2015年7月30日の朝日新聞「核といのちを考える」に、元国際司法裁判所裁判長の
モハメド・ベジャウィ氏の言葉が載っていた。
「広島、長崎に投下された原爆と福島の原発事故を経験した日本は、世界で唯一、核兵器と
原発という軍事・民生両方の核エネルギーの被害者となった。
日本には、核兵器の非人道性を強く非難し、核兵器をなくす努力をする義務と責任がある。
その試練を経て、生命を重んじる側に軸足を置き、核戦争の狂気を人類に思い起こさせ、
原子力の危険性を訴える名誉ある役割を果たすべきであろう」 (引用ここまで)
私はこの言葉を読んで、頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。
原爆を落とされてあんな被害を受けた国は、日本だけだ。
原発事故であんな被害を受けた国は、ソビエト連邦(現ウクライナ)と日本だけなのだ。
それでも、福島第一原発事故が無かったかのように、【おざなりの対策】を取っただけ
で再稼働を急ごうとする。
人々がどんなに戦争の悲惨さを語っても、【自ら】アメリカに付いていき、戦争に
巻き込まれる危険性のある法案を押し通そうとする。
太平洋戦争が侵略戦争だったことも、従軍慰安婦の存在も認めようとしない。
国会での安倍首相の不毛の答弁を聞いていると、もしかしたら世界がぺらぺらの平面にしか
見えていないのではないかと思えてくる。
あらゆる角度から物事を見ることが出来ないのではないかと。
「自分がこうしたい」、そのためだったらどんなことも厭(いと)わない。
憲法だろうが、法律だろうが、そんなことは構っちゃいられない。
そんな千の、万の正論が通じない相手と闘い続けなければならない国民は、
たまったものではない。
国民の無関心・無責任が独裁を産む。
一度、権力を与えてしまったら、それを阻止するのは並大抵のことではない。
こうしたことを学び、国民が覚醒したことが、唯一の救いであろう。
モハメド・ベジャウィ氏の「日本の義務と責任」、「日本は名誉ある役割を
果たすべきであろう」という言葉を、政治家は今一度、噛み締めて欲しい。
目先の欲望だけに駆られるのではなく、「志」を持ち、世界における日本の役割を
広い視野で、今一度考え直して欲しい。
※長くなりましたので、追記1~3を独立させます。
モハメド・ベジャウィ氏の言葉が載っていた。
「広島、長崎に投下された原爆と福島の原発事故を経験した日本は、世界で唯一、核兵器と
原発という軍事・民生両方の核エネルギーの被害者となった。
日本には、核兵器の非人道性を強く非難し、核兵器をなくす努力をする義務と責任がある。
その試練を経て、生命を重んじる側に軸足を置き、核戦争の狂気を人類に思い起こさせ、
原子力の危険性を訴える名誉ある役割を果たすべきであろう」 (引用ここまで)
私はこの言葉を読んで、頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。
原爆を落とされてあんな被害を受けた国は、日本だけだ。
原発事故であんな被害を受けた国は、ソビエト連邦(現ウクライナ)と日本だけなのだ。
それでも、福島第一原発事故が無かったかのように、【おざなりの対策】を取っただけ
で再稼働を急ごうとする。
人々がどんなに戦争の悲惨さを語っても、【自ら】アメリカに付いていき、戦争に
巻き込まれる危険性のある法案を押し通そうとする。
太平洋戦争が侵略戦争だったことも、従軍慰安婦の存在も認めようとしない。
国会での安倍首相の不毛の答弁を聞いていると、もしかしたら世界がぺらぺらの平面にしか
見えていないのではないかと思えてくる。
あらゆる角度から物事を見ることが出来ないのではないかと。
「自分がこうしたい」、そのためだったらどんなことも厭(いと)わない。
憲法だろうが、法律だろうが、そんなことは構っちゃいられない。
そんな千の、万の正論が通じない相手と闘い続けなければならない国民は、
たまったものではない。
国民の無関心・無責任が独裁を産む。
一度、権力を与えてしまったら、それを阻止するのは並大抵のことではない。
こうしたことを学び、国民が覚醒したことが、唯一の救いであろう。
モハメド・ベジャウィ氏の「日本の義務と責任」、「日本は名誉ある役割を
果たすべきであろう」という言葉を、政治家は今一度、噛み締めて欲しい。
目先の欲望だけに駆られるのではなく、「志」を持ち、世界における日本の役割を
広い視野で、今一度考え直して欲しい。
※長くなりましたので、追記1~3を独立させます。