●私は自民党を支持していない。石破茂さんのことも支持していない。
特に安全保障に対する彼の考え方とは、相容れないものがある。
だが7月8日の『時事放談』に出演していた石破さんの言葉には賛同した。
そして、安倍氏の紋切り型の言葉にうんざりしていたので、とても新鮮に感じた。
やっと人間の声が聞けた!
石破さんの言葉の一部を引用させて頂きます。
「最初に当選する前に、私は渡辺美智雄氏から
『政治の仕事って何だ。勇気と真心をもって真実を語るのだと言われた。
それ以外は仕事じゃない』、と。
『真実は自分で見つけろ。
そしてそれは、必ずしもみんなが拍手喝采することではない。
だけどそれを語る勇気を持て。
そして解かってもらえる真心を持て。
勇気と真心をもって真実を語る政治でありたい。
政治はそうあるべきだ。
本当のことは自分で見つける。
そしてそれは決してみんなが拍手喝采しない。
でもそれを正面から語る。
【この程度の国民にこの程度の政治】
というのが大っ嫌いなんです。
それは政治が、国民に正面から向き合って、
本当に解ってもらえる努力を一生懸命にする。
どうせわかりゃせんよとか、
これを言うと票が減るとか、
そんなんだったら、私は政治とは思わないですよ』」
質問:この国をどうしようと思っているのか。
「それは多分、後世の教科書で何ページも使う時代だと思う。
つまり今までのモデルが全く通用しない。
高度成長モデル、発展途上国モデル、全く通用しない。
人口は80年で半分です。安全保障の環境は、今までと全く違う。
今までの経験則が通用しない時代に、我々は生きていかなければならない。
その時に、人口は減るは、安全保障の環境は大変になったみたいなことばかり
言っても仕方がない。
これをどうやって乗り越えていくのか、
人口はしばらく減ります。
だったらどうやって経済を維持するのか、
そういう具体的なプランがなければいけない。
消費税を上げて社会保障を切るのだったら、それは簡単だ。
だけどそんなことをしてはいけない。
どうやって消費税を上げるにふさわしい経済環境を作るのか、
社会保障の質を下げないで、どうやってこれを維持していくんですか。
おそらくこれは誰もやったことがない。
国民に対して、今はいいですよ。
ですけど、5年先、10年先、15年先、
どういう日本になるのか。
危機感を共有して、
こういう未来を一緒にやろう、
それが大切だと思います」
その後、石破さんは1940年2月2日の斎藤隆夫の『反軍演説』について語った。
「『我が国はかって支那と戦った。その戦いにおいても
東洋永遠の平和が唱えられたのである。
次にロシアと戦った。その時も
東洋永遠の平和が唱えられたのである。
また平和を目的として戦後の条約も締結せられたのでありますが、
平和は得られましたか、得られないではないか』
斎藤隆夫は、当時の軍部の政治介入や、内閣の責任など1時間半にわたって演説した。
そして次の言葉でしめくくった。
『国民は従順だ。
それは政府がなんとかしてくれる
だろうと思っているが、
それが裏切られた時に
国民は奈落の底に、失意のどん底に
たたき落とされる。
総理は私の質問に答えるだけでなく、
この議場で国民の理解を求める。
それがあなたの仕事です』
ああいう時代にあっても、本当のことを言わなきゃいけない。
暗殺の危険もあったでしょうし、
実際に除名にもなった。
それでもなんのために政治家になったんだ。
この『反軍演説』に対して、除名投票が行われた。
賛成 296
棄権 144
反対 7
斎藤隆夫が除名になった後で大きな動きがあった。
1940年10月2日 大政翼賛会発足
1941年10月18日 東條英機内閣発足
12月8日 太平洋戦争」 (引用ここまで)
言うべき時に、反対すべき時に、勇気をもって行動しないと
取り返しのつかないことになります。
国民の生活と命がかかっているのだから、
自民党議員と自民党員は肝に銘じて投票してください!!!!!
①「竹下総務会長“石破氏支持”の意向 総裁選
8月4日 日テレ NEWS24 (動画あり)」
http://www.news24.jp/articles/2018/08/04/04400597.html
●大きなうねりになれ!!!!!
②「つなぐ 戦後73年祈りと怒りの原爆忌
首相、核禁止条約なお【不参加】
8月7日 東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018080790070501.html
↓

(画像はお借りしました)







(画像はお借りしました)
特に安全保障に対する彼の考え方とは、相容れないものがある。
だが7月8日の『時事放談』に出演していた石破さんの言葉には賛同した。
そして、安倍氏の紋切り型の言葉にうんざりしていたので、とても新鮮に感じた。
やっと人間の声が聞けた!
石破さんの言葉の一部を引用させて頂きます。
「最初に当選する前に、私は渡辺美智雄氏から
『政治の仕事って何だ。勇気と真心をもって真実を語るのだと言われた。
それ以外は仕事じゃない』、と。
『真実は自分で見つけろ。
そしてそれは、必ずしもみんなが拍手喝采することではない。
だけどそれを語る勇気を持て。
そして解かってもらえる真心を持て。
勇気と真心をもって真実を語る政治でありたい。
政治はそうあるべきだ。
本当のことは自分で見つける。
そしてそれは決してみんなが拍手喝采しない。
でもそれを正面から語る。
【この程度の国民にこの程度の政治】
というのが大っ嫌いなんです。
それは政治が、国民に正面から向き合って、
本当に解ってもらえる努力を一生懸命にする。
どうせわかりゃせんよとか、
これを言うと票が減るとか、
そんなんだったら、私は政治とは思わないですよ』」
質問:この国をどうしようと思っているのか。
「それは多分、後世の教科書で何ページも使う時代だと思う。
つまり今までのモデルが全く通用しない。
高度成長モデル、発展途上国モデル、全く通用しない。
人口は80年で半分です。安全保障の環境は、今までと全く違う。
今までの経験則が通用しない時代に、我々は生きていかなければならない。
その時に、人口は減るは、安全保障の環境は大変になったみたいなことばかり
言っても仕方がない。
これをどうやって乗り越えていくのか、
人口はしばらく減ります。
だったらどうやって経済を維持するのか、
そういう具体的なプランがなければいけない。
消費税を上げて社会保障を切るのだったら、それは簡単だ。
だけどそんなことをしてはいけない。
どうやって消費税を上げるにふさわしい経済環境を作るのか、
社会保障の質を下げないで、どうやってこれを維持していくんですか。
おそらくこれは誰もやったことがない。
国民に対して、今はいいですよ。
ですけど、5年先、10年先、15年先、
どういう日本になるのか。
危機感を共有して、
こういう未来を一緒にやろう、
それが大切だと思います」
その後、石破さんは1940年2月2日の斎藤隆夫の『反軍演説』について語った。
「『我が国はかって支那と戦った。その戦いにおいても
東洋永遠の平和が唱えられたのである。
次にロシアと戦った。その時も
東洋永遠の平和が唱えられたのである。
また平和を目的として戦後の条約も締結せられたのでありますが、
平和は得られましたか、得られないではないか』
斎藤隆夫は、当時の軍部の政治介入や、内閣の責任など1時間半にわたって演説した。
そして次の言葉でしめくくった。
『国民は従順だ。
それは政府がなんとかしてくれる
だろうと思っているが、
それが裏切られた時に
国民は奈落の底に、失意のどん底に
たたき落とされる。
総理は私の質問に答えるだけでなく、
この議場で国民の理解を求める。
それがあなたの仕事です』
ああいう時代にあっても、本当のことを言わなきゃいけない。
暗殺の危険もあったでしょうし、
実際に除名にもなった。
それでもなんのために政治家になったんだ。
この『反軍演説』に対して、除名投票が行われた。
賛成 296
棄権 144
反対 7
斎藤隆夫が除名になった後で大きな動きがあった。
1940年10月2日 大政翼賛会発足
1941年10月18日 東條英機内閣発足
12月8日 太平洋戦争」 (引用ここまで)
言うべき時に、反対すべき時に、勇気をもって行動しないと
取り返しのつかないことになります。
国民の生活と命がかかっているのだから、
自民党議員と自民党員は肝に銘じて投票してください!!!!!
①「竹下総務会長“石破氏支持”の意向 総裁選
8月4日 日テレ NEWS24 (動画あり)」
http://www.news24.jp/articles/2018/08/04/04400597.html
●大きなうねりになれ!!!!!
②「つなぐ 戦後73年祈りと怒りの原爆忌
首相、核禁止条約なお【不参加】
8月7日 東京新聞」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018080790070501.html
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(画像はお借りしました)







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