた政策方針が変更されることはないだろう。
(本文)
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