中村文則著『教団 X』は、567頁に及ぶ壮大な物語です。
「現在」がふんだんに盛り込まれていて、ここで起きている様々なことが、
まるで現実であるかのような錯覚に陥ります。
「国」というもの、「企業」というもの、そして「人間」というもの、
その底知れぬ怖さを思い知らされます。
そして最後に、ジグソーパズルの数多くのピースがピタッと納まるように、
うっすらとではあるが、希望のあかりが見えてきます。
作者の、今書かずにはいられない強い思いが、読者にビンビン伝わってきます。
心に残った言葉の一部を引用させて頂きます。
(1)NHK不払い運動をしようと思いながら私の一存ではいかず、
引き落とされた年間一括¥24770の重みを感じていたところ、
次の提案を見つけ大いに共感を覚えました。
「…日本のことで言えば、NHKを二つに分けたい。NHKは国民の受信料で運営しているから、
国の権力からも、企業からも本来は独立しているはずなのに、政府の顔色を窺ってしまう。
もちろん理由はある。
国民から選ばれた政府の顔色を窺うのは国民の顔色を窺うことと同じという論理。
でもそれは違う。だからといって、NHKに、政府に攻撃的な放送ばかりさせるのも
妙だから二つに分けたい。
一つはこれまでのように公平で安定した報道をするNHK。それにももちろん大きな価値が
ある。そしてもう一つは、イギリスBBCをもっと推し進めたような、挑発的にスクープを連発
する先鋭的な国民放送。
企業の『犯罪』だけを取り上げるのではなく、企業の『犯罪的な利益追求』もきちんと
取り上げさせる。企業広告と関係のない強力なメディアの出現を望みたい」(引用ここまで)
(これだったら喜んで受信料をお払いします。NHKは是非、お考えください)
※参考までに
「元NHK職員が『受信料支払いの凍結』呼びかけ 6月10日 週刊金曜日編集部 BLOGOS」
http://blogos.com/article/178957/
(2)私は舛添さんを弁護する気はさらさらありませんし、お子さんのためにも
早く払うものは払って辞職しては、と思っています。
ですが、お昼のどのチャンネルを回しても、出てくる出てくる、舛添バッシングの
凄まじさ。人々にインタビューを繰り返し、ひどいですね~、せこいですね~、
早く辞めて欲しいですね~のオンパレード。
東京オリンピック招致の「お・も・て・な・し」の時と同じ、
国が一色に染められてゆく不気味さを感じます。
このこととは趣が違うかも知れませんが、「気持ちよさ」について引用させて頂きます。
「今、日本の中に気持ちよくなろうとしている勢力があります。第二次世界大戦の時、日本は
気持ちよさを求めた。個人より全体、国家を崇めよ。その熱狂の中に身を置くことには
快楽があった。人々は自分の卑小さを忘れることができ、大きな「大義」を得ることで、
自分の人生を自分で考えなければならない「自由」という「苦労」から解放された。
今日本の一部は、あの熱狂を再現しようとしている。
確かに気持ちがいいでしょう。日本人としての誇りを感じ、例えば何者かを命を懸けるほど
崇め、国旗に向かって敬礼する。気持ちがいいでしょう。
ですが、その気持ちがいいという状態は、ほんの少しのきっかけで暴走を生む、
人類にとって非常に危険な状態なのです。
ナチス政権下でのドイツで、ハイル・ヒトラーと叫び右手を挙げていた当時の国民達の
中には、そこに快楽を感じていた者が大勢いたでしょう。人間が陥るあの状態を、
もう繰り返してはならない。これは日本だけのことではありません。
昔から現在に至るまで、世界のあちこちでこの気持ちよさは生まれています。
第二次世界大戦の前から敗戦まで、日本の政権は17回代わりました。でも戦争の
泥濘の一途を辿った。日本ではシステムが出来上がればもう止めることができない。
気持ちがいい、という状態をつくった政府は、その気持ちよくなってしまった自分達も
国民達も止めることができなくなった。いくらトップが代わっても、中ほどにいる気持ち
よくなってしまっている軍人達は、降伏など考えられなくなってしまった。
部下達に滅茶苦茶な作戦を命令し続けていた。
あの戦争において世界中から怒りを買った関東軍の中国での暴走を思い出してください。
穏健な政治家達もあの暴走を止めることができなかった。
あの気持ちがいい状態のまま、平和国家としてバランスを保つのは不可能です。
今の政治家に、そんなバランスを保つ力量があるとお思いですか?
1億2千万人全てを、丁度いい全体主義の気持ちよさのバランスで永遠に保つなんて
ことが?また同じように暴走していくだけです。
あの気持ちよさが復活すれば日本は危険な状態になる。日本人以外を迫害し、
その気持ちよさに溺れ、また歴史に汚点も残すでしょう、第二次世界大戦の時と同じです。
一部が暴走し、皆がそれに引っ張られていく。
我々がしなければならないのは、あの戦死者達を英雄としてではなく犠牲者として
心から追悼することです。もちろん、あなた達は英雄である、として戦地に行かせて死なせ、
戦後突然、あなた達は犠牲者だったというのは酷い話です。
ですが、この酷い話を通過しなければ私達は前に進めない。
国のトップが代表として、亡くなった兵士達に頭を下げるべきなのです。
泣きながら彼らに語るべきなのです。
私達は平和を望む。あの気持ちよさを復活させてはならない。だから誠に勝手では
あるけれども、酷い話ではあるけれども、あなた達をこれから犠牲者として扱いますと。
私達は、あなた達を英雄として戦地に送り出し、そして犠牲者に変えたことを永久に意識
し続けると。そしてあなた達をを追悼し続けますと。
重すぎる教訓として、あなた達の全てを私達は受け止め続けると。
そしてその代わりとして、その償いとして、我々は世界を平和にすると」 (引用ここまで)
(②につづく)
「現在」がふんだんに盛り込まれていて、ここで起きている様々なことが、
まるで現実であるかのような錯覚に陥ります。
「国」というもの、「企業」というもの、そして「人間」というもの、
その底知れぬ怖さを思い知らされます。
そして最後に、ジグソーパズルの数多くのピースがピタッと納まるように、
うっすらとではあるが、希望のあかりが見えてきます。
作者の、今書かずにはいられない強い思いが、読者にビンビン伝わってきます。
心に残った言葉の一部を引用させて頂きます。
(1)NHK不払い運動をしようと思いながら私の一存ではいかず、
引き落とされた年間一括¥24770の重みを感じていたところ、
次の提案を見つけ大いに共感を覚えました。
「…日本のことで言えば、NHKを二つに分けたい。NHKは国民の受信料で運営しているから、
国の権力からも、企業からも本来は独立しているはずなのに、政府の顔色を窺ってしまう。
もちろん理由はある。
国民から選ばれた政府の顔色を窺うのは国民の顔色を窺うことと同じという論理。
でもそれは違う。だからといって、NHKに、政府に攻撃的な放送ばかりさせるのも
妙だから二つに分けたい。
一つはこれまでのように公平で安定した報道をするNHK。それにももちろん大きな価値が
ある。そしてもう一つは、イギリスBBCをもっと推し進めたような、挑発的にスクープを連発
する先鋭的な国民放送。
企業の『犯罪』だけを取り上げるのではなく、企業の『犯罪的な利益追求』もきちんと
取り上げさせる。企業広告と関係のない強力なメディアの出現を望みたい」(引用ここまで)
(これだったら喜んで受信料をお払いします。NHKは是非、お考えください)
※参考までに
「元NHK職員が『受信料支払いの凍結』呼びかけ 6月10日 週刊金曜日編集部 BLOGOS」
http://blogos.com/article/178957/
(2)私は舛添さんを弁護する気はさらさらありませんし、お子さんのためにも
早く払うものは払って辞職しては、と思っています。
ですが、お昼のどのチャンネルを回しても、出てくる出てくる、舛添バッシングの
凄まじさ。人々にインタビューを繰り返し、ひどいですね~、せこいですね~、
早く辞めて欲しいですね~のオンパレード。
東京オリンピック招致の「お・も・て・な・し」の時と同じ、
国が一色に染められてゆく不気味さを感じます。
このこととは趣が違うかも知れませんが、「気持ちよさ」について引用させて頂きます。
「今、日本の中に気持ちよくなろうとしている勢力があります。第二次世界大戦の時、日本は
気持ちよさを求めた。個人より全体、国家を崇めよ。その熱狂の中に身を置くことには
快楽があった。人々は自分の卑小さを忘れることができ、大きな「大義」を得ることで、
自分の人生を自分で考えなければならない「自由」という「苦労」から解放された。
今日本の一部は、あの熱狂を再現しようとしている。
確かに気持ちがいいでしょう。日本人としての誇りを感じ、例えば何者かを命を懸けるほど
崇め、国旗に向かって敬礼する。気持ちがいいでしょう。
ですが、その気持ちがいいという状態は、ほんの少しのきっかけで暴走を生む、
人類にとって非常に危険な状態なのです。
ナチス政権下でのドイツで、ハイル・ヒトラーと叫び右手を挙げていた当時の国民達の
中には、そこに快楽を感じていた者が大勢いたでしょう。人間が陥るあの状態を、
もう繰り返してはならない。これは日本だけのことではありません。
昔から現在に至るまで、世界のあちこちでこの気持ちよさは生まれています。
第二次世界大戦の前から敗戦まで、日本の政権は17回代わりました。でも戦争の
泥濘の一途を辿った。日本ではシステムが出来上がればもう止めることができない。
気持ちがいい、という状態をつくった政府は、その気持ちよくなってしまった自分達も
国民達も止めることができなくなった。いくらトップが代わっても、中ほどにいる気持ち
よくなってしまっている軍人達は、降伏など考えられなくなってしまった。
部下達に滅茶苦茶な作戦を命令し続けていた。
あの戦争において世界中から怒りを買った関東軍の中国での暴走を思い出してください。
穏健な政治家達もあの暴走を止めることができなかった。
あの気持ちがいい状態のまま、平和国家としてバランスを保つのは不可能です。
今の政治家に、そんなバランスを保つ力量があるとお思いですか?
1億2千万人全てを、丁度いい全体主義の気持ちよさのバランスで永遠に保つなんて
ことが?また同じように暴走していくだけです。
あの気持ちよさが復活すれば日本は危険な状態になる。日本人以外を迫害し、
その気持ちよさに溺れ、また歴史に汚点も残すでしょう、第二次世界大戦の時と同じです。
一部が暴走し、皆がそれに引っ張られていく。
我々がしなければならないのは、あの戦死者達を英雄としてではなく犠牲者として
心から追悼することです。もちろん、あなた達は英雄である、として戦地に行かせて死なせ、
戦後突然、あなた達は犠牲者だったというのは酷い話です。
ですが、この酷い話を通過しなければ私達は前に進めない。
国のトップが代表として、亡くなった兵士達に頭を下げるべきなのです。
泣きながら彼らに語るべきなのです。
私達は平和を望む。あの気持ちよさを復活させてはならない。だから誠に勝手では
あるけれども、酷い話ではあるけれども、あなた達をこれから犠牲者として扱いますと。
私達は、あなた達を英雄として戦地に送り出し、そして犠牲者に変えたことを永久に意識
し続けると。そしてあなた達をを追悼し続けますと。
重すぎる教訓として、あなた達の全てを私達は受け止め続けると。
そしてその代わりとして、その償いとして、我々は世界を平和にすると」 (引用ここまで)
(②につづく)