京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

上鳥羽~伏見ウオーキング  幕末5.5キロコース。

2012-12-13 15:16:31 | 妻!日記

先週水曜日は、若!が車の免許更新に行きました

私も同乗して、途中で降ろしてもらうことにしました。

 

朝9時前だったので、行くとこもないし、

喫茶店にでも行って、時間つぶしをしようと思っていましたが…

降ろしてもらう場所の勘違い

 

お目当ては・・・

京都市南区・国道一号線沿いのコメダ珈琲店

下鳥羽でおろしてもらう予定が、何となく勘違いで

上鳥羽(つまりは、下鳥羽より北)でおりてしまいました。

がら~んとした大通り

車ばかりが往来して、人がいない・・・

寂しいよ~

気が遠くなりながら、目の前の京都南インターチェンジを眺めつつ、

しょうがない

やっつけ仕事で歩くしかないとあきらめて・・・

インターチェンジ出口は横断できないから、この鴨川沿いの河原を歩くことにしました。

ジョギングの人・自転車の人・河川工事をしている車などなど居るから、

若干心細さが薄れたものの、思いがけず、こういう所を歩く羽目になって、寂しい・・・

辛さを強気で跳ね返そうとしたものの、なんだかね・・・

とか思いつつ、喫茶店で読もうと思った、幕末めぐりの本を広げ、

地図で現在地を調べようと思ったら・・・

 

   (現在地は、京都南IC横の  鴨川河原)

なんとここは、鳥羽伏見の戦いの勃発の地ではあ~りませんか

 鳥羽伏見の戦い・・・1867年10月大政奉還・12月王政復古の大号令ののち、不満が高まって、1868年1月3日に起こった戦争

                新政府軍 VS 旧幕府軍  戊辰戦争の緒戦となった

 

突如嬉々として、私の幕末めぐりが始まったのでした

 

目の前の橋が小枝橋です

徳川慶喜上洛の先発隊として、京を目指していた旧幕府軍と、

街道を封鎖する薩摩軍との問答から、軍事衝突が起こりました。

 

小枝橋から東側の通りをまっすぐ行くと、城南宮。

千本通りとの分岐点に、戦跡の碑がありました

 

そして、ここ鴨川べりと城南宮・国道1号線の間の敷地は、

鳥羽離宮跡なのでした

あとから気付いたけど、ここは・・・

平安末期、後白河法皇が平清盛の命令で幽閉された地だったのです

(たしか、最近のドラマ「平清盛」でも出てくるんですよね、ちょうど)

いまは公園になってます。

 たぶん地域の方?大勢で清掃されてました

ここにも、戦跡碑がありました

京都・・・犬も歩けば歴史に当たる かな

 

そして、鳥羽離宮公園を出てから、東側・城南宮に行くことにしました。

歩いてすぐそこ

国道1号線沿いに「おせきもち」で有名な・・・(知らなかったけど

おせき茶屋があります。

近藤勇来店だそうです。(わたしは新選組好きじゃないけど)

横まで来ると、小豆を炊いてる良い匂いがして、買わずにはいられなくなった

 

粒あんは、しっかり甘くて、

お餅はこしが強いです美味しい~

 

国道1号線わたって、お向かいが城南宮。

 まだまだ紅葉がきれいでした

城南宮は、京都御所の裏鬼門を守る神様だそうです。

神社の人が通るくらいで静か・・・

1863年孝明天皇の攘夷祈願の行幸

鳥羽伏見の戦いでも主戦場になりました。

この赤鳥居は様式が変わっているそうですが・・・

言われてみると、変わっているような・・・そうでないような・・・

すごく厳かな気持ちになりました

お守りと、来年の干支の土鈴を買いました

ヘビだけど、ヘビっぽくなくていい

 

また国道1号線に戻り、南向き・伏見に向かって歩き出しました

 先ほどの鳥羽離宮公園がちらり~

典型的な郊外型店舗が立ち並んでいます。

ここからは、てくてく歩いて、次は下鳥羽の東軍戦没者埋骨地に向かっていきます。

赤池・・・

京都っぽくない地名だと思うのは、私だけ?

  

   なんだか引っかかり、名前の由来を調べてみると、出てきました。

     時代はまたもや平安末期にさかのぼり・・・

     ことの主人公は、遠藤盛遠という北面武士。

     血気盛んな若者で、同僚で従兄弟の渡辺渡の妻・袈裟御前に横恋慕 

     その気品あふれる美しさに、すっかり心を奪われてしまった。

     ついには、想いをとげるため、御前の夫を殺そうと、寝静まった館に侵入したが、

     闇の中で奪った首は、なんと袈裟御前のものであった。

     その御前の首を、付近の池で洗ったため、池の水が真っ赤になり、これ以後「赤池」と呼ばれるようになったとさ・・・  

     悲嘆にくれた盛遠は、のちに出家して、文覚上人と名乗った。

     伊豆に流刑された際には、同じく流刑者であった源頼朝と知り合い、幕府側の要人として、活躍することとなる。         「源平盛衰記」より

 

    

歩道橋の上から、鳥羽伏見の戦いの激戦地を眺めます。

う~ん、普通の市街地~

先ほどの小枝橋で始まった衝突の銃撃音に呼応して、あちこちで戦いが始まりました。

 

   新政府軍 5000名に対し、旧幕府軍は15000名

   狭い街道での戦いでは、多勢はかえって不利になり、旧幕府軍は淀へ敗走していきました。

 

東軍埋骨地の共同墓地、らしき墓地を見つけたけど、よく分からない・・・

入ってみるわけにはいかないし、ちょっと周りを通ってみて、

まあいいか、と歩き出したところで、

本来の目的の・・・

コメダ珈琲店を発見

名古屋発信モーニングやったかな?

一度行ってみたかったので、入って朝ご飯

思いがけず、お腹ペコペコです

 

コーヒーはライトな感じ、厚切りトーストと茹で卵がサービスでした。

オプションのミニサラダがほんとにミニで、こちらは正規料金?

600円の朝食

ふつうやけど、ここは超落ち着くので良いかも

 

そして、また国道1号線。

りっぱなキャベツ畑

幹線道路、車だと一瞬ですが、

歩くと、いろんな発見があって楽しいです

 

さて、コメダ珈琲店で、若!から「いまから免許試験場出ます」のメールがあったので、

急いで最終目的地に向かいます。

 

国道大手筋交差点を左折して、右方向へ

目指す先は伏見

てくてくてくてく

油小路の阪神高速高架橋を横切り・・・

その先・・・

菜の花と酒蔵の風景で有名な場所

 やっと観光地っぽいところに来たぞ~

東高瀬川と松本酒造

 東高瀬川・真っ直ぐです

 伏見は何度となく来てますが、ザ☆伏見的風景を見ました

  

そのすぐ先にも、濠川・・・

昔は三十石船が往来していました。

この橋のたもとに、龍馬が隠れた材木小屋跡がありました。

寺田屋事件で襲われた後、薩摩藩にかくまわれて、大阪におちのびた …1866年1月

とかいう場所でしょうか?(勉強不足)

 

  今「竜馬がゆく」では、池田屋事件勃発の夜の所を読んでいます …1864年6月

    まもなく新選組が討ち入ろうかという場面です。(睡魔のせいで、なかなか進みません

 

この辺は、伏見の酒造関係の建物が集まってます。

辻しばの赤シソを使った酒「大原紫蘇梅酒」を作っておられる

北川本家さんの建物も、すぐ近くにありました。

 

そして、ここらで若!の車が追い付いて来て、乗せてもらいました。

私のウオーキング終了

さすがに疲れました。

元気なつもりでも、翌日から足裏の筋に違和感がありましたよ~

 

さて、若!と合流して向かった先は、

つい先日、酒蔵開きに参加した伏見銘酒組合さん・・・

予約していた酒かすと日本酒を頂きに

豊澤さんのお酒「豊祝」です

 

私は、伏見イオンに行って・・・

酒蔵開きの日(3日前)に買った長女用のズボンが小さかったので、

交換してもらいにいきました

太もも意外に大きかったのね

 

いちおー伏見まで・・・大原からは1時間かかるんですけど、

なんだかご近所みたいに満喫してしまいました

伏見は遠いけど大好きです

 

 

 


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