GW前のお休みに、右京区越畑へ蕎麦を食べに行きました。
いつものお決まり。
蕎麦と言えば越畑。
全く間違いがないので・・・遠いですが2時間近くかけて行きます。
大原から越畑に行くには、たいていは一度街に出てから、亀岡経由で行くのですが・・・
今回は、大原もんおススメの抜け道を通って行きました。
鴨川上流~京北町~日吉経由。
簡単に言うと、ひたすら山の中を通っていくのです。
私たちの酷道ドライブはほとんど趣味ですが、久しぶりに引き返したくなる道を行きました。
山の中=右も左も同じ景色、ですので、しまいには、どこにいるのか分からなくなり、地図を放りました。
それでも何とか桂川に出て、日吉ダムに着きました。
酷道の後にみる人工物は落ち着きます。
ダムの横は、休息所のようになっていて、くつろげました。
アケビの花が満開。(大原より若干開花が遅いかな)
横でずっときれいな鳴き声の鳥がさえずっていました。
ヒバリかと思ってましたが、違いますね。
ホオジロかしら?
さえずりは結構変わっていて・・・
「一筆啓上仕候」(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう)とか
「源平つつじ白つつじ」とか鳴くんだそうですよ。
ホオジロであれば・・・ですが。
どんなのか忘れてしまいましたが、変わったさえずりで聴き飽きませんでした。
接写するために、そーっと近づいて、じーっと見てるだけで、いい時間つぶしが出来ました。
ライラック?の花もきれいでした。
北海道しかないのかと思っていました。
新緑のいい季節ですね。
こちらの日吉ダムから南側に車を走らせると、越畑の蕎麦屋さんに着きます。
山の中~♪
10割蕎麦やだし汁、季節のてんぷら(タケノコや山菜も!)の美味しさもさることながら・・・
初めて食べた蕎麦プリンが絶品でした
食感がそばがき風。
今までにない食感でした。
建物の隣はリンゴ畑。
秋になったら実を販売してはります。
花が咲いていました。
可愛いですね。
帰りは温泉に行こうかと思ったけど、面倒くさくなって・・・
道の駅で蕗を買って(今は、タケノコだらけです)
平和堂で買い物をして帰りました。
(遠くのドライブ、3週連続で平和堂に行ったので、とうとうHOPカードに入会しました。
ポイントが現金化される、今時珍しいシステムです。)
蕎麦を食べに行くだけドライブでしたが、今回も、おいしさ確認作業を遂行することが出来て、とても満足して帰りました。
【追伸】
本当はこれが本題でした。
先ほど漬け上がった「みぶな」を店頭で販売しておりますが・・・
そう、この日吉町で栽培された壬生菜を使っております
スーパーで買っていて気づいたのですが、これって、越畑に行く途中のビニールハウスの無人販売の野菜とパッケージが似ている!
(遠目でしか見ていませんが)
もしかして、あそこで採れた壬生菜かな~
日吉町や南丹、亀岡は京野菜のふるさとで、農業が盛んな地域なのです。
次に行ったときは、あそこの無人販売所に行かなければ!
普段はスーパーか市場で買ってくるから、生産地のことはあまり考えませんが、
どんなところで育てられた野菜か知ったら、売るのが楽しくなりますよね~。
お客さんにも伝えたくなりますし。
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当ブログのリンク元である辻しば漬本舗のホームページがこの日曜日にリニューアルいたしました。
今までのホームページは若!の手作りでしたが、体力的限界が出て参りましたので、
専門の方にお願いすることになりました。
使いやすさをモットーに、スタイリッシュに、そして斬新に・・・というところでしょうか。
まだまだ私たちも慣れていませんので、不具合などあるかと思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
さて。
私のここ半年の心配のもとであった、長男(昨年度高1)の進級・・・
無事、2年生に進級できました
「進級」でこんなに嬉しかったのは、初めてです。自分の経験も含めて。
正直なところ、新年度のクラス発表の時まで半信半疑で、心配でした。
3月末に進級できたことは分かっていましたが、コース変更もある?学校なので。
(まあ、何か変更のある時は、学校から連絡やら相談がありますよね~)
無事に、クラスメートと一緒に同じクラスになることが出来て、めでたしめでたしです。
(原則、1コース1クラス、クラス替えなしなので)
長男は、非行に走るような要素は全くない真面目君ですが、独特のこだわりがあるようで・・・
勉強してはいるが、たぶんすごく遠回りの苦行のようなやり方で・・・
いつもポケットに入れているノートになんでもメモしているのですが、どこかが抜けていて、提出物を出さない・・・
だから、数学なんて驚愕の成績で、先生から「提出物ちゃんと出さないと進級できないぞ」と言われてました。
昔から国語の模試の成績だけがずば抜けて良いので、親的には「伸びしろアリ」とごまかしごまかし思っていますが。
毎年、このような心配をしないといけないなんて~(研究者になりたいそうなので、院まで行くかもしれないし)
親って大変なんですね。
まあ、進級できたことで本人の調子も上がったようで・・・
突然、部屋の大掃除をはじめて、「僕の思春期(多分動かない時期のこと)は終わった、これからは活動的になる」と宣言?しました。
たしなみとして、護身術?と三味線を習っときたいそうです。(笑)
まあ、私的には、面白くてしょうがない人です。
前投稿「京の冬の旅 島原界隈」のつづき。
2月13日のこと。
って、一か月経ったんかいなと突っ込まなければいけません。
そうです。文章が思い浮かばない。
いつかの投稿「逆説的に漬けてみる その1」の続きのように…
(その2は幻になってしまうのか)
なぜだろう、と言い訳を考えてみましたら・・・
どうも、この項についての考えやら見方が定まっていないのですね。
つまり、自分の考えが持てていない、ということで。
「壬生」についての予備知識といえば、もちろん「新選組」でしたし、あとは新聞やニュースで目にする「壬生狂言」でしょうか。
といっても、前にも言いました通り「新選組=幕末のテ〇リスト集団」という凝り固まったイメージしか持っていませんでしたので、
新選組の聖地(といってよいでしょうか)には目も足も向けなかったわけです。
ここ数カ月の読書で「新選組」像はすっかり覆されたのですが、いまだモヤモヤとした形のないもので・・・
ですから、なかなか投稿の気の進まない原因になっているようです。
(以上、長い言い訳)
あとは、寒かったからでしょうか。体だけでなく脳も冬眠しておりました。
最近やっと少し暖かくなってきましたので、ウオーキングの再開やら、店前農園の手入れを始めたり・・・
ちょっと脳の方も活性化してきましたので、
さらさらっと投稿しておきたいと思います。
前投稿の「島原界隈」の散策が終わってから、壬生へ移動。
地理的には、壬生は島原の真北にあたります。
島原角屋の横にある千本通りを北上していくと壬生寺があります。
島原が五条通のちょっと南側で、壬生はほぼ四条通。
移動時間は、車で5分。コインパークの出入りに時間がかかりますけど。
私たちは、壬生川通沿いのパーキングに停めて、壬生寺方面に向かいました。
綾小路通り。洛中っぽい通りです。
そして、綾小路通りと坊城通りの交差点に・・・
新選組屯所だった前川家がありました。
いまも人が住んでいらっしゃって、なにかお商売をされていて内部が工場のようでした。
広い敷地です。
この界隈を歩いていますと、中堅観光地にしては明らかに女子率が高いようでした。
(ちゃんと二十歳前後の女の子が歩いてます。)
浅田次郎の小説「輪違屋 糸里」の副主人公といってもいいのが、こちら前川家のお勝さんです。
新選組の属していた会津藩と商売上つながりのあった商家であったことから、新選組の世話をすることになったわけなのですが、そういう流れから壬生の中ではずいぶん肩身の狭い思いをしていたそうで・・・
小説の中では、その気苦労が感じられる場面が多いです。
悲劇的でもありながら、士農工商の身分を越えた商家の女の心意気や度量がうかがえ、なかなか魅力的な人物です。
実際はどんな方だったのか分かりませんが、通常では遭遇しないような経験を多くされてきたことと思います。
(長州狩りでとらえてきた者たちを拷問した部屋とか残ってます)
新選組の所属していた天然理心流はいまでも活躍されているようです。
小説の中で描かれた近藤勇は天然理心流のリーダーとしては非常に魅力的な人物でした。
天然理心流の道場を運営していくための土方歳三の知恵絞りも可愛らしく感じます。
さて。
前川家のはす向かいには、たぶんもっと著名な屯所「八木家」があります。
同じ敷地に、屯所餅で有名な御菓子処「京都鶴屋」さんがあるようでした。
コインパーキング代と拝観料が馬鹿にならないので、今回は立ち寄りませんでしたが。
そして、今回の目的地の「壬生寺」です。
広い!でっかい!
ここが新選組の演習地になっていたそうです。
↑ 壬生寺の狂言堂
右側には幼稚園があります。
幼稚園から狂言が見れる、というのが微笑ましいですね。
昔の写真には、大勢の小さな子供たちが「壬生狂言」を見ているものもありました。
新選組の隊士が祀られている壬生塚。
女子率が高い・・・
驚いたのが、芹沢鴨と平山五郎の墓の小ささです。
一番左のお墓。
なんだか切ないですね。
短い時間でささっと散策しただけでしたので、投稿も端折った内容となってしまいました。
いま「輪違屋糸里」を読み終えて、すこ~し壬生寺や屯所らへんに新選組の残像が浮かぶようになったかな。
司馬遼太郎「新選組血風録」を読んで、もっと印象を濃くしたいです。
題名からえぐそうなので、ちょっと抵抗がありますが。
そう「輪違屋糸里」の最終部分に、ひょうきん物として描かれることの多い「沖田総司」が主人公となった項があります。
こちらも、既存のイメージを打ち壊す印象的な描写でした。
「輪違屋糸里」ロスの私、次は「地下鉄(メトロ)に乗って」を読みましたが・・・
これは、いよいよ号泣ものでした。
「鼻水チ~ンがすごいで!」と家族に話していますが。
浅田次郎さんはすごい人だなあと思います。
2月13日
私学入試で連休だった長男を連れて、京の冬の旅の特別公開を見に行きました。
今年は大政奉還150年とかで、幕末関連の史跡を中心に企画されているようです。
近頃めっぽう興味のある島原と壬生に行きました。
(次回には壬生を紹介するつもり)
幕末といえば、私は完全に長州びいきで、新選組などは「幕末のテ〇リスト集団」と位置づけていたのですが・・・
(本来の毛利の本拠地広島の出身で、戦国~幕末までの壮絶な歴史を知ってしまったら、ひいきにならざるを得ません)
夏休みに長男の読書感想文課題だった「燃えよ剣(作・司馬遼太郎)」(新選組と土方歳三の話)を読んでから、
少し新選組の見方が変わり(拷問とか陰惨な影の部分の描写が出てこないせいもありますが)
年末には「壬生義士伝(作・浅田次郎)」(盛岡藩を脱藩し、新選組隊士になった男の話)を読み、
猛烈に壬生に興味がわきました。
そして、すっかり「壬生義士伝」ロスになった私は、この小説とともに浅田次郎の幕末三部作といわれる「輪違屋 糸里」をもとめ、読み始めました。
いまも読んでいる最中ですが、本の舞台の真ん中に来ることが出来るなんて、なんたる幸せ
周りから見たら、何の変哲もない通行人ですが、(多少写真を多く撮っているだけ)
心の中は創造と空想が入り乱れ、大変なことになっているのです。
穏やかでない心中を押し隠しながら、島原の旧花街の入口・大門に入ります。
場所は、京都駅の西側JR丹波口の近く。
いつも野菜を買いに行っている京都中央卸売市場の線路挟んで反対側です。
だから車で行くのも心配なしなんですが、ゆっくり訪れるのは初めてです。
この先に花街の置屋や揚屋があって、往時は賑やかだったそうです。
(新選組が暴れたせいか、地理的に中心地から離れているせいか、次第に衰退、昭和後期にお茶屋組合を解散したそうです)
花魁のいる遊郭と混同されますが(私も小説読むまで勘違いしてました)
島原の太夫には官位の正五位が与えられるほど格式高い場であると同時に、老若男女を問わず気軽に訪れることのできる場所で、江戸の文化サロン的役割を果たしていたそうです。
(文化人が田舎のお母さんを招いて、歌詠みの会などを一緒に楽しむ、的な)
この大門も閉ざされることもなく、芸妓さん(島原では傾城と呼ぶ)も自由に出入りできたそうです。
読んでる小説の舞台「輪違屋」もあります。
島原で現在も唯一営業している置屋だそうです。
見た目は普通サイズの町家ですが、奥行きがものすごく広い建物です。
門が閉ざされていましたが、特別公開されたこともあるそうです。
時期を見逃さず、行ってみたいです。
観覧謝絶の戸にくくられた謎の五円玉 ↑
小説の主人公 島原傾城の天神(太夫の次の地位)糸里は、実存した人物で、
新選組勘定方の平間重助(芹沢鴨率いる水戸派の一人)のなじみだったそうで、芹沢暗殺の現場に居合わせた記録が残っています。
おそらく、このただ一行の史実から構想を膨らませたであろう物語です。
大門から西へ。
午後の西日が逆行となっております。
「京の冬の旅」に合わせて組まれたツアーかな。
賑やかしいのが嬉しいですね。
みやびな赤壁。
なんとなく遊宴のイメージが強いですが・・・
色のついた壁、というのは、色を問わず格式の高さをあらわしたものだそうです。
そういえば、倉敷の美観地区にも不思議な色の旧宅(たしか緑がかった屋根にほんのりオレンジ調の壁)がありましたが、そういう感じの贅を尽くした建物なのでしょうね。
庶民はナチュラルな色の土壁で精一杯だったでしょうし。
現在の料理旅館でも大いにあることでしょうが、
こちらの角屋さんも、お店の隆盛に伴なって、増築を重ねてきたそうです。
受付を過ぎて、お客様向けの玄関の向かいに、この大きな木。
ツケを払わず出入り禁止になった新選組隊士がつけた刀きずが玄関横に残っています。
玄関前を通り過ぎて、台所に・・・
天井が高いです。現代でも、そのまま素敵に活用されそうな建築。
江戸時代までに培われた伝統文化を凝縮したような場所です。
大変萌えるかまどですし、たまらないのは、石造りの流しです。
ここに住みたいです。
↑ 長男 大きくなったでしょう。(参照:古い投稿をご覧ください)お父さんの背を越しました。
きのう「あんたは乾パンに似ている」と言ってやりましたが、そういう人です。16歳にして苔むしています。
さて、角屋で目玉の一つとして公開されている「奥の間」にて、ガイドさんのお話を聞きました。
「京の冬の旅」では、公開されている文化財にはガイドさんが常駐しています。
それが大好きなところです。
すてきな坪庭に・・・
景色を邪魔しないよう、できる限り柱を取り除いた屋根。
天秤の原理をつかって支えているそうです。日本人すごい!
メインのお庭。ちなみに、むかって右側の茶室の横はJR高架。
こんなに風雅なのに、5分おきくらいに電車が通る面白い場所。
小さい子も退屈しないかもしれません。
さて、この奥の間は、芹沢鴨が暗殺をされる直前、最後の宴会を楽しんだ場所なのだそうです。
芹沢鴨は、「狙われて当然」「天下の大悪人」的なキャラとして描かれることが多いですが、
「輪違屋糸里」では、多少温かみのある部分も描かれていて、どんな人だったか、ここに残る残像に尋ねてみたくなります。
刀箪笥。
一般市民のいる建物では腰のものを預けてから入るのが、最低限の武士のたしなみであったようです。
角屋拝観では、本来の目的をすっかり忘れ、素敵な建築と調度品に心を奪われました。
ここ住みたい~また来たい~と言ってました。
(長男には聞き流されるんですけどね。)
また、知らなければ「きれいな建物」としてのみ記憶に残る建物ですが、
ここで様々な境遇を持った人が行き来していたかと思うと、何とも言えない気分になるのでした。
「小説バンザイ」です。
ご無沙汰しております。
本日は夕方より寒気の影響で寒くなるようですが、
今朝は雨天、とても温かくて過ごしやすいです。
寒い時には動くのもおっくうでしたが、
昨日から、古紙回収で7かたまりほど古雑誌・新聞を出してきたり、
家も掃除しましたし、ため込んでいた空き缶をゴミ出ししに行ったり・・・
若干春らしくアクティブに過ごしています。
今日は、徹夜で動き出しの遅かった次男を学校に送っていき、
ついでに、倉庫に行きました。
たぶん、今年初?かな~
山椒の木が気になったので・・・
今年は、つくしんぼうの旬も逃したくないですし・・・
(数年前から、大量に生えるようになりました。良いこと悪いこと?)
仕事を頑張ってくれている山椒の木です。
「大原産山椒塩漬け」の原料となります。
本当によく採れるので、今年もちゃんと実をつけてくれるのか心配です。
力強い根元を見て、安心しました。
すこし芽がふくらんできました。
こちらは何の世話もしないのに、ぐんぐん育ってくれて有難いです。
きっと、お隣の畑の栄養を頂いてるんだろうな~
とても丁寧に畑の世話をしてはります。
こちらも御礼肥しないとな、と思ってます。
本日 1月18日朝 の風景。
ようやく雪もやんで、穏やかな天気です。
でも、昨日よりも冷え込んでるみたいです。
早朝から小野霞がたなびいていて、地面の付近にはモヤがたまっていました。(この写真の時にはだいぶクリアな感じになってますが)
こういう神秘的な景色は、大原に居たらいつでも見れるようで、そうも見れません。
さて。
土曜の晩から火曜日にかけて、よく降りましたね。
長男は高1ですが、駿台のセンターチャレンジテストとかいう催しで、
日曜日は大変な積雪にもかかわらず出かけていきました。
京都駅周辺の初めての建物、というだけで、ちゃんと行けるか不安。
送ってやりたい親心でしたが、女子駅伝当日でもあるので、南北通行止めになったりするし、
もう無条件に「バス一本でいきなさい~」ということになりました。
2時間前に出発しましたよ。
不思議と・・・センター試験の時は雪が降りますよね。
なるほど臨場感を体験できました。
翌・月曜日。
小学生の登校には可哀想な(楽しい?かな?)雪道でした。
危ないので歩道を行きますが、吹き溜まりのところは積雪50センチ越えのところもありました。
でもフカフカサラサラの雪で楽しかったですけど。
道路はね、白くなってて坂なのに、市内から来たノーマルタイヤの車がよろよろ走ってたりするんです。
恐ろしいです。
雪景色はこんな感じで青空がきれいでした。
川沿いのこの道も積雪すごいですが ↑ ガードレールなしです
普段の時でも、この道は怖いので、私は運転NGです。
農道にトライ。
後が怖いけど、好奇心が先に立ちます。
景色とかきれいに決まってます
ね、きれいでしょう。
こういうとこでは、完全に鳥の天下でした。
ヒバリ、だと思います。群れで来ていて、賑やかでした。
寒そうな高野川に出て・・・
ここでも・・・
カワガラス?
仲良く泳いではりました。
通常は一日だけの積雪ですが、今回は次の日も同様に積もりました。
おかげで雪かきをさぼった自家用車は完全閉じ込められてしまいました。
昼間の日光でフロントガラスの雪がどさっと落ちて、夜中にその塊がかたまって、その上にさらに積もるという・・・
雪かきサボると大変なことになるんだな~と実感しました。
昨日12月15日のこと。
きれいなので、早速アップしようとしたら、ホームページが開けなくなっていました。
サーバーに電話したら、うんたらかんたら(私には理解不能なこと)あって、何とか元通り開けるようになりました。
一日たったら、今度は・・・
普通に雪が降ってます。
道理で寒いはず。
漬物の作業には何かと都合良しです。
ご無沙汰しております
9/13の投稿以来、すぐにでも次の投稿のありそうな書き方をして、すっかり中断しておりました。
しば漬についての「続き」はもはや後回しにしまして、近況より投稿することにします。
つい先日(11/14)、子供の学校の懇談会がてら、東山界隈をぶらぶらしていました。
進学して、通学所要1時間ほど、ずいぶん遠くなりましたが、ついでに風光明媚な散策ができる所が嬉しいものです。
紅葉シーズンまっただ中で、「こんな時期に懇談ですか・・・」とも思いましたが(混んでますので)
一時間早く家を出て、(結局普通通りについたので)時間までぶらぶらしておりました。
東山界隈、紅葉見ごろです!
予定の方、お急ぎくださいね!
永観堂
携帯カメラではうまく映りませんでしたが、もっと赤が鮮やかです。
中のお堂でゆっくりするのも気持ちがいいですよ
そして、永観堂からてくてく5分ほど歩くと、南禅寺。
きほん永観堂の隣の敷地ですが、なにせ大きいので
門も大きいです。
学校の野球部の子たちが、観光客の人にお茶を配っていました
大きな門から門への参道(入り口からは逆方向に向いてますが)
紅葉はそれほどありませんが、苔とのコントラストがきれいです。
一番奥の水路閣。
琵琶湖疎水の水道です。
疎水は、北側は松ヶ崎・下鴨(北山にある植物園の手前ら辺)まで流れています。
京都市の子供たちは、社会の授業で習って、校外学習でここの近くの疎水記念館に行きます。
明治時代に田邉朔郎という人が中心になって作りました。
南禅寺で特筆すべきこと。
バナナが生えてました(まあ、大原でも生えているんですが・・・)
よく見ると、花がついてます!
しっかり撮れませんでしたが、花の上に、バナナの実の房が出来てました。
どうも熟れなさそうなので、このまま枯れていきそうですが。
どなたが植えたのか気になります。
*永観堂と南禅寺。
二つをつないでいる道路を散策するのが、また趣きがあっておススメです。
一方通行ですが車の通れる道・・・いくつか門をくぐりながら行くのです。
また、ここら辺は別荘地(とか、昔別荘だった美術館とか料亭とか)が多いです。
昔は南禅寺の巨大な敷地だったそうですが、維新後に接収されて・・・
琵琶湖疎水を利用した風車動力を利用した工場(だったかな)を作る予定だったそうです。
ですけど、田邉朔郎氏が外国に視察に行ったとき、もはや風車発電は時代遅れ、ということに気づいて、計画変更・・・
結局これらの土地は別荘地などに利用されたそうです。
結果的には、それでよかったと思いますね
とても気持ちの良い所なので、大原とセットで遊びに来てくださいね。