1955年公開のフランス映画、アラン・レネ監督の「夜と霧」を観る。
「夜と霧」とは、もともとはヒトラーによって出された命令の名称で、その目的は、
ユダヤ人を始め、ナチスに反対するあらゆる人間を、密かに夜間逮捕し、
強制収容所に送り込むことであった。
一夜で家族ぐるみ、まるで霧のように消え失せてしまったことから、この名前がつけられた。
ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所の、たった30分の映像である。
記録映画のモノクロ映像と、廃墟となって茫漠とした空間だけが支配する、
10年後のカラー映像。
アラン・レネは、死者の記念碑を建てることではなく、現在と未来を考えることを目的にした。
(人間の死体が、鶏よりも魚よりも材木よりも、荒荒しく扱われる。
死体が人間であるという感覚が麻痺してくる)
ナチスの、カポも将校もいう。
「命令に従っただけ、責任はない」
では誰が責任を。
今もカポが、将校が、密告者が、一緒にいる。
ここには、900万の霊がさまよう。
我々の中の誰が戦争を警戒し、知らせるのか、次の戦争を妨げるか。
次の言葉が重い。
信じる人、あるいは信じない人
廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は
遠ざかる映像の前で 希望が回復した振りをする
ある国の ある時期における特別な話と言い聞かせ――
消えやらぬ悲鳴に耳を貸さぬ 我々がいる
(画像はお借りしました)
「夜と霧」とは、もともとはヒトラーによって出された命令の名称で、その目的は、
ユダヤ人を始め、ナチスに反対するあらゆる人間を、密かに夜間逮捕し、
強制収容所に送り込むことであった。
一夜で家族ぐるみ、まるで霧のように消え失せてしまったことから、この名前がつけられた。
ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所の、たった30分の映像である。
記録映画のモノクロ映像と、廃墟となって茫漠とした空間だけが支配する、
10年後のカラー映像。
アラン・レネは、死者の記念碑を建てることではなく、現在と未来を考えることを目的にした。
(人間の死体が、鶏よりも魚よりも材木よりも、荒荒しく扱われる。
死体が人間であるという感覚が麻痺してくる)
ナチスの、カポも将校もいう。
「命令に従っただけ、責任はない」
では誰が責任を。
今もカポが、将校が、密告者が、一緒にいる。
ここには、900万の霊がさまよう。
我々の中の誰が戦争を警戒し、知らせるのか、次の戦争を妨げるか。
次の言葉が重い。
信じる人、あるいは信じない人
廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は
遠ざかる映像の前で 希望が回復した振りをする
ある国の ある時期における特別な話と言い聞かせ――
消えやらぬ悲鳴に耳を貸さぬ 我々がいる
(画像はお借りしました)