私は以前、私立高校で働いていた。
もう20年以上前になるだろうか、入学してくる生徒の態度が変わってきたことに気が付いた。
数か月前まで中学生だった生徒たちは、ノートを提出したがるのだ。
彼らのノートは綺麗に色分けされ、丁寧に清書してある。
「ノートなんて自分が読めればいいのよ」と言っても納得しない。
中学校では、ノートを提出する・先生の質問に率先して答える・質問をする等が
彼らの成績に大いに関わっていたという。
1992年、当時の鳩山邦夫文部大臣は、偏差値の廃止を決めた。
それまでは志望校を決めるにも、推薦入試を受けるにも、偏差値を基準にしてきた。
それが偏差値が無くなって、中学の進路指導は混乱したのではないだろうか。
私立高校は、推薦入学の生徒が多い。
偏差値ではなく、通知表で推薦してもらえるかどうかが決まることになる。
通知表の3と4、あるいは4と5では大違いだ。
一生懸命努力している態度を評価して欲しくて、解っている問題をわざわざ先生に聞きに行く
生徒もいると聞いた。
性格上、手を挙げて答えられない生徒だっている。
先生受けのいい生徒が、推薦を受けることにもなりかねない。
偏差値が廃止されてからは、生徒が先生の目をより意識するようになったのではないだろうか
中学生といえば、生意気盛り、反抗期真っ只中である。
そんな彼らに、先生に嫌われないように、いい子でいようとする、目に見えないプレッシャーが
あったのではないだろうか。
これは私感だが、この辺りから人と違う意見を言わないような風潮が目立ってきた
のではないだろうか。
入試に一番求められるのは、公平性だと思う。
偏差値を廃止した鳩山氏の考えは、現場を知らない人の考えではないだろうか。
最近、文部科学省は大学入試改革を検討している。
「知識偏重型」から「多面的総合評価」へ転換するという。
同省は大学に対して、評価方法別に入学した学生の追跡調査を求めるとしている。
評価方法別の入学試験とは・・・
課題を与えてその解決力や意欲を評価する。
部活や留学、ボランティア活動といった高校時代の実績を評価するなど。
極めてあいまいな選考基準だ。
部活やボランティア活動を強要することにもなりかねない。
まして留学が選考基準になるなら、留学したくてもできない生徒はどうなるのだろう。
選考基準に大学の思惑や政権の思惑が、多分に影響することも考えられる。
あくまでも入試はフェアでなくてはならない。
そして教育現場に政府があまり関与すべきではないと、私は思う。
まず政府は、現場の声に真摯に謙虚に耳を傾けて欲しいと思います。
歴史を見ても、教育から民主主義が始まり、教育から独裁政治が始まる。
独裁者はまず教育に手を付ける。
教科書問題といい、昨今の風潮を危惧します。
教育は政権から、もっと自由であるべきだと思います。
決して政権の理想を押し付けるものであってはならないと思います。
もう20年以上前になるだろうか、入学してくる生徒の態度が変わってきたことに気が付いた。
数か月前まで中学生だった生徒たちは、ノートを提出したがるのだ。
彼らのノートは綺麗に色分けされ、丁寧に清書してある。
「ノートなんて自分が読めればいいのよ」と言っても納得しない。
中学校では、ノートを提出する・先生の質問に率先して答える・質問をする等が
彼らの成績に大いに関わっていたという。
1992年、当時の鳩山邦夫文部大臣は、偏差値の廃止を決めた。
それまでは志望校を決めるにも、推薦入試を受けるにも、偏差値を基準にしてきた。
それが偏差値が無くなって、中学の進路指導は混乱したのではないだろうか。
私立高校は、推薦入学の生徒が多い。
偏差値ではなく、通知表で推薦してもらえるかどうかが決まることになる。
通知表の3と4、あるいは4と5では大違いだ。
一生懸命努力している態度を評価して欲しくて、解っている問題をわざわざ先生に聞きに行く
生徒もいると聞いた。
性格上、手を挙げて答えられない生徒だっている。
先生受けのいい生徒が、推薦を受けることにもなりかねない。
偏差値が廃止されてからは、生徒が先生の目をより意識するようになったのではないだろうか
中学生といえば、生意気盛り、反抗期真っ只中である。
そんな彼らに、先生に嫌われないように、いい子でいようとする、目に見えないプレッシャーが
あったのではないだろうか。
これは私感だが、この辺りから人と違う意見を言わないような風潮が目立ってきた
のではないだろうか。
入試に一番求められるのは、公平性だと思う。
偏差値を廃止した鳩山氏の考えは、現場を知らない人の考えではないだろうか。
最近、文部科学省は大学入試改革を検討している。
「知識偏重型」から「多面的総合評価」へ転換するという。
同省は大学に対して、評価方法別に入学した学生の追跡調査を求めるとしている。
評価方法別の入学試験とは・・・
課題を与えてその解決力や意欲を評価する。
部活や留学、ボランティア活動といった高校時代の実績を評価するなど。
極めてあいまいな選考基準だ。
部活やボランティア活動を強要することにもなりかねない。
まして留学が選考基準になるなら、留学したくてもできない生徒はどうなるのだろう。
選考基準に大学の思惑や政権の思惑が、多分に影響することも考えられる。
あくまでも入試はフェアでなくてはならない。
そして教育現場に政府があまり関与すべきではないと、私は思う。
まず政府は、現場の声に真摯に謙虚に耳を傾けて欲しいと思います。
歴史を見ても、教育から民主主義が始まり、教育から独裁政治が始まる。
独裁者はまず教育に手を付ける。
教科書問題といい、昨今の風潮を危惧します。
教育は政権から、もっと自由であるべきだと思います。
決して政権の理想を押し付けるものであってはならないと思います。