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「町が死ぬ」原発建設止めた人たち

2024-03-18 11:11:53 | ①核と人間は共存できない
3月9日の「報道特集」では、1970年代半ばに起きた能登半島
珠洲(すず)市高屋(たかや)地区での、日本最大の原発誘致と
その反対運動を特集していた。
1986年、チェルノブイリ原発事故が起きた直後に、
過疎化が進んでいた珠洲市議会は原発誘致を決議する。
そして町は原発賛成・反対に二分される。
1989年の報告会で、女学生らしき人の悲痛な叫びが
映像に残っている。
「お願いですからやめて下さい。町が死んでしまいます。  
 お願いします。」

運動の中心になったのは、20代続いてきた園龍寺の住職
塚本真如(まこと)さん(78歳)だ。
当時、反対する住民は少数派だった。
無言電話や嫌がらせの手紙が山ほど届き、
4人のお子さんも学校でいじめに遭ったという。
それでも運動を止めなかったのは、お父上の教えがあったからだ。
「強いものの味方をしたら坊主じゃない」
「左行こうか右行こうか迷ったら、困難な方を選べ」
「それは絶対に悔いのないことだ」
この言葉通りに勝ち負けは別として、最後までやるっていうのを
貫き通そうと思ったと語る。

そして2003年、電力3社(関西電力・中部電力・北陸電力)は
計画を凍結した。
当時の仲間だった小谷内さんは、「誰一人欠けてもあの原発は
止まらなかった。
いろんな人はいたから止まった」と涙ながらに話している。

2024年1月1日、珠洲市を震度6強の地震が襲った。
園龍寺も大きな被害を受け、塚本さんの自宅は大破した。
原発予定地だった場所は震源の近くだった。
土砂崩れによって道路は寸断され、大きく崩れた山肌、
海底の隆起によって波消しブロックはむき出しになった。
(もし珠洲に原発が建っていたら、今回の地震で福島第一原発事故と
 同じくらいの、いやそれ以上の被害をもたらしたかもしれない。)

原発を立地する際に、集落の貧しさが狙い撃ちされる。
そして電力会社が配ったチラシには、原発がもたらす
明るい未来が強調される。
「地震に自信あり」
「津波対策は万全です」
「福島県双葉町については
 豊かになった財源により
 農業の振興が図られています」
安全な町を強調する。
著名人を招いて講演を開いたり、全国の原発への視察旅行に
無料で招待する。

「珠洲に原発がなくてよかった」との声が塚本さんのもとに
多く届いている。そして塚本さんは、
「高屋に限ったことじゃないと思う。
 日本の原発というのは、みんなこんな所に立っているんだと思う。
 今休んでいる原発もまた動かそうとしているでしょ。
 そういう人たちに、こういう実態を視て欲しい。
 そして(原発を動すかどうかの)結論を出して欲しい」
 と訴えた。   (引用ここまで)

追記1
眼の不調のため、ブログをしばらくお休みします。
(2024年4月11日 記)

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