今日から4月。都内でもそろそろ桜が咲き始めた。「花見じゃないんだよ。今ごろね。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感ができてくる」とは知事の記者会見での発言。国旗掲揚起立強制の次は宴会禁止、どういうセンスざんしょうか。
あたしは花の下で宴会したことないし、しようとも思わないし、している人を風雅から程遠いと軽蔑してもいる。が、宴会するなとは口にしようとも思わないし、してはならないとも思っていない。ただ今年だけは「こんなことがあっても春は来るんだねぇ」と、桜の下を歩きながらしみじみできるような静かな花見風景であればいいなぁとは思うけど。
東京都民は震度5を初めて経験した。高層ビルを恐怖におののきながら階段使って地上に降りたり、何時間もかけて歩いて職場から帰宅したり、帰れなくて職場にとまったり、携帯が通じなくて都内に居る家族と連絡がとれなくなったり、被災地の家族と連絡が取れなくて不安な日々を送ったり、今でも揺れているような感覚にとらわれたり、ふとしたことでまた地震が来るのではと怖くなったり。実際の被災地で被害に遭われた方とはその程度は大きく違うけど、都民だってあの大震災の被災者だ。心の中はまだ震えている。
それを元気づける立場にある行政の長が、委縮させるような発言をするのはどうだろう。法的根拠もなく合法的行為を禁止するような発言はすべきでないと思っている。もしも禁止したいなら、あとからいかようにでも言い逃れできる記者会見での発言で圧力をかけるのではなく、正々堂々と政令でも出してからにして欲しい。
もしもあたしが知事だったら、、、この期に及んで花見の宴会がしたいなら
1 宴会では酔った勢いの見苦しいことはしない
2 宴会で出したごみは全部持って帰る、簡易トイレや灯りも持参する
3 宴会で飲食に使った金額と同額を、義援金として寄付する
4 今年宴会した人は、被災地が「復興なりました」というまで毎年宴会して、飲食費と同額を寄付し続ける
5 桜を見るだけに桜の名所を訪れた人からも寄付を募り、被災地に桜の苗を贈る
を条件にするかなぁ(笑)。
みんなが委縮していては経済が立ち行かなくなり、復興の原資もままならなくなる。勝手な言い分かもしれないけど、物理的に被災してない日本各地では、できる限り通常の生活を粛々と営むべきだと思う。しっかりとした経済活動あってこその復興だ。これから復興に何年かかるかわからないのに、自粛が自粛を呼び日本全体が委縮するのは決して健全なこととは思えないし、誰のためにもならない気がする。求められているのは必要な時に必要な支援ができるかどうかであって、みんなで悲しそうな顔をすることではない。
あたし個人としては、各地の観光地は外国からじゃんじゃん観光客を受け入れて潤っていっぱい納税して欲しいし、国民も物資の供給が安定したら国内での消費に努めればいいと思うし、日本企業は「これを機に海外へ」などと安易に流れずゼロから日本で世界に誇るものづくりの拠点作りに励んでほしいし、政府は不要不急のプロジェクトを全部棚上げして被災者の生活の正常化を最優先してほしいし、その過程でもっとコンパクトな街づくりで効率よいインフラ作りをして欲しい。そのためにお金が要るなら頑張って働くから、って思う。政治には何も期待してないので、これを政局の具にせず自分の手柄の道具にせず国民の邪魔にならないようにふるまってほしい(苦笑)。
自然の猛威で国の在り方が大きく変わらざるを得なくなっているときに、自然を愛でる花見の宴ほど、自然へ思いをはせる機会にふさわしいものはないような気がする。桜の下でこの美しい国に生まれたことと家族ともども無事でいることを母なる自然に感謝して、被災された方へ思いをはせる、そんな機会になる宴であれば決して自粛要請の名のもとに禁止されるべきものではないと思っているkebaです。
あたしは花の下で宴会したことないし、しようとも思わないし、している人を風雅から程遠いと軽蔑してもいる。が、宴会するなとは口にしようとも思わないし、してはならないとも思っていない。ただ今年だけは「こんなことがあっても春は来るんだねぇ」と、桜の下を歩きながらしみじみできるような静かな花見風景であればいいなぁとは思うけど。
東京都民は震度5を初めて経験した。高層ビルを恐怖におののきながら階段使って地上に降りたり、何時間もかけて歩いて職場から帰宅したり、帰れなくて職場にとまったり、携帯が通じなくて都内に居る家族と連絡がとれなくなったり、被災地の家族と連絡が取れなくて不安な日々を送ったり、今でも揺れているような感覚にとらわれたり、ふとしたことでまた地震が来るのではと怖くなったり。実際の被災地で被害に遭われた方とはその程度は大きく違うけど、都民だってあの大震災の被災者だ。心の中はまだ震えている。
それを元気づける立場にある行政の長が、委縮させるような発言をするのはどうだろう。法的根拠もなく合法的行為を禁止するような発言はすべきでないと思っている。もしも禁止したいなら、あとからいかようにでも言い逃れできる記者会見での発言で圧力をかけるのではなく、正々堂々と政令でも出してからにして欲しい。
もしもあたしが知事だったら、、、この期に及んで花見の宴会がしたいなら
1 宴会では酔った勢いの見苦しいことはしない
2 宴会で出したごみは全部持って帰る、簡易トイレや灯りも持参する
3 宴会で飲食に使った金額と同額を、義援金として寄付する
4 今年宴会した人は、被災地が「復興なりました」というまで毎年宴会して、飲食費と同額を寄付し続ける
5 桜を見るだけに桜の名所を訪れた人からも寄付を募り、被災地に桜の苗を贈る
を条件にするかなぁ(笑)。
みんなが委縮していては経済が立ち行かなくなり、復興の原資もままならなくなる。勝手な言い分かもしれないけど、物理的に被災してない日本各地では、できる限り通常の生活を粛々と営むべきだと思う。しっかりとした経済活動あってこその復興だ。これから復興に何年かかるかわからないのに、自粛が自粛を呼び日本全体が委縮するのは決して健全なこととは思えないし、誰のためにもならない気がする。求められているのは必要な時に必要な支援ができるかどうかであって、みんなで悲しそうな顔をすることではない。
あたし個人としては、各地の観光地は外国からじゃんじゃん観光客を受け入れて潤っていっぱい納税して欲しいし、国民も物資の供給が安定したら国内での消費に努めればいいと思うし、日本企業は「これを機に海外へ」などと安易に流れずゼロから日本で世界に誇るものづくりの拠点作りに励んでほしいし、政府は不要不急のプロジェクトを全部棚上げして被災者の生活の正常化を最優先してほしいし、その過程でもっとコンパクトな街づくりで効率よいインフラ作りをして欲しい。そのためにお金が要るなら頑張って働くから、って思う。政治には何も期待してないので、これを政局の具にせず自分の手柄の道具にせず国民の邪魔にならないようにふるまってほしい(苦笑)。
自然の猛威で国の在り方が大きく変わらざるを得なくなっているときに、自然を愛でる花見の宴ほど、自然へ思いをはせる機会にふさわしいものはないような気がする。桜の下でこの美しい国に生まれたことと家族ともども無事でいることを母なる自然に感謝して、被災された方へ思いをはせる、そんな機会になる宴であれば決して自粛要請の名のもとに禁止されるべきものではないと思っているkebaです。
桜の花の下で飲み・食い・親交を暖める良い機会です。私は花に関係なく飲んでますが(笑)
気持ちが落ち込んでいる時こそ良い機会では・・
魂のランクだけは下げたくないですね~
沈んだ気持ちからはなにも生まれない気がします。
思いやるのは大事、でも
1人1人が人生を精いっぱい生きるのも大事、だと思います。
それぞれが持ち場で頑張ることが復興への早道だと信じています。
花見は是非!
でもって、今年から毎年相当額の義援金を(笑)!
kebaさんの考え方とそれを表現する豊富な語彙力に、ウンウン頷きながら読ませていただきました。胸のつかえがスーッと取れた気がします。感謝です。
それにしても花見の条件、面白いです。
愚かな地金を露呈しただけに終わっちゃいましたね。
人はパンのみに生くるにあらずって知らないのかしら。
それとも、自分以外は人と思ってないのかな。
パンのみにて生くる者にあらざればこそ、
豊かな文明や文化が栄えたわけで、
それを奪うことはだれにもできないと思うのです。
なので花見に条件付けるところまでが関の山か、と。
その延長線上にあるものとして、
娯楽税ってぇのを新設して復興原資にあてるのはどうでしょうね?
この国難に楽しんでるっていう罪悪感を
復興支援しているという実利で免罪符に、みたいな(笑)