政権は、教科書検定で圧力をかけ、国立大学の卒業式や入学式での国旗掲揚・
国歌斉唱を強要し、教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院の廃止や転換を指示し、
マスコミに圧力をかけ、集会での取り締まりを強化する。
プラス、政権が考える「道徳教科化」、政権が考える「”自分で考える”道徳教育の推進」、
政権が考える「選挙における【教室での公平性】」、
こう書いているだけで、私は息苦しいほどの圧力を感じてしまう。
更に今回は、
東京都現代美術館(MOT)で現在行われている「おとなもこどもも考える
ここはだれの場所?」展に、会田誠さんのご家族3人が、学校制度への不満などを
「文部科学省に物申す」として書いた作品「檄文」と、首相に扮した会田さんが
演説する映像作品などを出品した。
この2点を館側が問題視し、撤去要請したという。
会田さんの「檄文」とコメントを見ることができます。
「檄文」をクリックして大きくして、< や > を使うと全文を読むことができます。
http://m-aida.tumblr.com/
「檄文」を読みましたが、誰もが感じている不満であり、政治色は感じられませんでした。
しかも、「しかるべき部署から要請がきたので、美術館として協議し……」とありますが、
クレームは1件だけだそうです。
これでは電話1本で、真っ当な作品が展示できなくなってしまいます。
会田さんは、
「檄文」については、家族の日常会話から「日本の教育への不満」を抜き出したものをベースに
したとし「『声を押し殺さなくていい』――その基本的な人生態度を、僕は子どもたちに
伝えたいと思いました」と主張している。
これでは何のために「ここはだれの場所?」と問題提起したのだろう。まさか ――
「おとなもこどもも考える ここは政府に従う人たちだけの場所」とでも言いたいのだろうか!
江戸時代だって、「諷刺」という文化があった。
今はこれさえも許さないというのか。
「檄文」はこの諷刺でさえない。
【誰もが感じていること】を代弁している作品だ。
怖ろしい世の中になってきたものだ。
「お上に逆らうものは」―― とでも、思い上がっているのだろうか。
それに合わせて、【自主規制、自主規制】と汲々と保身に務める人たちに言いたい。
これ以上、言いたいことがいえない、表現の自由が認められない(安倍首相だけは別)、
うすっぺらい日本になっていくのを、あなたは黙認するのですか?
会田さんがオサマ・ビン・ラディンに扮したり、キリストに扮したりするのを観たことがある。
是非、首相に扮した会田さんを観てみたいものだ。
ところで東京都現代美術館・館長様、「まだ観ることができますか?」
※私が、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」や上橋菜穂子さん(児童文学者)の
「守り人シリーズ」に感動するのは、「こどもだからわからない」とか、
「こどもだからもっとやさしく」とか、「こどもには残酷」とか、
「こどもには難し過ぎる」とか、「こどもはまだ知らなくていい」とか、
そういった観点からは描かれていないからです。
こどもの人格を大切にして、こどもの力を信じています。
お仕着せの【こども像】は、こどもの可能性を奪うだけです。
さまざまな情報の中から、こどもは自分で取捨選択していきます。
一方方向の情報ほど、こどもをスポイルするものはありません。
追記1
会田誠さん、奥様の岡田裕子さんをはじめ、いろいろな方のご意見を読むことが出来ます。
http://togetter.com/li/851853
たくさんのコメントがあって入りきらないようですが、下の方にあるカッコ内の
【残りを読む(156)】をクリックすると、どこかの首相に扮した会田さんが登場します。
この方は、誰に扮しても本物にしか見えない。爆笑しました。
(2015年7月28日 記)
追記2
8月1日の朝日新聞によると、
7月31日に東京都現代美術館の学芸担当課長であるチーフ・キュレーターらから、
会田さんの2作品を改変せず、展示を続行すると報告があったそうです。
ただし、館事業推進部は、「作品そのものには手を加えず、展示を続ける。子どもたちに
親しみやすくなるよう、話し合いを継続していきたい」と言っている。
「子どもたちに親しみやすくなるよう」とは、具体的にどういうことを目指しているのだろう。
もともと檄文そのものが、親しみやすいものではない。
「作品そのものには手を加えず」と言っているので、「~してくださいね」とか、
言い方を変える方向でということではないらしい。では、かわいいお花で檄文を縁取る?
どうも歯切れが悪い。
最後まで自分たちの非を認めず、「しょうがないから許可してやった」という
驕りや上から目線を感じてしまう。
「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」→ここはおえらい公務員だけの
場所ではありません。
公僕(public servant=公衆に奉仕する者)という言葉は、死語になってしまったのだろうか。
(2015年8月1日 記)
国歌斉唱を強要し、教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院の廃止や転換を指示し、
マスコミに圧力をかけ、集会での取り締まりを強化する。
プラス、政権が考える「道徳教科化」、政権が考える「”自分で考える”道徳教育の推進」、
政権が考える「選挙における【教室での公平性】」、
こう書いているだけで、私は息苦しいほどの圧力を感じてしまう。
更に今回は、
東京都現代美術館(MOT)で現在行われている「おとなもこどもも考える
ここはだれの場所?」展に、会田誠さんのご家族3人が、学校制度への不満などを
「文部科学省に物申す」として書いた作品「檄文」と、首相に扮した会田さんが
演説する映像作品などを出品した。
この2点を館側が問題視し、撤去要請したという。
会田さんの「檄文」とコメントを見ることができます。
「檄文」をクリックして大きくして、< や > を使うと全文を読むことができます。
http://m-aida.tumblr.com/
「檄文」を読みましたが、誰もが感じている不満であり、政治色は感じられませんでした。
しかも、「しかるべき部署から要請がきたので、美術館として協議し……」とありますが、
クレームは1件だけだそうです。
これでは電話1本で、真っ当な作品が展示できなくなってしまいます。
会田さんは、
「檄文」については、家族の日常会話から「日本の教育への不満」を抜き出したものをベースに
したとし「『声を押し殺さなくていい』――その基本的な人生態度を、僕は子どもたちに
伝えたいと思いました」と主張している。
これでは何のために「ここはだれの場所?」と問題提起したのだろう。まさか ――
「おとなもこどもも考える ここは政府に従う人たちだけの場所」とでも言いたいのだろうか!
江戸時代だって、「諷刺」という文化があった。
今はこれさえも許さないというのか。
「檄文」はこの諷刺でさえない。
【誰もが感じていること】を代弁している作品だ。
怖ろしい世の中になってきたものだ。
「お上に逆らうものは」―― とでも、思い上がっているのだろうか。
それに合わせて、【自主規制、自主規制】と汲々と保身に務める人たちに言いたい。
これ以上、言いたいことがいえない、表現の自由が認められない(安倍首相だけは別)、
うすっぺらい日本になっていくのを、あなたは黙認するのですか?
会田さんがオサマ・ビン・ラディンに扮したり、キリストに扮したりするのを観たことがある。
是非、首相に扮した会田さんを観てみたいものだ。
ところで東京都現代美術館・館長様、「まだ観ることができますか?」
※私が、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」や上橋菜穂子さん(児童文学者)の
「守り人シリーズ」に感動するのは、「こどもだからわからない」とか、
「こどもだからもっとやさしく」とか、「こどもには残酷」とか、
「こどもには難し過ぎる」とか、「こどもはまだ知らなくていい」とか、
そういった観点からは描かれていないからです。
こどもの人格を大切にして、こどもの力を信じています。
お仕着せの【こども像】は、こどもの可能性を奪うだけです。
さまざまな情報の中から、こどもは自分で取捨選択していきます。
一方方向の情報ほど、こどもをスポイルするものはありません。
追記1
会田誠さん、奥様の岡田裕子さんをはじめ、いろいろな方のご意見を読むことが出来ます。
http://togetter.com/li/851853
たくさんのコメントがあって入りきらないようですが、下の方にあるカッコ内の
【残りを読む(156)】をクリックすると、どこかの首相に扮した会田さんが登場します。
この方は、誰に扮しても本物にしか見えない。爆笑しました。
(2015年7月28日 記)
追記2
8月1日の朝日新聞によると、
7月31日に東京都現代美術館の学芸担当課長であるチーフ・キュレーターらから、
会田さんの2作品を改変せず、展示を続行すると報告があったそうです。
ただし、館事業推進部は、「作品そのものには手を加えず、展示を続ける。子どもたちに
親しみやすくなるよう、話し合いを継続していきたい」と言っている。
「子どもたちに親しみやすくなるよう」とは、具体的にどういうことを目指しているのだろう。
もともと檄文そのものが、親しみやすいものではない。
「作品そのものには手を加えず」と言っているので、「~してくださいね」とか、
言い方を変える方向でということではないらしい。では、かわいいお花で檄文を縁取る?
どうも歯切れが悪い。
最後まで自分たちの非を認めず、「しょうがないから許可してやった」という
驕りや上から目線を感じてしまう。
「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」→ここはおえらい公務員だけの
場所ではありません。
公僕(public servant=公衆に奉仕する者)という言葉は、死語になってしまったのだろうか。
(2015年8月1日 記)