昨年はブログをお読みくださりありがとうございます。
2024年1月1日、年が明けて早々マグニチュード7・6の
能登半島地震が起きました。
被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
日本はいつどこで地震が起きてもおかしくない地震大国だという
ことを痛感しました。
だが明日は我が身かもしれないということが分かっているのに、
なぜいつも備えが十分でないのでしょう。
避難所になっている体育館の床に直に寝る映像を
これまで何度観てきたことでしょう。
防衛費43兆円の数十分の1の税金を使うだけで、日本中の避難所に
指定されている場所に、簡易ベッドや寝具、段ボールの間仕切り、水、
当座の食料品、災害用のトイレ、生活必需品などを
日頃から常備することができるのに。
税金は国民の生活や命を守ることに使って欲しいです。
1975年に珠洲(すず)市が原発建設予定地であったということを、
今回初めて知りました。
住民の反対で計画は頓挫したそうですが、建設されていたら
どうなっていたでしょう。想像するだけで怖ろしいです。
地震大国、災害大国である日本で原発を稼働させることに、私は反対です。
追記1
1月31日の「news23」の録画を観ていたら、このことを特集していた。
珠洲市の高屋(たかや)地区に関西電力が、寺家(じけ)地区に中部電力が
原発を建設する予定だったそうです。
当時のパンフレットが残っていました。
「地震がきたって大丈夫」
反対運動は30年に及び、2003年に計画が凍結されたそうです。
建設予定地だったこの地は今回の地震の震源に近く、震度7の地震のほか
津波、そして隆起も起きていました。
人間は活断層のことをどれだけ理解しているのでしょう。
想定外のことが起きるのが自然災害です。(追記はここまで)
私のお正月は病院で迎えました。
気管支喘息を33年患い、強い薬も使ってきたので、気管支の一部に
大きな黒い穴が開いてしまったそうです。(CTにくっきり写っています)
そこに人間なら誰でも持っているなんでもない細菌が付着するだけで
肺炎を起こし、入院になってしまうとのこと。
このことは以前から主治医に言われていたのですが、
娘たちとクリスマスパーティをするという誘惑にかられ、
年末年始に救急外来を2往復し、1月5日に入院となった次第です。
病院から見る朝焼け、夕焼けはこの世のものとは思えないくらい
美しかったです。
田んぼの中に建てられた病院なので、360度見渡せます。
そして地平線がゆるやかな曲線を描いているのが分かります。
これからは子どもや孫たち、妹や友だちと会うことはないでしょう。
夫以外の人とは極力会わず、病院と買い物、そしてあたたかい季節には
畑道への散歩、それ以外は引きこもる。
GAOの曲ではないけれど、「これが人生、これが運命!」
気力、体力、脳力の衰えは甚だしく、夫の力を借りて生活しています。
夫に料理の助手をしてもらうのが新鮮です。
そして毎日少しずつ身の回りのものを処分しています。
これまでせっせせっせと溜めてきたものを、せっせせっせと処分する。
足し算人生が引き算人生になった気分です。
「私が死んだら捨てるもの」と書いた小さなダンボールの中に、
卒業証書を入れた時はグッときました。
これまでやりたいことはしてきたので、個人的にやり残しはないです。
それでも「脱原発」は私のライフワークなので、これからも署名と
ささやかな寄付だけは続けていこうと思っています。
年明け早々失礼しました。
このブログも細々と続けていくつもりですので
よろしくお願いします。
追記2
上にも書きましたように、「私の気管支の一部に
大きな黒い穴が開いているそうです。
そこに人間なら誰でも持っているなんでもない細菌が付着するだけで
肺炎を起こし、入院になってしまう」とのこと。
確かにその通りでしょう。
私は数年前から劇(劇薬のこと)と書かれた生物学的製剤の注射を
2週間に1度、自分で打っています。
昨日、何気なく「生物学的製剤」と検索したところ、
デメリットとして次のように書かれていました。
「生物学的製剤は免疫の働きを抑える薬ですから、
注意しないと肺炎や結核などの感染症が起こることがあります。」
私が使っている生物学的製剤(デュピクセント)はアトピー性皮膚炎、
気管支喘息、慢性副鼻腔炎、突発性慢性蕁麻疹などに効く注射です。
過剰な免疫反応を起こさないようにすれば、
気管支喘息は起こりにくくなるのでしょう。
しかしこれにより正常な免疫の働きをも阻害するものであれば、
さまざまな感染症にあまりにも無防備であると言わざるを得ません。
私が肺炎で入院したのは2022年11月、2024年1月の2回だけです。
ともに生物学的製剤を使っています。
注射を始める前に、主治医にこうしたデメリットについて
説明を受けたかったと思います。
喘息を抑える代わりに、子や孫、妹や友との接触を控えなくては
ならないのは辛いです。
(2024年11月7日 記)
2024年1月1日、年が明けて早々マグニチュード7・6の
能登半島地震が起きました。
被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
日本はいつどこで地震が起きてもおかしくない地震大国だという
ことを痛感しました。
だが明日は我が身かもしれないということが分かっているのに、
なぜいつも備えが十分でないのでしょう。
避難所になっている体育館の床に直に寝る映像を
これまで何度観てきたことでしょう。
防衛費43兆円の数十分の1の税金を使うだけで、日本中の避難所に
指定されている場所に、簡易ベッドや寝具、段ボールの間仕切り、水、
当座の食料品、災害用のトイレ、生活必需品などを
日頃から常備することができるのに。
税金は国民の生活や命を守ることに使って欲しいです。
1975年に珠洲(すず)市が原発建設予定地であったということを、
今回初めて知りました。
住民の反対で計画は頓挫したそうですが、建設されていたら
どうなっていたでしょう。想像するだけで怖ろしいです。
地震大国、災害大国である日本で原発を稼働させることに、私は反対です。
追記1
1月31日の「news23」の録画を観ていたら、このことを特集していた。
珠洲市の高屋(たかや)地区に関西電力が、寺家(じけ)地区に中部電力が
原発を建設する予定だったそうです。
当時のパンフレットが残っていました。
「地震がきたって大丈夫」
反対運動は30年に及び、2003年に計画が凍結されたそうです。
建設予定地だったこの地は今回の地震の震源に近く、震度7の地震のほか
津波、そして隆起も起きていました。
人間は活断層のことをどれだけ理解しているのでしょう。
想定外のことが起きるのが自然災害です。(追記はここまで)
私のお正月は病院で迎えました。
気管支喘息を33年患い、強い薬も使ってきたので、気管支の一部に
大きな黒い穴が開いてしまったそうです。(CTにくっきり写っています)
そこに人間なら誰でも持っているなんでもない細菌が付着するだけで
肺炎を起こし、入院になってしまうとのこと。
このことは以前から主治医に言われていたのですが、
娘たちとクリスマスパーティをするという誘惑にかられ、
年末年始に救急外来を2往復し、1月5日に入院となった次第です。
病院から見る朝焼け、夕焼けはこの世のものとは思えないくらい
美しかったです。
田んぼの中に建てられた病院なので、360度見渡せます。
そして地平線がゆるやかな曲線を描いているのが分かります。
これからは子どもや孫たち、妹や友だちと会うことはないでしょう。
夫以外の人とは極力会わず、病院と買い物、そしてあたたかい季節には
畑道への散歩、それ以外は引きこもる。
GAOの曲ではないけれど、「これが人生、これが運命!」
気力、体力、脳力の衰えは甚だしく、夫の力を借りて生活しています。
夫に料理の助手をしてもらうのが新鮮です。
そして毎日少しずつ身の回りのものを処分しています。
これまでせっせせっせと溜めてきたものを、せっせせっせと処分する。
足し算人生が引き算人生になった気分です。
「私が死んだら捨てるもの」と書いた小さなダンボールの中に、
卒業証書を入れた時はグッときました。
これまでやりたいことはしてきたので、個人的にやり残しはないです。
それでも「脱原発」は私のライフワークなので、これからも署名と
ささやかな寄付だけは続けていこうと思っています。
年明け早々失礼しました。
このブログも細々と続けていくつもりですので
よろしくお願いします。
追記2
上にも書きましたように、「私の気管支の一部に
大きな黒い穴が開いているそうです。
そこに人間なら誰でも持っているなんでもない細菌が付着するだけで
肺炎を起こし、入院になってしまう」とのこと。
確かにその通りでしょう。
私は数年前から劇(劇薬のこと)と書かれた生物学的製剤の注射を
2週間に1度、自分で打っています。
昨日、何気なく「生物学的製剤」と検索したところ、
デメリットとして次のように書かれていました。
「生物学的製剤は免疫の働きを抑える薬ですから、
注意しないと肺炎や結核などの感染症が起こることがあります。」
私が使っている生物学的製剤(デュピクセント)はアトピー性皮膚炎、
気管支喘息、慢性副鼻腔炎、突発性慢性蕁麻疹などに効く注射です。
過剰な免疫反応を起こさないようにすれば、
気管支喘息は起こりにくくなるのでしょう。
しかしこれにより正常な免疫の働きをも阻害するものであれば、
さまざまな感染症にあまりにも無防備であると言わざるを得ません。
私が肺炎で入院したのは2022年11月、2024年1月の2回だけです。
ともに生物学的製剤を使っています。
注射を始める前に、主治医にこうしたデメリットについて
説明を受けたかったと思います。
喘息を抑える代わりに、子や孫、妹や友との接触を控えなくては
ならないのは辛いです。
(2024年11月7日 記)
お陰様で元気が出ました。
天候不順な折、ご自愛ください。