6月初め。
学校の代休日に、山登りをしました。
うちの裏の坂道が東海自然歩道につながっています。
見にくい画面でごめんなさい。
日光がキツイという、イメージをしていただければ…
あんまり暑い日の登山は嫌ですが
振り返ると、こんな景色。
金毘羅山一望です
で、ちょっと上がると、登山道らしくなりました。
琵琶湖や延暦寺方面に抜ける道なので、かなり歴史がある感じです。
ええ感じの石垣です
数年前に設置された電柵。
住民の逃亡防止、のためではなく、もちろんシシ対策。
アンアンさんもあちこちに。
今年は雪が多かったためか、
はたまた、季節外れ(5月下旬)の台風直撃によるものか、
倒木が多かったです。
横には谷川があって・・・
一瞬疲れを忘れられる、賜物
植林やし、なんてことない山ですが、
変化に富んでいて、楽しい山道でした。
岩盤むき出しのとこがあったり・・・
花粉の季節にはタマランやろうけど、
杉の香りが漂ってきそうな、清々しい感じ
合体の木があったり
あとは、結構なだらかなので、楽ちんでした
当初の目的地・仰木峠
大津の仰木に下りる道と、延暦寺・横川方面に抜ける道と分かれます。
楽勝やんと調子の乗って、横川中道まで行くことにしました。
家から仰木峠までと、同じくらいの距離。
でも、ここからは急登が続いて、大変でした
登山の数日に、ラジオでたまたまフィトンチッドのことを聞いたばかり
ラジオのお姉さんは、仰木峠のこの看板を見たのだろうか?な~んて
峠よりこちらは登山客も少ないのか、道が荒れてました。
雨水の通り道になってる~
土がえぐられてるせいで、歩きにくいのなんの
延暦寺ドライブウエイの道端で昼食。
ここのドライブウエイは、ものすごく高いから、
こんな近くなのに、ここまで来たことがないです。
得した気分
ここから横川中道までは、あと少し。
と思ったけど、ここからも結構あったような
あと少し、あと少し、と唱えながら歩いてました。
あと少し、あと少し・・・
朱色の建物が見えてきた
嬉しい瞬間
人工物を見ると、妙にうれしくなりますね。
横川中道。
立派な穴太衆積みと思ったら、
現存する唯一の穴太衆積み継承者の手によるものでした。
そのうち、詳しく投稿しようと思いますが、
大津近辺のみならず、日本全国に、こちらの匠(粟田建設さん)による石積みが見られます。
私のカテゴリー石垣の写真のなかにも、数々あって、驚くばかりです
鉄筋コンクリートよりも強度に優れているとの実験結果が出されています
宝くじが当たったら(買ってもないけど)、こちらの匠に裏の石垣を直してもらうのが、
私の切ない夢です。
横川中道の正面へ・・・
こちらの安置されている仏像は、
とても女性らしい優しさ・柔らかさが表現されていて・・・
あまり仏像に興味ない私ですが、
その包容力豊かなお姿に、思わず見とれてしまいました。
一心寺跡、だそうです。
ちょっと変わった石積み。
ええ苔が生えてますし、庭園の施されたお寺だったのでしょうか。
参道の石垣も立派。
かなり苔むしてます。
横川中道の奥に、元三大師道がありましたが、
子達のブーイング必須だったので、我慢しました。
この登山道が「元三大師道」と言われる由来、であるお堂だから、行ってみたかったのですが、
それは次回のお楽しみ、てことで
帰途についたのでした
テンションが上がるのですが、怠惰な性格が勝って
なかなかお返事できませんでした。
詳しいことは、よく分からないのですが、
比叡山の山並み全体のなかで、
三つのエリアに分かれている、一つが
横川のようです。
京都新聞の連載小説「親鸞 激動編」
を読み続けているのですが、
つい先日・・・
幼い頃の親鸞が京の寺に預けられていた時、
横川まで使いを頼まれたエピソードが書かれていました。
横川は、根本中堂のあるエリアからは、さらに奥深い山中で、先輩僧の誰もが恐れをなして使いを断ったのだそう。
幼い親鸞も、暗い夜道、草履は擦り切れ、崖を転がり落ちる小石の音を聞いては恐怖におびえ・・・・
行ったことのある場所だけに、小説を二度三度味わえた気分でした。
大原も、そういう意味では、隠棲の地
山深い土地なんですよね。
うちは、向かいがファミマやし、国道沿いなので、
趣が全くありませんが・・・
少し離れれば、獣や自然の方が勝っているような世界が広がってます。
ブログでも、そんな趣をお伝えできればと思います。
これからも、よろしくお願いします!