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身元隠してマフィアと戦い続けた女性、議員になって素顔を見せた

2020-05-15 09:44:46 | 国外記事
Asahi Shinbun Grobe(5月1日付け)より転載

身元隠してマフィアと戦い続けた女性、議員になって素顔を見せた
https://globe.asahi.com/article/13339759

イタリア下院の議員室から出るピエラ・アイエッロ=2020年2月26日、Giovanni Cipriano/©2020 The New York Times

欧州各国の選挙では、候補者は男女を問わずポスターやパンフレット、ソーシャルメディアの宣伝に自分の顔を必ず入れる。しかしピエラ・アイエッロはそうしなかった。イタリアの反体制派市民政党「五つ星運動」の下院議員になった彼女は、顔をいっさい出さずに選出された。

顔を出さなかった理由は、シチリア生まれの彼女が「反マフィア」の証人になったからだ。アイエッロは1990年代初めにマフィアの犯罪を証言。以後28年間、同国の「証人保護プログラム」の保護下で生きてきた。この間、彼女はイタリア本土の秘密の場所で偽名を使っていたが、2018年の総選挙の際、「五つ星運動」から本名を名乗って立候補するよう誘われた。彼女はそれを受け入れ、「顔なし」を条件に立候補して当選した。投票の後、彼女は初めて公衆の前に顔を見せた。

今日、彼女は厳重な警備下にあるローマの国会議事堂にいる時以外、どこに行くにも警官の護衛を受けている。再婚して3人の娘がいる。日々の仕事には反マフィア法案作りがある。幾多の個人的体験を活用して、危険にさらされている人びとの保護にも努めている。保護活動の対象は2通り。一つは反マフィアの証言をしている一般市民たち。もう一つはマフィアの脅迫に抗議の声を上げた起業家で、仕事を邪魔されたり倒産に追い詰められたりする危機感に直面している人たちだ。
「マフィアは1990年代から変わってきた」。ローマの議員室からアイエッロは電話インタビューに答えてそう語った。「それまでは、もっと地域的な組織だった。しかし、今日ではいくつものマフィアが組織を近代化し、イタリアを越え世界中に手を広げている。それだけ経済的利益も大きく見込めるようになった。経済的な利益がマフィアの活動の主流になってきたのだ」

「マフィアは普通の人たちには以前より見えにくくなっているかもしれない。だが、見えにくいからこそマフィアがのさばっている。マフィアは見つけにくいところに隠れているのだ」と彼女は言った。「最新のテクノロジーを使って、彼らは国際的な資金移動や資金洗浄や租税回避にかかわっている」

アイエッロはシチリア・トラーパニ県のパルタンナで生まれた。同地は現在もマフィアの拠点の一つだ。彼女の家族はしかし、マフィアとのかかわりは一切なかった。ただし、それも彼女が14歳の時までの話だ。その頃ニコロという10代の少年が彼女に好意を寄せた。彼女の父はれんが職人で、ピエラともう一人の娘に対しては過保護といえるくらい厳しく、結婚前の男女関係も戒めていた。父はニコロとのデートを許さなかった。ピエラの評判を落とさないために、彼女とニコロは婚約した。両家の付き合いが始まった。

どういうわけかニコロの家族は「私の家族と違っていた」。彼女は当時を思い返して言った。「彼の父ドン・ビート・アトリアはすべてを自分で決定した。私が彼らとたまに外出すると、人々がその父に寄ってきて『あなたの手にキスを』と言う。典型的なマフィアの表現だった。私はまだ若い少女だったが、それほど愚かではなかった。私は疑い始めた」
しばらくたって、彼女は将来の義父のところに行き、「マフィアのボスなのか?」と率直に尋ねた。彼ははっきり否定した。だが、彼女は納得せず、婚約を解消した。すると2、3時間も経たないうちにドン・ビートが彼女の前に現れ、こう告げたのだった。「あなたは何でも好きなようにすることができる。しかし、早晩私の義理の娘になるだろう」

「要するに私を脅したのだ。もし私が彼の息子と結婚しなかったら、彼は私の家族を殺すだろう、と。当時は、それがごく普通のことだった」。アイエッロはそう語った。18歳になっていた彼女は、家族には内緒でニコロと結婚することにした。いずれ状況は改善されるだろうという期待もあった。だが、結婚式から8日後、義父となったドン・ビートが殺された。
「悪夢の始まりだった。というのも夫が復讐(ふくしゅう)を誓ったからだ」とアイエッロ。彼は父を殺した犯人を追って犯罪集団の間を動き回るようになった。ドン・ビートの殺害から4年後、夫は複数の殺人犯を突き止めた。アイエッロが22歳の時で、2人の間には一人娘がいた。
敵はしかし、夫を先に仕留めた。「彼らは、私たちが経営していたピザ店で、私の目の前で彼を撃ち殺した」とアイエッロ。彼女は夫を射殺した犯人たちをはっきり覚えている。店の中に2人、外に2人いた。夫と過ごした4年間、夫の殺害以外に幾多の犯罪を目撃する羽目に陥った。いずれも決して認めることができない犯罪だった。だからこそ、彼女は反マフィアの証人になることを決意し、すべての犯罪集団を当局に告発することにしたのだった。

彼女の活動を支えたのは、パレルモ(訳注=シチリア島の中心都市)を拠点にマフィア撲滅に生涯をかけた治安判事のパオロ・ボルセリーノだった。そのボルセリーノも92年7月、車に仕掛けられた爆弾で暗殺された。
アイエッロが反マフィアの証人として動き出した最初の数年間は、今思い返しても「重苦しかった」という。「悪事をはたらいた人たちを当局に告発しなければならなかった。裁判所で証言したことを裏付けなければならなかった。突如として、武装警備された生活を送ることになり、身の安全を確保するために居場所を変えなければならなくなった」。彼女の証言は何人の逮捕者につながったのか?
「かなりの数だ。何人が刑務所入りしたのか、私は聞こうともしなかったから正確には数えていない。私はそんなことには関心がない。私の関心は、公正な裁きに協力することだけ」。彼女はそう言った。
偽名を使い、身元を隠し、人に語れるような仕事もせず、政府の給付金で暮らすようになってから5年の後、彼女は当局に就労を願い出て、畑でトマトとオリーブを摘む仕事に就いた。

政府の施しで暮らすのではなく、働いて生きたい。彼女はその後、一つの事業を始めた。
2015年、彼女は行政事務の仕事に就いた。イタリア政府が反マフィアの証言者を募り、彼らの生活を国家保護下で守る立法措置「証人保護プログラム」のロビー活動や措置の順守を促す仕事だ。それから3年後、共通の友人を通じて「五つ星運動」から国会議員への立候補を打診された。彼女は家族と相談した。家族の賛同を得て、本名で立候補することを決めた。
彼女は、今も議会を拠点にイタリア政府の「証人保護プログラム」下で暮らす100人足らずの人びと(家族を含めると400人にのぼる)を代表して、積極的に活動している。

地元シチリアの市民が彼女を国会議員に選んだ理由について、彼女は「おそらく、私をまともな人間と見てくれたためだと思う。マフィアを非難する以上、少なくともクリーンな人間である、と。人びとは真実と公正に期待をかけたのだ」と説明した。
彼女の任期は23年まで。再選を目指すかどうかは決めていない。「今の環境は私には向いていない。政治はクリーンでも透明でもない」と彼女は言った。「取引やら不透明な妥協が横行している。私はそれが嫌だ」
一方で、彼女が10代で将来の夫に出会った30年前に比べ、シチリアの状況は一般市民の間で非常に様変わりした、とアイエッロは認めた。
「多くの法律ができたし、マフィアに関しても話し合われるようになった。学校の授業でもマフィアが取り上げられ、重要な役割を果たしている反マフィア協会も、次代を担う子どもたちを組織犯罪から守ろうと生徒たちに語りかけている」とアイエッロは言った。
しかし、それでもシチリアにはマフィアの脅威が存在している、と彼女は警告した。マフィアの主要なボスの一人マッテオ・メッシーナ・デナロが彼女の出身地の近くにおり、地域を支配している、と。
彼女はジョバンニ・ファルコーネ(ボルセリーノと共にマフィア撲滅に挑んだ判事で、ボルセリーノ暗殺の2カ月前に高速道路に仕掛けられた爆弾で殺された)が常々マフィアについて語っていた言葉――マフィアは一つの現象だ。その現象に始まりがあった以上、必ず終わりもある――を思い起こした。
「私はそれを信じている」とアイエッロ。「おそらくこの目でそれ(マフィアの最後)を見ることはないだろう。でも私の子どもや孫は見るだろう」と語るのだった。(抄訳)

(Farah Nayeri)©2020 The New York Times




イタリア政府が非常事態宣言 高潮でベネチア8割浸水

2019-11-15 12:19:35 | 国外記事
日経 2019/11/15 4:46


浸水したサンマルコ広場を歩く観光客(14日)=ロイター

【ジュネーブ=細川倫太郎】イタリア政府は14日、「水の都」として知られる北部ベネチアで高潮による大規模な浸水被害が発生したことを受け、非常事態宣言を発令した。最高水位は187センチメートルに達し、市内の8割以上が浸水した。伊政府は被害を最小限に食い止めるため対策を急ぐ考えだが、歴史的建造物やホテルなど観光産業への打撃は深刻になっている。
14日夜に開いた閣議で、復興支援に向け即時に2000万ユーロ(約24億円)の財政援助も承認した。コンテ首相は13日に現場を視察した後、「私たちの国の心臓部に打撃を与えた」と述べた。
ベネチアでは大雨など悪天候が続いていた影響で12~13日、記録的な高潮が発生した。ベネチア当局によると、1966年(194センチメートル)に次ぐ観測史上2番目に高い水位となった。観光客が集まるサンマルコ広場など広範囲にわたって浸水し、サンマルコ寺院は円柱などが深刻な被害を受けたもようだ。ベネチアのブルニャーロ市長は「気候変動が原因」と指摘し、被害は数億ユーロにのぼるとの見通しを示した。
英BBCなどによると、感電などで少なくとも2人が死亡した。今後、数日は不安定な天候が続きそうで、被害はさらに拡大する恐れがある。
海抜が低いベネチアは例年、秋~冬に季節風などの影響で高潮が発生し、街がしばしば冠水する。近年は温暖化による海面の水位上昇も原因と指摘する声も増えている。ベネチアでは浸水被害を防ぐため2003年から可動式の防波堤を作るプロジェクトが進行中だが、汚職や建設費の高騰で計画は大幅な遅延を余儀なくされている。

ドイツ考古学チームが970万年前の人類の歯の化石を発見

2017-10-22 15:31:04 | 国外記事
Corriere della sera 2017/10/21

Germania, un dente-fossile di nove milioni di anni fa potrebbe «riscrivere la storia dell’umanità»

Un gruppo di archeologi tedeschi ha scoperto un alcuni denti fossilizzati di 9,7 milioni di anni e ritengono possano riscrivere la storia umana. Molto simile a quello di Lucy.lo scheletro di 3,2 milioni di anni trovato in Etiopia. «Un grandissimo mistero»
ドイツ考古学チームが970万年前の人類の歯の化石を発見。エチオピアで発見された320万年前の人類ルーシーの歯に酷似しており、人類史を塗り替えることになるかもしれない。
発見されたのは、フランクフルトの南、エッペルシャイムの町でかつてライン川の河底だったところ。




(原文)
http://www.corriere.it/cronache/17_ottobre_21/germania-dente-fossile-9-milioni-anni-fa-potrebbe-riscrivere-storia-dell-umanita-c7057e04-b64d-11e7-9989-18155f38f5a5.shtml

(番外)ベネズエラの現状について(2)

2017-08-20 10:41:33 | 国外記事
Corriere della sera 2017/8/19

Venezuela, la fuga rocambolesca della procuratrice anti Madur
ベネズエラ危機。反マドゥーロ派の女性検事Luisa Ortega Díazが国外脱出
同氏は自分が最高検事の職から免職させられたチャベス派の政府の迫害から逃れるためにコロンビアへ政治的亡命のため脱出した。同氏は南米諸国の検事局に対し、”ベネズエラ大統領は腐敗している。その証拠もある。”と証言を送った。
Luisa Ortega Díaz scappata in barca per sfuggire alla persecuzione del governo chavista che l’ha rimossa dal suo incarico. Il messaggio audio inviato alle procure dell’America Latina: «Il presidente è corrotto, ho le prove»

同氏のメッセージによれば、カラカス政府を権限停止することに反対したため8月6日に最高検事の職を解かれた。同氏は金曜日メキシコで開催されていた南米諸国会議の検事局に対しメッセージを送り、多国籍ブラジル人のオレデブレヒト氏が巻き込まれた事件でマドゥーロ大統領の関与の証拠があると主張している。同氏はチャベス派の副代表である夫、2人の協力者とともに亡命した。
パラグアイに集まっているMercosur(中南米統一市場)加盟の国々は、制憲議会がベネズエラ国会の機能を停止させたことを非難。アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイの4ケ国は共同声明を発表。”このような対応はベネズエラの複合的な制度運営の余地を狭め、民主主義の安定化を危うくし、国内の衝突を増すばかりだ”と非難している。

(原文)
http://www.corriere.it/esteri/17_agosto_19/venezuela-fuga-rocambolesca-procuratrice-anti-maduro-luisa-ortega-diaz-118ba4ca-84a9-11e7-a2db-15c045197363.shtml

(番外)ベネズエラの現状について

2017-08-02 14:06:13 | 国外記事
ベネズエラは2015年の国民議会選挙で野党が勝利してから、社会の混乱が広がり、政情が大変不安定な状況になっているようです。7月30日の制憲議会選挙を前にして、世界中でその選挙の行方が批判的に注目されていますが、30日付けのコリエレは一般の国民の一例としてインタビュー記事を載せていましたので、ベネズエラの人々の生活や意見の一端を見てみようと思い、翻訳してみました。

La Corriere della sera 2017/07/30

la crisi economica

Venezuela, Pedro e Carmen:
«La classe media ha perso tutto»

La storia di una coppia che si occupa di medicina naturale e terapia del dolore: «Cinque anni fa eravamo una famiglia normale, ora non possiamo bere una bottiglia di vino»

経済危機
ベネズエラの夫婦、ペドロとカルメンの場合
「中流クラスはすべてを失ったよ。」
二人は自然薬の処方と痛みのセラピーの仕事をしている。「5年前には普通の家庭だった。しかし、いまは一本のワインさえも飲めないんだ。」

「5年前までは普通の家庭だった。仕事で食っていけたし、友人たちと夕方集まっての食事買いも出来たし、1年に一回は旅行も出来た。それが今では、最後にいつワインのボトルの栓を抜いたかも覚えていないよ。」ペドロは54歳、カルメンと一緒に住んで10年。カキと呼ばれる、カラカスの丘の街に住んでいる。家は2階建て、トロピカルな植物に囲まれている。気温は年間を通じ、昼夜を通じ、25-28度と快適だ。家の中は香がかおり、猫たちがそこかしことに。二人は互いに愛し合い、好きな仕事を持ち、すばらしい場所に住んでいる。すべては神様のおかげ。2つのことさえなければ。1つは私たちが彼らの住まいにたどり着くまでに潜り抜けなければならない装甲付きの柵扉、そしてカルメンとペドロが話してくれた非常識な話だ。

「ベネズエラの悲劇とは私たちそのもの。世界の人々にとっては信じがたいことかも知れないけど。普通の生活から惨めな生活になるのにあっという間の数年だった。私たちは自然薬の処方と痛みのセラピーの仕事をしている。1日に15人のお客さんが来るまでになったが、それが今では4人だけ。一時間で1万5千ボリバルが料金なんだけど、お客さんは老人が多いから、40%割引にしている。その結果1日1.5ドルの売り上げ。これで米を買う。ただし、売っていればの話だが。」

ペドロが言う。「今日のベネズエラの旧中流階級になにが起きているのかを説明するのは難しい。私の父は一階に住んでいるのだが、彼はいま84歳、かって通信省で高い地位にいたので月30ドルの年金をもらっている。が、近所のInes婦人は誰にも見られないように、夜明けすぐの早朝に木からマンゴを取って、生活の糧にしている。彼女はそのことを恥ずかしがっている。私たちといえば、3ケ月に一度米国から送られてくる包み頼り。キューバの連中はドルでもらうが、われわれは食べ物でということだ。

カーキ(カルメン)が言う。「私の姉は私たちに生活費を送ってくれているの。生鮮品を手に入れるために、友人たちと協力して、いつも使っている市場に交代で行ってるの。しばしば長蛇の列で順番待ちの交代もするの。月曜日は私たちの番でスーパーに公定価格の品物を買う係りってわけ。仕事はヨガ講師、首飾りつくり、化粧、エステシャン。ペドロはコンピュータ修理で数ドルを稼ぐってとこ。この3年間は私たちの食糧供給は、いわばとても健康的、まるでベジタリアンのよう。そのため私は23キロ、ペドロは25キロ痩せたわ。腫瘍患者のようだわ。私たちの社会生活も出費を減らさざるを得ない。だから政府に対するデモでだって、知った顔に出会う機会は少ないわ。」

ペドロが言う。「そんなこんなでここにはもう誰も残っていないよ。友達も親族も。二人の兄弟は米国に、一人の妹もコスタリカに行っちまった。最近に出ていったのは、私のおじだ。おじは麻酔専門医で、ベネズエラでは時給3ドルしか稼げなかった。私の前の奥さんとの間の息子が3人いるんだが、彼らはもう国を出て行く準備をしているよ。私にとっては友人たちとの食事が懐かしいよ。サケとえびの手料理でカルメンと一緒に住むようになったんだからね。まったく笑うしかないが、30年前銀行勤めのころは給与は月2千ドルだったんだよ。これがベネズエラの現実さ。私たちなんてまだましな方。ゴミ箱をあさって食べ物を探している連中だっているんだから。

カルメンが言う。「私たちの生活にインターネットは欠かせない、必須よ。検閲のない情報を手に入れる手段として、TwitterやWhatsAppを使って、国中で起こっていることを知るの。寝るのも少なくとも4時間ごとにペドロと交代で、情報漏れをしないようにしているわけ。デモにいったら家には帰ってこれない。殺されるかもしれないから。住む場所と安全だけは譲れない出費。この建物の柵の向こう側は地獄よ。Ines婦人にはもう無理。だから私たち、ご近所仲間で彼女の費用を面倒見るしかないのよ。」

ペドロが言う。「政府の権力者や、金持ちや、腐った野郎どもはみんな知ってるのさ。中流階級の現状も、食料事情も、抗議が出来ない人、スーパーで並んでいる人、抗議デモに行く人のことも。政府が政府シンパの人々に配布している食料包みは私たちはもらう資格さえない。政府はその包みが1ケ月分の食料が入っているというがとんでもない。だけど少なくとも中には、米、小麦、パスタ、オイル、ツナ、額にして2万ボリバル分だという。だけど、この金額は外の自由市場ではコーヒー豆1袋の値段だ。こんな状態が続くわけがないだろう。世界の人々が私たちに援助のために動いてくれるだろう。そしてベネズエラの港は支援物資でいっぱいになるかもしれない。でもそれはいつなんだ?」


(原文)

http://www.corriere.it/esteri/17_luglio_30/venezuela-pedro-carmen-la-classe-media-ha-perso-tutto-cf4e69d4-7568-11e7-8292-d167b01e26c8.shtml