Corriere della sera 2018/02/03
La strage del Cermis, 20 anni dalla tragedia della funivia Foto | Video
それは1998年2月3日、北イタリアのスキーリゾートのカバレーゼにあるチェルミス山につながるロープウェーで起きた。Avianoをベースにする米海軍の飛行機(4人が乗務)がロープウェーのロープを切り、載っていた乗客20人全員が死亡した。
20人の犠牲者の内訳は、イタリア人3人、ドイツ人7人、ベルギー人5人、ポーランド人2人、オランダ人1人。乗客は全員死亡し、生存者はいなかった。1998年2月3日15時13分、米海軍所属のジェット機(Grumman EA-6B Prowler)が、公式にはアルプス上空の訓練飛行中だったとの事だが、カバレーゼのチェルミス山をつなぐロープウェイのロープを切ったため、乗客20人を乗せたキャビンは7秒後墜落したのだ。ジェット機は(前部座席にRichard Ashby(機長)、Joseph Schweitzer(パイロット)の2名、後部座席に電子戦システム担当のWilliam Rancy とChandler Seagravesが乗務していた)、Aviano基地から発進したもので、当時Aviano基地はコソボ紛争時に訓練基地として使われていた。AshbyとSchweitzerは飛行規則に反して、高速低空飛行をしていたが、その際機中にプライベートな撮影のためのビデオカメラを持ち込んだいたのだ。これは事件から数年後に機長が告白している。
Il tentativo di depistaggio警察の追及をまく
このチェルミスの事件は今でもイタリアの歴史の中でもっとも疑惑の残る事件のひとつだ。イタリアと米国の外交上の問題となった事件としては、1985年のSigonellaの事件に次ぐものだ。なぜならパイロットが飛行規則を無視したことによる事故であることは明らかだからだ。当時、厳密な調査で事実が判明していたにもかかわらず、遅ればせながらパイロットは罰せられたものの、20人の死亡事故に対してその判決は軽いものだった。一方、当のジェット機は、事故の際ダメージが大きかったにもかかわらず、事故現場から90キロに位置するAviano基地に戻っている。トレント警察は機体に残ったケーブルの破片を詳細に調査した後、機体を押収した。そのとき、警察の捜査をまくような疑惑に充ちた試みを避ける思いがけない動きがあった。我が国の歴代の首相が4人の乗務員の捜査権をイタリアが持つことを主張したが、その請求はNatoにおける米軍の地位に関する1951年のロンドン協定に基づいて、トレントの予審判事によって拒否されたのだった。
Le indagini sul caso事件の調査
事件から4日後、米国大統領のビル・クリントンは、事件の責任の究明のため、捜査することを宣言した。しかし、それに先立って行われた、当時のイタリア首相、Romano Prodiとの会談で、クリントンはAviano基地の閉鎖の可能性を示唆された。結果、事件の捜査担当として、海軍犯罪調査部のMark Fallonが任命された。FallonはCavaleseの住人の家を一軒一軒回り、事件に関する証拠品を探し回った。海軍トップであるMike DeLongは捜査に海軍の調査団を投入することを決め、最終報告書が作成された。報告書では、事件の責任は機長とパイロットにあり、後ろの席にいた2人は、業務上の命令下にはなかったこと、および機長とパロットのやり取りは見えなかったことから無罪となった。裁判は海軍のイメージを傷つけまいと、北カロリナの米軍キャンプのCamp Lejeuneで行われた。
Le conclusioni degli investigatori 調査結果
被告人4人の弁護人の主張は、事故機の高度計が壊れていて、規定の高度以下になっていることの警告がなかったことを基礎に置いていた。本来の規則では、最低高度と最高速度はそれぞれ305メートル、830キロだ。調査担当のFallonはこの証言の正しさを確認するため、ジェット機が極端に低高度で飛んでいたのを見たという目撃者を尋問した。また、被告人の証言で壊れていたという計器も壊れていないことを確認した。それどころか飛行記録には、機長のアシュビーが何度も最高速度違反をしていることが判明した。また、機内に業務外のビデオカメラがあったことも判明。しかし、そのカセットには何の録画も残っていなかった。
La questione dei risarcimenti 賠償問題
飛行中にビデオ撮影していたこと、それを事件当日に機長のアシュビー自身が何も撮影されていない空のカセットに置き換えたことのように、被告人2人を有罪にする決め手となる証拠を握りつぶし、破壊しようとしたことは明らかだった。しかし、裁判所は地図にロープウェーの記述がなかったこと、従って、飛行速度の減速の必要性も知らなかったという弁護を承認し、1999年の3月に無罪を下した。1999年5月にあらたに米国軍法会議で裁判妨害(無謀な飛行を記録した証拠媒体の破壊した)の罪を問う裁判が行われ、有罪、降格、謹慎の処分が決定された。この結果、機長は6ケ月の拘留となったが、態度良好の理由で4ケ月に短縮された。被害者家族への補償は当初ワシントン政府が総額40百万ドル負担することとなったが、トレント県とイタリア政府が一時立替えることになった。その後、Natoの相互協定により、その他の国々が立て替え金の75%を負担するにとどまった。
L’inchiesta del National Geographic
ナショナル・ジオグラフィック誌の調査
2012年1月号のナショナル・ジオグラフィック誌がこの悲劇にあらたな光を与えた。パイロットのシュバイツァーが証拠品のテープを破壊したという告白のビデオの存在を明かしたのだ。彼らは笑いあい、山々やガルダ湖のすばらしい景色をビデオに撮っていた。飛行機が規則外の高度とスピードで飛んでいるときもアルプスの山々を取るためにビデオをまわし続けていた。パイロットにとって米国に帰還する前の最後の飛行であり、ビデオは土産にするつもりだったのだ。彼は私たちにたくさんの人を死なせたことを語り、赤子のように泣き崩れた。「私はどうして自分が生きているのかと自問しました。私はカセットを破壊した。私はCNNでカセットの中の自分の笑っている様子や犠牲者の血を見たくなかったのです。」 最終的にこの事件は弁護側の勝利に終わったが、米海軍の乗務員訓練における問題(低高度の飛行制限が飛行情報として最新化されていなかったこと)の責任とされた。機長のアシュビーはこの大事故については無罪となったものの、カセットテープの破壊について、裁判妨害の罪で6ケ月の拘留となり、パイロットのシュバイツァーは海軍を不名誉除名となった。
(原文)
http://www.corriere.it/cronache/18_febbraio_03/strage-cermis-20-anni-tragedia-funivia-39dcac0c-08c6-11e8-8b93-b872f63dbb4d.shtml#commentFormAnchor