衆議院選挙まであと1週間となりました。
先週日本に一時帰国していた際にも、駅前で国民にアピールする候補者達の姿をよく見かけました。
各メディアでは連日、選挙関連の報道がされ、政権交代の可能性が多分にある選挙ということで、人々の注目度も非常に高いように感じられます。
自分が今回の選挙に対して感じているもの、、、それはバブル崩壊後、皆が持ちづらくなった「未来への希望」といったものを再び取り戻す為、そんな日本の再出発の第一歩になって欲しいという、淡い期待です。
各党のマニフェストには、少子化対策、育児・教育への負担減、高齢者社会への福祉対策に関する内容が取り上げられていますが、欧州ではすでに約10年前に対策が実施され、ある程度の効果が見られるようになってきました。
しかし日本でも同時期から声高に叫ばれつつも、まだ何の効果も挙げていません。
この数年の与党の政策は、「景気対策」の名の下に、所謂ばら撒きを行い、問題の先送りをしてきました。
その間、人々の口からは「どうせ」や「ショウガナイ」という言葉と共に、ため息ばかりが吐かれ、「勝ち組」「負け組」という言葉に代表される二極化が進む中、圧倒的多数の人々が、日々や将来の生活に不安を抱え、それはより深刻な状況へと加速しています。
バブル崩壊後、まずは今この瞬間を生き残る為に、グローバル化の名の下、日本の民間企業はリストラやコストカット、効率化を進め、アメリカ型社会へとシフトしてきました。
しかし時には必要な人材や必要なコストも、適切ではない物指しの線引きでカットされたり、残された者もその穴埋めの為に無理を重ね、過労死や鬱といったものも、自分の周りを見渡すだけでも、決して珍しいものではなくなりました。
終身雇用制は崩壊し、人々の会社に対する忠誠心は薄れ、自分を守れるのは自分だけという状況から、いつしか皆が自分のことしか考えない風潮が生まれました。
また日々のストレス等からか、顧客の立場になると強引な要求やクレームが増え、そして仕事する側の自分達自身にそれが跳ね返る悪循環となり、皆で足を引っ張りあっているような、日本の社会全体にどこかギスギスとした雰囲気を感じます。
次の時代を担う若者達は、そんな大人たちの背中を見て、自分達の人生に希望を持てなくなってしまっているような気がします。
いつの時代も国を動かすのは「人」だと自分は思います。
先に挙げた、少子化対策、教育対策、福祉対策といった、「国を動かす人」を育て、安心して生活できる環境を作るといった分野において、日本は欧州等と比べてかなり置いてきぼりをくっている気がします。
しかし逆に言えば今の日本には、欧州をはじめヒントにできるお手本があるということです。
欧州の対策がそのまま日本に当てはまるかどうかは微妙なところもありますが、、オリジナルをより良いものに進化させる日本のお家芸のアレンジ力を持ってすれば、日本により適した形での実現が可能ではないかと思います。
今回の選挙は、「国民の意思」が政権に直結されることを証明する為の選挙だと考えています。
それが決して不可能ではないことを、先の都議会選挙で人々は実感することができました。
突っ込んで言えば、国民がこれまでの政治不信の責任を問う形で、「自民党にNoを言う選挙」なのだと思います。
しかしそれは「民主党への期待」とは正直、違うものだと思います。
本質的には自分達の生活がより良くなるならば、何党が政権をとるかなんてどうでも良いと思っている人達が多数です。
そして民主党の政治家もその意味を充分にわかっているのではないでしょうか。
日本という国を諦めたくない。
国民1人1人の意思と力を示す為に、1人でも多くの人達が選挙会場に足を運んで欲しいと願っています。
※写真:日本のパスポート